第十八話
全話書き上げ済のため、本日完結まで投稿していきます。
ノアの異動先は、王立養護院だった。生活支援係と聞いて、本人はそれほど悲観しなかった。子どもの相手なら得意だと思ったからだ。
実際、最初の一週間はうまくいった。ノアは若く、愛想もいい。子どもの目線まで屈んで話し、名前もすぐ覚えた。堅苦しい王宮職員より、子どもたちにはずっと親しみやすかった。
「それ、壊れてるの?」
庭の隅で、少年が片輪の外れた木馬を抱えていた。「うん」
「じゃあ、僕が直してあげるよ」
少年の顔が明るくなった。「ほんと?」
「もちろん。こういうの得意だから」得意ではなかった。でも、修繕係へ持っていけば済む。
翌日。「ノア、木馬は?」
「ああ、ごめん。今日はちょっと忙しくて。明日ね」
三日後。「木馬」
「ああ」
「忘れていたの?」
「ちゃんと覚えてるよ。修繕の人に頼んでるから」
頼んでいなかった。あとで頼めばいい。そう思った。
その日の夕方、養護院の責任者に呼ばれた。
「木馬の修繕依頼は出しましたか?」
「はい。お願いしてあります」
「どなたに?」
一瞬詰まった。
「修繕担当の方です」
「担当者名は?」
「そこまでは……」
責任者が一枚の紙を見た。「修繕室には依頼が届いていません」
「ああ。では、行き違いですかね」いつものように笑った。
責任者は笑わなかった。「依頼書を見せてください」
「口頭だったので」
「では、誰に?」
また同じところへ戻った。
「すみません。忙しかったので、もしかしたらまだだったかもしれません」
「先ほど、お願いしたと言いましたね」
「するつもりだったというか」
「していないのですね」
「……はい」
責任者はそれ以上叱らなかった。ただ、記録用紙に何かを書いた。
翌日、少年に木馬を返した。「ごめんな。ちょっと行き違いがあって」
少年は受け取らなかった。「頼んでなかったんでしょ」
「いや、そういうわけじゃ――」
「先生が言ってた」
「……そう」
「ノア、嘘ついたの?」
「嘘じゃないよ。ちょっと認識が違っただけ」
少年はノアを見た。「頼んでないのに、頼んだって言ったんでしょ」
子どもというのは、妙なところで話を単純にする。
「大人にはいろいろ事情があるんだよ」
「でも頼んでないよね」
「……うん」
「じゃあ嘘じゃん」
逃げ道がなかった。似たようなことが続いた。
「明日、一緒に本を探そう」忘れた。
「先生に伝えておくよ」伝えなかった。
「僕も片づけ手伝ったよ」ほとんど手伝っていなかった。
大人なら、その程度のことはわざわざ一つずつ指摘しない。子どもたちは違った。
「ノア、昨日やるって言ったよ」
「忘れてた?」
「やってないよね?」
そのたび、ノアは笑って説明した。
忙しかった。
別のことがあった。
そういう意味で言ったのではない。
やるつもりだった。
悪気はなかった。
けれど子どもたちは、理由より結果を覚えた。
一か月ほど経ったころ、食堂でノアが言った。
「今度の休みに、みんなで丘まで行こうか」
以前なら歓声が上がった。誰も反応しなかった。
ノアは笑顔のまま、もう一度言った。
「天気がよかったら、お弁当持って行こうよ」
一番年下の少女が隣の少年に聞いた。「行くの?」
少年はパンをちぎりながら答えた。「ノアの『行こう』は、行かないやつだから」何人かが頷いた。
ノアの笑顔が固まった。「いやいや。今回は本当に」
「前も本当って言ったよ」別の子が言った。
「その前も」
「先生に渡すって言った手紙も渡してなかった」
「僕の靴も」
「私の本も」
次々に出てくる。
「ちょっと待って。僕だって忙しいんだから、全部完璧にはできないよ」
「じゃあ、できないって言えばいいじゃん」少年が言った。
ノアは黙った。どこかで聞いたような言葉だった。
それから、子どもたちはノアに頼み事をしなくなった。嫌われたわけではない。話しかければ返事はするし、遊びにも誘われる。
ただ、「やっておくよ」と言うと、「先生に頼むからいい」と断られるようになった。
ある日、ノアは責任者に相談した。
「子どもたちが、僕の言うことを信用してくれないんです」
責任者は書類から顔を上げた。「なぜでしょうね」
「たぶん、最初のころに少し行き違いがあって」
「少し?」
「僕としてはやるつもりだったんですけど、忙しくてできなかったことが何度か」
「何度ですか?」答えられなかった。
責任者が記録を開いた。「ニ十三件あります」
「……そんなに?」
「記録上は」
「でも、悪気があったわけではありません」
「そうでしょうね」
「だったら」
「悪気がなければ、約束を守らなくても信用してもらえるのですか?」
ノアは黙った。
「信用は、あなたが『信用してほしい』と言えば得られるものではありません」
「では、どうすればいいんですか」
「約束したことをしてください」あまりにも単純な答えだった。
「できないことは、できないと言ってください。わからないことは、わからないと言ってください。忘れたなら、忘れたと認めてください」
ノアには、それが妙に難しいことのように思えた。
「それを続ければ、また信用してもらえます」
「どれくらい?」
責任者は少し考えた。「それは子どもたちが決めることです」
ノアは初めて、自分の評価を自分の言葉で決められない場所に来たのだと知った。
三人がそれぞれの新しい職場で働き始めたころ、リーゼはそんなことを何も知らなかった。知らなくても困らなかった。
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