第十二話
全話書き上げ済のため、本日完結まで投稿していきます。
一方、リーゼがいなくなった第三管理室は、最初の一週間ほどは何事もなく動いていた。少なくとも、三人はそう思っていた。
「まあ、ノアがわかるでしょう」リーゼの担当していた案件について、セレフィナはそう言った。
「大丈夫ですよ。僕、ずっとフォローしてましたから」ノアも笑った。
ベネディクトは安心した。「じゃあ、しばらくノア中心で見てもらおうか。セレフィナもサポートしてあげて」
「もちろんです」
三日後、「ノア、北部商会の見積もりは?」セレフィナに聞かれ、ノアは資料を見た。
「どれですか?」
「冬季輸送の」
「ああ。あれはリーゼさんが担当だったので」
「でも、あなたフォローしてたんでしょう?」
「補助はしてましたけど、細かいところまでは」
「どこまでわかるの?」
「どこまでって言われても……」
結局、過去の通信を探すことになった。
一週間後、回答期限を過ぎている案件が見つかった。
「これ、誰が見てたの?」
「リーゼさんです」
「もういないでしょう?」
「じゃあ誰が引き継いだんですか?」
二人でベネディクトを見た。
「え?」ベネディクトも二人を見た。「セレフィナが割り振ったんじゃないの?」
「私はノアがわかると思っていました」
「僕はセレフィナさんが指示してくれると思ってました」
三人とも黙った。
翌週には発注漏れが見つかった。
さらにその次の週には二重発注。
取引先から、『担当者が変わってから回答が遅いという苦情まで来た。
セレフィナの機嫌は日に日に悪くなった。「リーゼ、何やってたのよ」
ある朝、書類を机へ置きながら吐き捨てた。
ベネディクトが顔を上げた。「リーゼはもういないよ」
そこで初めて、部屋が静かになった。
「それはわかってます」セレフィナは苛立ったように答えた。
「でも、こんな状態で辞めるなら、もっとちゃんと引き継ぎするのが普通でしょう?」
ノアも頷いた。「僕もそう思います。途中の案件多すぎますよ」
ベネディクトは少し困った顔をした。「でも、一応一覧は残してるよね」
「一覧だけじゃわからないんです」セレフィナが言った。
「実際にどう処理してたかとか、細かいところが全然」
「手順書は?」ベネディクトが尋ねた。
セレフィナが彼を見た。「ないですよ」
「ないの?」
「前からありません」
「じゃあリーゼはどうやってたの?」
その質問に、誰もすぐには答えなかった。
「過去の資料を見てたんじゃないですか?」ノアが言った。
「そうね」セレフィナも頷いた。
「だったらノアもそれを見ればいいんじゃないかな」ベネディクトが言うと、ノアの顔が引きつった。
「全部ですか?」
「リーゼもやってたんでしょう?」
「でも、量すごいですよ」
セレフィナがため息をついた。「それくらい自分で考えてよ。私だって忙しいんだから」
ノアは黙った。
その日の午後、新しく応援に入った職員がセレフィナに尋ねた。「この案件ですが、過去に二通りの処理があります。判断基準はどちらでしょうか」
「それくらい自分で考えて」
「わかりました。では、過去の事例からこちらで判断します」
翌日、その職員が処理したものを見て、セレフィナが言った。「なんでこっちにしたの?」
「昨日、自分で判断するようにとのことでしたので」
「だからって、勝手に進める?」
職員は少し黙った。
「では、今後は事前に確認します」
「毎回確認されても困るんだけど」
職員は今度こそ黙った。
少し離れたところで、ノアがそのやり取りを聞いていた。どこかで見たことがある気がした。
けれど、思い出す前に自分の仕事へ戻った。
第三管理室が本格的に止まり始めたのは、そのころだった。王宮の仕事は、一つの部署だけで完結するものではない。第三管理室の回答が遅れれば、別部署の手続きも止まる。発注が遅れれば工房が困り、契約確認が遅れれば商会が困る。
最初は小さな遅れだった。
それがいくつも重なった。
そして、上の部署から確認が入った。
「担当者が一人退職しただけで、なぜこれだけ処理が止まっているのですか」
ベネディクトは答えた。
「引き継ぎに少し不備がありまして」
その言葉が、後になって自分たちの首を絞めることになるとは、そのときはまだ誰も思っていなかった。
***
「引き継ぎに不備があった、というのは?」
