第九話:狼が食べたなら、書類が残ります。
「あの十頭は、羊ではありませんね」
わたしがそう言うと、ステファン村長は、しばらく黙っていた。
「……山羊です」
やがて、村長は短く言った。
「巡回の商人から、安く譲ってもらいました。乳の出が落ちて、売れ残っていた山羊です。羊より、ずっと安かった。減ったといっても乳は取れる。冬の足しになると思いました」
言葉が、だんだん早くなる。
「ほんの、穴埋めのつもりだったんです。一時のことで……」
「村長どの。その山羊を入れる前、十頭はどうなりました」
ステファン村長の口が、止まった。
*
わたしは帳面を開いて、支局から持ってきた写しを出した。台帳の、あの一行だ。
狼害 十頭。
「この太い字は、村長どのが書かれましたね」
返事はなかった。けれど、否定もしなかった。
「狼に十頭やられたのなら、要る書類があります」
わたしは、指を折って数えた。
「狼害の届。共有資産が十頭減ったことの承認。追跡や回収をしたなら、その手間賃や処分の控え。ですが、そのどれも残っていませんでした」
「それは……」
「狼害の書類が一枚もない。だから、支局はわたしを寄越しました」
ステファン村長は、ゆっくりと口を開いた。
「……あの夜、わたしは、台帳を前に座っていました。数が、十頭足りない。どう書けば足りるのか、ずっと考えていて……気がついたら、狼害、と書いていました。書いてしまえば、十頭は、いなくなったことになる。そう思ったんです」
書いてしまえば、いなくなる。
「村長どの。羊十頭は、狼に食べられてはいませんね」
ステファン村長は、しばらく黙っていた。
「……何頭かは、年を取って、弱っていました。冬は越せないと思って、早めに片づけたので……」
「処分されたのなら、皮が残ります。年寄りの羊でも、死ねば何か残る。引き取らせた手間も、片づけた証しも、どこにも書いてありません」
ステファン村長は、開きかけた口を閉じた。
「……北奥へ、渡しました」
*
「今年の北奥は、春先から霜にやられて、干し草を使い果たしていました。北奥には、もう何軒も残っていません。いちばん小さい家には、うちの子と同じ年頃の子がいる。このままでは、あの子らごと、雪の下に置き去りです。羊さえあれば、春には毛が取れる。仔が生まれれば、先もつながる。生き延びられる。だから……父も、北奥を助けていました。わたしも、同じことをしただけです」
ステファン村長はお茶に手を伸ばし、そのまま続けた。
「山羊に覆いを掛けると言い出したとき、牧夫は、無理だと言いました。遠目でも、いずれ分かると。――でも、わたしが、やらせました。今さら、村の者に羊が足りないとは、言えなかった」
「父も助けていた、とおっしゃいましたね。その控えは、ありますか」
「あります。お見せします。父が、北奥のために何をしたか、書いてあるはずです」
ステファン村長は、奥から古い控えの束を持ってきた。
わたしは、その束を開いた。
先代の代の、共有支出の控え。北奥仮開拓地への援助は、確かに記録されていた。
羊毛。干し草。塩。古い毛布。冬囲いの縄と板。
毛布は、村で使い古したものだった。縄と板には、北奥の小屋の冬囲いに使う分だと、わざわざ但し書きがある。そして、どれも、北奥の誰が受け取ったかまで、受け取りの印つきで控えてあった。
先代は、送ったものだけでなく、それが誰の手に渡ったかも、書き残していた。
共有の支出の欄に、きちんと並んでいた。
けれど、どこにも、羊そのものはなかった。
わたしは、先代の控えと、今年の台帳を、並べて置いた。
「先代は、北奥を助けていました。それは、本当です」
「でしょう」
「ですが、先代が動かしたのは、羊毛と、干し草と、塩と、毛布と、縄と、板でした。誰に渡ったかまで、ぜんぶ書いてあります。共有の羊そのものは、一頭も動かしていません」
ステファン村長の顔から、血の気が引いた。
「先代は、送ったものも、受け取った相手も、書きました。村長どのは、羊を送って、何も書かなかった。代わりに、狼に食べられたことにした」
わたしは、できるだけ静かに続けた。
「助けたことは、書けます。ですが、狼に食べられたことには、できません」




