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『王宮を辞めたら、話が通じるようになりました ~「それくらい常識」と言われ続けた私が、もう一度仕事を好きになるまで~』  作者: なみゆき


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全話書き上げ済のため、本日完結まで投稿していきます。

 家令だった。「失礼いたします。予定のお時間を過ぎておりますが、延長なさいますか」


リーゼへ聞いている。ベネディクトではない。セレフィナでもない。


「いいえ。終わりました」


「承知いたしました」


家令は三人へ向き直った。


「お帰りの馬車を玄関へ回しております」丁寧な言葉だった。けれど、面会終了の意味は明らかだった。


ベネディクトが立ち上がった。「リーゼ。本当に、もう考える余地はないのかな」


「ありません」


「王宮に戻らなくてもいい。しばらく引き継ぎだけでも」


「いたしません」


「困ってるんだよ」


「私も困っていました」


ベネディクトが黙った。三年間、一度も言えなかった言葉だった。声を荒らげる必要もなかった。それだけで十分だった。


ノアも立ち上がった。「でも、僕は本当にリーゼさんのこと助けてたつもりだったんです」


リーゼは彼を見た。「そうですか」


「悪気があったわけじゃないですし」


「はい」


「だったら――」


「ノアさん」


リーゼは少し考えてから言った。「私がお願いしたことを忘れたなら、忘れたと言ってくださればよかったんです」


ノアが黙った。


「やっていないことを、やったように言わないでほしかった。それだけです」


「そんなつもりじゃ」


「そうでしょうね」本当に、そうなのだと思う。


ノアはたぶん、自分を悪い人間だと思ったことなど一度もない。


「でも、私は困りました」それ以上は言わなかった。


セレフィナは最後まで納得していない顔をしていた。


「私はあなたのためを思って言ってたのよ」


扉へ向かう前に、そう言った。


リーゼは頷いた。「はい。何度もそう伺いました」


「だったら――」


「でも、私は辛かったです」


セレフィナが止まった。


「セレフィナさんがどういうお気持ちだったかと、私がどうだったかは、別の話だと思います」


今度こそ、何も返ってこなかった。三人が出ていったあと、リーゼはしばらく応接室に残った。手が少し震えていた。平気だったわけではないらしい。


家令が戻ってきた。「お茶をお持ちしましょうか」


「お願いします」


「アデライン様をお呼びしますか?」


少し迷った。「……お願いします」


しばらくして、アデラインが入ってきた。「終わった?」


「はい」


向かいに座る。


「どうだった?」


リーゼは考えた。話したことは多い。けれど、答えは簡単だった。


「戻ってきてほしいそうです」


「謝罪は?」


リーゼはまた少し考えた。セレフィナは反省しているところもあると言った。ベネディクトも、もう少し間に入ればよかったと言った。ノアは悪気がなかったと言った。


「……ありませんでした」


アデラインは驚かなかった。「でしょうね」


「わかっていたんですか?」


「だって、本当に謝る気がある人は、三人揃って『業務の確認』なんて用件で来ないでしょう」


言われてみれば、そのとおりだった。


「でも」アデラインはリーゼを見た。


「あなたは言いたいこと言えたみたいね」


「そうでしょうか」


「顔見ればわかるわよ」


リーゼは自分の頬に触れた。「何かついてますか?」


「そういうところは変わらないわね」笑われた。


なぜ笑われたのか、やはりよくわからなかった。



***

 王宮魔術院では、その面会の翌日から本格的な監査が始まった。きっかけは、ベネディクトが口にした「引き継ぎの不備」だった。退職者の引き継ぎに問題があり、業務が止まっている。それが事実なら、業務管理上の問題である。