そう聞き返されて、ベネディクトは少し言葉に詰まった。第三管理室の処理遅延について確認に来たのは、王宮魔術院の業務監督官だった。別に監査というほど大げさなものではない。少なくとも、そのときはまだ、誰もそう思っていなかった。
「退職した職員が担当していた案件が多くありまして、一部、後任への引き継ぎが十分ではなかったようです」
「引き継ぎ期間は設けなかったのですか?」
「体調面の問題もありましたので」
ベネディクトが答えると、監督官は手元の紙に何かを書いた。
「では、退職者が残した引き継ぎ資料を見せてください」
セレフィナが持ってきたのは、リーゼが退職前に作った進捗一覧だった。案件名、相手先、現在の進捗、次に必要な処理、関連する記録の保管場所まで書かれている。
監督官は一通り目を通した。「かなり詳しく残されていますね」
「一覧としては、です」セレフィナがすぐに言った。
「ただ、実際の処理方法までは書かれていません。そこが問題なんです」
「処理方法は、通常どこに記載されていますか?」
「どこ、と言われましても」
「業務手順書は?」
「ありません」
監督官が顔を上げた。「ない?」
「ええ。これまで口頭で引き継いできましたので」
「では、退職したリーゼ氏が着任した際には、誰からどのような引き継ぎを受けたのですか?」
セレフィナは少し考えた。「私が指導しました」
「引き継ぎ資料は?」
「ですから、口頭で」
「どの程度の期間?」
「必要に応じて随時です」
監督官はまた何かを書いた。「では今回も、同様に後任へ口頭で指導すればよいのでは?」
セレフィナの表情が少し固くなった。「それはもちろんしております。ただ、リーゼさんは自分で判断して進めていた部分も多かったので」
「自分で判断できるようになるまで、どのような教育を?」
「……教育?」
「はい」
「経験者採用でしたから、一から十まで教えるようなことはしていません。過去の資料を確認すればわかることも多いですし、自分で考えてもらうことも必要ですので」
「なるほど」監督官は頷いた。
「では、現在の担当者にも同じように過去資料を確認し、自分で考えて処理してもらえばよいですね」
セレフィナはすぐには返事をしなかった。「ただ、リーゼさんの場合は三年近く担当していましたから」
「最初から三年の経験があったわけではないでしょう」
部屋が少し静かになった。監督官は責めるような口調ではなかった。ただ、わからないことを確認しているだけだった。それがかえって答えにくかった。
「今回の遅延については、もう少し確認が必要ですね」そう言って帰っていった。
ベネディクトは扉が閉まるのを見届けてから、ため息をついた。「大ごとにならないといいけど」
セレフィナは不満そうだった。「そもそも、辞めるならもう少しきちんと引き継ぐのが普通なんです。あの子、最後までそういうところが――」
「でも一覧は残ってるよね」ベネディクトが珍しく口を挟んだ。
セレフィナが彼を見た。「一覧だけでは仕事はできません」
「じゃあ、リーゼはどうやって覚えたの?」さっき監督官にも聞かれたことだった。
「だから、私が教えました」
「じゃあノアたちにも教えれば?」
「教えてます」
「でも止まってるよね」
セレフィナの顔が強張った。「私一人で全部面倒を見るのは無理です。私にも自分の仕事がありますから」
ノアが黙って二人を見ていた。
ベネディクトは困ったように眉を下げた。「じゃあ、どうしたらいいかな」結局、それだった。
セレフィナが答えを出すまで待つ顔をしている。「……まず、リーゼさんに確認できるものは確認した方が早いと思います」
「辞めた人に?」
「このまま取引先へ迷惑をかけるよりいいでしょう」
ベネディクトは少し考えたあと、頷いた。「そうだね。一度連絡してみようか」
ノアもほっとしたようだった。「僕もそれがいいと思います。リーゼさんなら、自分がやってた仕事ですし」
三人の中に、リーゼへ迷惑をかけるのではないかと言う者はいなかった。
けれど、すぐに連絡できるわけではなかった。
リーゼはもう王宮職員ではない。しかも現在は、北方辺境伯家に雇われている。個人的な魔導通信で呼びつけられる相手ではなかった。
第三管理室から問い合わせを出そうとして、そこで初めてベネディクトは正式な所属を知った。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、下の☆☆☆☆☆から評価を入れていただけると大変励みになります。




