↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『王宮を辞めたら、話が通じるようになりました ~「それくらい常識」と言われ続けた私が、もう一度仕事を好きになるまで~』  作者: なみゆき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/19

19ーリーゼ

とっても、はらっても、しつこい蜘蛛の巣

そんな絡み方をする人っていますよね…

知らない間に関わると疲弊してしまう…

 北方辺境伯家では、隣国との婚姻に合わせた交易路の整備が本格的に始まっていた。冬季に閉ざされる街道を避ける経路を調べ、どこに中継倉庫を置けばいいか、どの商品なら冬でも運べるかを一つずつ整理していく。忙しかった。


王宮にいたころと変わらないくらい遅くなる日も、たまにはあった。けれど、不思議と朝は怖くなかった。忙しい理由がわかるからだ。何を終わらせれば今日は帰れるのかがわかる。間に合わなければ、間に合わないと言える。何かを追加するなら、その分何を後ろへ回すのかを相談できる。それだけで、同じ「忙しい」がまるで違った。


半年ほど経ったころ、アデラインに呼ばれた。「これ見て」


渡されたのは、領内の物流費をまとめた表だった。

前年と比べて、かなり下がっている。


「あなたが経路を組み直したところ、特に大きいわよ」


「冬季の迂回便をまとめたのが効いたんだと思います」


「それもあなたが提案したんでしょう?」


「はい」


「じゃあ、あなたの成果じゃない」


あまりにも普通に言われて、返事が遅れた。


「どうしたの?」


「いえ」


リーゼは表を見た。王宮にいたころなら、こういう成果は部署の成果になった。それ自体は別におかしくない。ただ、誰が何をしたのかまで曖昧になった。


ここでは、アデラインは「あなたがやった」と言う。もちろん、全部を一人でしたわけではない。


だからリーゼも言った。「経路の確認は現地の方にかなり手伝っていただきました。倉庫の条件はテオドールさんにも」


「うん。だからその人たちの成果でもある。あなたの成果が消えるわけじゃないでしょう?」


簡単な話だった。リーゼは少し笑った。


「そうですね」


「やっとその返事するようになったわね」


「以前は違いましたか?」


「何か褒めると、すぐ誰かのおかげですって逃げてた」


「逃げていたつもりはありません」


「知ってる。でも、最近はちゃんと受け取るようになった」


そうだろうか。自分ではよくわからない。

けれど、昔の手帳へ書いてあった「助かった」「次から任せる」という言葉を見ても、もう胸が痛まなくなっていた。

王宮へ入る前の自分と、今の自分が少しずつつながってきたような気がした。昔アデラインが探していた保温魔石も、改良品が完成した。北方の山村でも十分使える。


試験導入の日、リーゼも現地へ同行した。小さな家の中で魔石を起動すると、冷え切っていた空気が少しずつ緩んでいく。


村の老女が、何度も手をかざした。「暖かいねえ」


アデラインがリーゼの横で言った。「覚えてる?」


「もちろんです」


「あなた、最初のやつ売ってくれなかったのよね」


「使えませんでしたから」


「商売人失格」


「店主にも似たようなことを言われました」二人で笑った。


十六歳のころには、こんなところまで来るとは思わなかった。あのとき売らなかった魔石が、何年も経って別の形でここにある。仕事というものは、こういうところが面白かったのだ。すぐ結果が出るものばかりではない。調べたことが何年もあとで役に立つこともある。誰かと話して、できないことをできる形に変えていく。リーゼは、そういうことが好きだった。


テオドールとも、仕事で顔を合わせることが増えていた。


ある日、隣国側から届いた輸送計画を見て、リーゼは眉を寄せた。


「この日程では無理です」


向かいにいたテオドールが資料へ目を落とす。「理由は?」


「峠を越える荷馬車が足りません。予定どおりなら、こちらの鉱石便を二日遅らせる必要があります」


「鉱石便を遅らせると?」


「工房が止まります」


「では、こちらを三日延ばせば?」


「それなら可能です」


「そうしましょう」話が終わった。


リーゼは思わずテオドールを見た。

 

「何です?」


「いえ」


「何か見落としが?」


「ありません」


「では?」


少し迷ってから、リーゼは笑った。「話が早いなと思いまして」


テオドールは不思議そうだった。「無理なものを無理だと言われたので、できる日程を聞いただけですが」


「そうですよね」


「ほかに何を?」


「何でもありません」


「そうですか」


テオドールはまた書類へ戻った。愛想はあまりない。けれど、話が通じる。それがリーゼには心地よかった。


別の日、テオドールから、「あなたは確認が細かいですね」と言われた。


反射的に、「申し訳ありません」と答えた。


テオドールが顔を上げた。「なぜ謝るんです?」


「細かすぎましたか?」


「いいえ」


少し考えてから、「間違いが減るので助かっています」と言った。


リーゼはしばらく黙った。同じ性質を、王宮では考えすぎだと言われた。

融通が利かない。

要領が悪い。

細かいところばかり見る。

ここでは、間違いが減るので助かると言われる。


「リーゼ?」


「すみません」


「また謝っています」


「あ」


テオドールが少しだけ笑った。初めて見た気がした。


「癖ですか?」


「……たぶん」


「では、直すのは時間がかかりそうですね」


「そうですね」


「急がなくてもいいでしょう」


それだけだった。なぜか、その日は一日気分がよかった。


***

 アデラインの婚姻の日取りが正式に決まると、隣国との往来はさらに増えた。婚約者は国境伯家の次男で、兄が家督を継ぐため、婚姻後はアデラインのもとへ婿入りする。当然、彼に仕える者の一部もこちらへ移る。