では、どのような引き継ぎを義務づけていたのか。

誰が確認したのか。

通常の手順書はどこにあるのか。

後任への教育は誰が担当したのか。

調べれば調べるほど、第三管理室には答えられないことが増えていった。


監査官は最初に、リーゼが残した進捗一覧を確認した。


「案件名、相手先、進捗、次回対応、期限、関連記録の保管場所までありますね」


「はい。ただ、細かい処理方法が――」セレフィナが言いかける。


「通常の処理方法は手順書にあるのでは?」


「手順書はありません」


「では、リーゼ氏はどのように習得を?」


「私が指導しました」


「指導記録は?」


「ありません」


「教育期間は?」


「必要に応じて」


「具体的には?」


答えられない。リーゼが残した業務用の手帳も、本人の許可を得たうえで確認された。


『判断基準確認。自分で考えるよう指示』


数日後。『同案件、自己判断で処理。確認不足との指摘』


別の頁。『途中報告。細かすぎるとの指摘』


その後。『重要事項のみ報告。共有不足との指摘』


監査官が顔を上げた。


「この記録について、何か説明はありますか?」


セレフィナは眉を寄せた。「仕事というのは、状況によって判断が変わるものです。彼女はそういう柔軟な対応が少し苦手で」


「この案件では、どの状況が違ったのですか?」


「それは……」


「こちらは?」


「……」


「では、この『王家関連は通常処理と異なる。それくらい常識との指導』について、王家関連案件の処理規定はどこに?」


「規定というほどのものは」


「では、何をもって常識と?」


セレフィナの顔が硬くなった。


「長く王宮で働いていれば、自然とわかることです」


「リーゼ氏は入職一週間ですね」


「だから、最初は指導しました」


「どのように?」話が戻った。


セレフィナは次第に苛立ち始めた。「さっきから同じことを聞かれていますけど」


監査官は淡々と答えた。「回答がないので」


セレフィナは黙った。


 ベネディクトへの聞き取りは、もっと短かった。


「リーゼ氏から業務量について相談を受けていますね」


「はい」


「担当一覧も提出されています」


「はい」


「確認しましたか?」


「セレフィナに確認しました」


「あなた自身は?」


「セレフィナが現場を一番把握していましたので」


「第三管理室の責任者は誰ですか?」


「私です」


「リーゼ氏の早朝出勤について相談を受けています」


「はい」


「指示内容を確認しましたか?」


「ノアが代わりに出勤することになりましたので、解決したと思っていました」


「誰が六の鐘までに出勤する必要があったのですか?」


ベネディクトは答えられなかった。


「何の準備が必要だったのでしょう」


「そこはセレフィナが――」


監査官が顔を上げた。

ベネディクトは途中で口を閉じた。


「療養中の職員へ業務連絡が繰り返されています」


「私は体調を気遣う連絡をしただけです」


「そのあと業務上の質問をしていますね」


「急ぎだったので」


「代替担当を決めなかったのですか?」


「リーゼにしかわからないことが多くて」


「一職員にしかわからない業務が多数ある状態を、責任者として把握していたのですか?」


「……」


「退職後に業務が止まった理由について、『引き継ぎの不備』と報告されています」


「はい」


「一方で、本人の入職時には引き継ぎ書も手順書もなく、本人が過去資料を調査して業務を習得しています。なぜ後任には同じ方法が取れないのでしょうか」


ベネディクトは困ったように笑った。監査官は笑わなかった。


「では、あなたはこの三年間、何を管理していたのですか?」


今度は本当に、答えがなかった。



ノアには、別の問題があった。


「リーゼ氏を継続的にフォローしていたと、複数の場で発言していますね」


「はい」


「具体的に担当した業務を挙げてください」


「いろいろあります」


「記録に残っているもので構いません」


ノアは考えた。「使節対応のときは、僕が代わりに早朝出勤しました」


「何をしましたか?」


また、それだった。「会議室の確認とか」


「資料は誰が作成しましたか?」


「リーゼさんです」


「配置したのは?」


「リーゼさんです」


「では、あなたは?」


「揃っていることを確認しました」


監査官は記録した。「ほかには?」


「資料の確認もよくしていました」


「作成した資料は?」


「作成というより、リーゼさんが作ったものを見て」


「修正箇所を指摘した記録は?」


「そこまでは」


「この管理表について、『僕も整理した』と会議で発言しています」


「はい。一緒にやりました」


「作成履歴はリーゼ氏のみです」


「でも、僕も見ました」


「見ることを、整理したと表現したのですか?」


ノアは黙った。


「技術部への確認を依頼され、『やっておく』と返答した記録があります。実施していませんね」


「忘れていました」


「その翌日の会議で、『僕も入って整理した』と発言しています」


「それは、全体としてという意味で」


「何をしたのですか?」


また同じ質問だった。何をしたのか。ノアはそれに答えるのが、思っていたより難しいことを初めて知った。


さらに監査院は、第三管理室を過去に離れた職員にも連絡を取った。一人ではなかった。質問しても答えてもらえず、自分で判断すると叱られた。指示が変わったことを指摘すると、受け取り方の問題にされた。業務量について相談しても改善されなかった。体調を崩したあと、能力不足だったと周囲へ説明されていた。


別の元職員は、「私だけだと思っていました」と答えた。


その言葉が記録に残った。監査報告がまとまるまで、それほど時間はかからなかった。


セレフィナについては、不明確な指示、過度な介入、教育体制の不備、業務上の責任を部下個人の能力や姿勢へ帰す行為が長期にわたり繰り返されていたとされた。


ベネディクトは、管理責任の放棄。


ノアについては、実際の業務実績と自己申告の間に複数の不一致が認められた。


三人とも王宮を追放されたわけではない。

それほど都合よく人生が終わるものでもなかった。

ただ、それぞれ、それまでと同じ働き方では済まない場所へ移ることになった。

お読みいただきありがとうございます。

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