第八話:六十頭いました。羊は五十頭でした。
羊は、数えればいい。
先任どのはそう言って、わたしを北へ送り出した。
朝の牧草地で、わたしはもう一度、羊を数えていた。
遠目には、六十頭いた。
近づくと、その印象が少しずつ崩れていく。
斜面の下のほうに集まった群れは、まぎれもなく羊だった。丸い体、短い脚、地面に顔をつけて草を食む、いつもの羊。
けれど、斜面の端に固まった十頭ほどは、様子が違った。
背中に、布の覆いが掛けてある。羊毛を縫いつけた、厚い胴衣のようなものだ。覆いのおかげで体は丸く見える。遠目なら、確かに羊に見えた。近くで見ると、覆いの下からのぞく脚が、ほかの羊より細く、硬い。顔つきも、どこか尖っている。覆いの陰になって見えにくいが、額のあたりに、羊のものではない角の気配があった。
「記録官どの」
ステファン村長が、わたしの隣に並んだ。
「その十頭は、病み上がりでしてな。夏に体を悪くしたもので、冷えると応えます。覆いを掛けて、暖を取らせております」
村長は、間を置かずに続けた。
「六十頭、揃っております。台帳のとおりです」
数は合っている。病み上がりの羊に覆いを掛けることも、北の村では珍しくないという。遠くから頭数を照らし合わせるだけなら、六十頭として終わらせられる。
わたしは、帳面に十を数えるごとに行を変えて、数を記していた。あと一行で、六十頭になる。
これで帳面を閉じれば、今日のうちに帰り支度ができる。一泊の予定なのだから、それで何も悪くない。早く書いてしまおう、と羽ペンを進めた。
進めた、その手が止まった。
覆いの十頭は、群れない。ほかの羊が斜面の下へ寄っていくのに、その十頭は、ばらばらに、思い思いの方を向いている。
一頭が、ふいに後ろ脚で立ち上がって、低い枝へ口を伸ばした。ほかの羊より、ずいぶん身軽い。
もちろん、台帳に歩き方を書く欄はない。
牧夫は、わたしと目を合わせなかった。村長のほうも見なかった。ただ、足元の霜を、長靴の先でつついていた。
怪しい、では記録にならない。
わたしは家畜の見分け役ではなく、記録官だ。見た目だけで、羊ではないとは書けない。
*
「村長どの。村の控えを、見せていただけますか」
ステファン村長の頬が、わずかに動いた。
「控え、と申しますと」
「現物と台帳が合っているかは、村の控えとも引き比べます。決まりですので」
決まりです、と言うと、たいていの相手は引く。嘘ではない。本当に、決まりだ。
村長の家の一間で、控えの束を開いた。
羊毛の出荷控え。毛刈りの手間賃。干し草と塩の買い付け。どれも、支局で見た台帳と同じだった。羊毛は五十頭分。毛刈りも五十頭分。
ステファン村長は、一間の入口の柱にもたれていた。茶を勧めるでもなく、急かすでもなく、ただ、わたしの手元を見ていた。
その束の、後ろのほうに、別の控えが挟まっていた。
食堂への、乳の納品控え。
秋口から、急に数が増えている。それまでほとんど空欄だった欄に、毎日のように乳の量が書き込まれていた。
もう一枚、めくった。
乳桶の修繕費。これも、秋口から。新しく桶を仕立てた費えまで、控えに残っていた。
わたしは、羊毛の控えと、乳の控えを、卓に並べて置いた。
羊の毛は、五十頭分しか刈っていない。
それなのに、乳は、秋口から急に増えている。
少なくとも、ホルナー村の共有羊は、毛を刈るために数えられている家畜だ。秋口から急に乳が増えて、桶まで新しく仕立てる帳面にはならない。
念のため、わたしは村の食堂にも寄った。
「帳面を、見せていただけますか」
食堂の女将は、すぐに書類籠を出してくれた。山羊だ羊だとは、何も言わなかった。ただ、秋口からこちらに乳が増えて、助かっている、とだけ言った。
乳は、確かに納められていた。控えのとおりに。
服を着せられて羊のふりをしたなにかは、どうやら乳までは羊のふりをしてくれなかったらしい。
*
わたしは控えを束ね直して、村長の家へ戻った。
ステファン村長は、一間の入口で待っていた。
わたしは、羊毛五十頭分の控えと、秋口から増えた乳の控えを、もう一度、卓の上に並べた。
羊と、羊でないものを、紙の上で分けて置いた。
「村長どの」
わたしは、できるだけ静かに言った。
「あの十頭は、羊ではありませんね」