テオドールもその一人だった。


「こちらへ来られるんですね」確認のつもりで言っただけなのに、テオドールがこちらを見た。


「はい」


「そうですか」


「何か問題が?」


「いえ。交易の調整がしやすくなると思いまして」


「そうですね」それで終わった。


少し離れたところで、アデラインがこちらを見ていた。目が合った。妙な顔をしている。


「何ですか」


「別に」


「何かありますよね」


「ないわよ」


絶対に何かある顔だった。


***

 翌春、リーゼは二十四歳になった。辺境伯家で働き始めて一年。交易管理の仕事も正式に任されるようになった。


その春、新しい職員が一人入った。地方の農村出身の少女だった。初日の説明をリーゼが担当することになった。


「こちらが基本手順書です」


冊子を渡すと、少女は厚みに驚いた。「こんなにあるんですか?」


「全部を最初から覚えなくて大丈夫ですよ。最初の頁に、最初の一月で必要なところをまとめています」


「はい」


「わからなければ聞いてください」


少女は少し迷った。「こんなことも知らないのかって、思われませんか?」


その言葉に、リーゼは手を止めた。昔の自分なら、何と答えただろう。いや。昔の自分は、そんなことを心配していなかった。最初の商会では、わからなければ聞けと言われたからだ。


「思いません」


少女が顔を上げた。


「知らないことを聞くのは、恥ずかしいことではありません」


「でも、常識だったら」


リーゼは少し笑った。


「教えてもいないことを常識と呼んで責める人がいたら、その人の説明が足りないんです」


少女が目を丸くした。


少し言いすぎたかもしれない。


「それに、私にも知らないことはあります。そのときは一緒に調べましょう」


「はい」今度は安心したように笑った。


その顔を見て、リーゼも少し笑った。自分が昔してもらったことを、ようやく誰かに返せた気がした。


その日の夕方、国境から届いた書簡が机に置かれていた。差出人はテオドールだった。

大半は仕事の報告である。予定どおり読み進め、最後まで来たところで、一行だけ私信らしいものが添えられていることに気づいた。


――春に来られると聞きました。こちらも、そのころには雪が解けています。


しばらく、その一行を見た。


「何て?」いつの間にかアデラインが後ろにいた。


リーゼは書簡を伏せた。「業務連絡です」


「へえ」


「業務連絡です」二度言った。


アデラインは笑った。


「何ですか」


「何でもないわよ」


「最近、そればかりですね」


「そのうち自分でわかるんじゃない?」


「何がですか?」


「ほら、そういうところ」


また笑われた。


何の話なのか、やはりよくわからなかった。仕事が終わり、窓を閉めようとして、遠くの山を見た。


まだ雪が残っている。


王宮を辞めたばかりのころ、リーゼは仕事そのものが嫌いになったのだと思っていた。

朝になるのが嫌だった。

通信を開くのが怖かった。

誰かに名前を呼ばれるだけで、今度は何を間違えたのだろうと考えた。

自分はもう、働くことに向いていないのではないかと思ったこともある。


でも、違ったらしい。知らないことを覚えるのは、今でも楽しい。昨日できなかったことができるようになるのも嬉しい。誰かの困り事が片づいて、助かったと言われれば嬉しいし、自分が調べたものが何年もあとに誰かの役に立つのも嬉しい。仕事は、嫌いではなかった。嫌いになったのは、何をしても間違いにされることだった。


話しているのに話が通じないこと。

助けを求めても、求めた先まで機能しないこと。

それでも、自分の方がおかしいのだと思わされ続けること。


王宮にいたころの自分を思い出すと、やはり蜘蛛の巣に絡まっていたのだと思う。

一本一本は細い。

払おうと思えば払えるように見える。けれど一本を取ろうと手を伸ばすと、その指に別の糸が絡む。そちらを取れば今度は手首につき、髪につき、顔につく。そのうち、どの糸が最初だったのかわからなくなる。動けば動くほど絡まって、最後には、自分がどうしてそこでもがいているのかまでわからなくなる。


外へ出て、ようやくわかった。


蜘蛛の巣の中にいるときには、自分が捕まっていることさえ、わからないことがある。


リーゼの場合は、身体が先に止まってくれた。そして、外から見て「それはおかしい」と言ってくれる人がいた。もしアデラインとあの日会わなかったら。もし蕁麻疹が出なかったら。まだ王宮にいたかもしれない。


そう思うと、少し怖い。


十五歳で村を出たとき、自分がどこまで行くのかなど知らなかった。

二十歳で王宮に採用されたときは、ようやく辿り着いたと思った。

二十三歳で辞めたときには、五年かけて手に入れたものを全部失ったような気がした。


どれも違った。王宮も途中だった。そこを出たから、今ここにいる。リーゼは机の上の書簡をもう一度見た。春になれば、また国境を越える。


向こうでは、もう雪が解け始めているらしい。

その先で誰が待っているのかについては、今はまだ考えないことにする。ただ、今年はいつもより、春が来るのが少し楽しみだった。


――完――

最終話まで、お読みいただきありがとうございます。

よろしければ、下の☆☆☆☆☆から評価を入れていただけると大変励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。