↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
都合の良すぎる古文書は、だいたい偽物です。~新米記録官ルカの地方支局事件簿~  作者: 音平つむぎ
第三案件 お弁当を置いていたこの石、もしかして大事なものなんですか?

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/19

第十二話:二十歩測ったら、村境が三つできました。

 陽はもう畦道の真上まで昇っていた。朝のうちに黒く湿っていた土も、表面だけは白く乾きはじめている。それでも一歩踏み込めば底はまだ柔らかく、靴の縁から泥が小さく盛り上がった。

「では、記録官さん。その……植え替えたほうの桑の木から、とりあえず二十歩、測ってみますか」

 東村のデニスが、鍬を杖のようにして言った。額の汗を腕で拭うたび、日焼けした肌に土の筋が増えていく。

 南村の古株をはじめ、集まった両村の面々が、こちらを見ている。

「……ええ。確認のために、まずはやってみましょう」

 二代目の桑が、三十年前の古桑と同じ場所に立っているかは分からない。

 それでも、いまの桑から二十歩を測れば、どこへ出るかは確認できる。

「ニコさん、縄の端をお願いします」

 ニコさんが黙って頷き、歩測用の縄の端を細い桑の根元へ押さえた。その横で、エリーズさんが帳面を開く。

「まずは、台帳の通りに『東へ二十歩』です」

 わたしは縄を片手に、自分で歩数を数えながら東へ歩き出した。

 一、二、三。

 泥に足を取られながら、小股で二十歩を進む。畦道は思ったより狭く、片側へ寄れば畝へ落ちそうになる。二十歩を数え終える頃には、もう首筋がじっとり湿っていた。

 二十歩目で足を止め、木札を一本、地面に軽く差す。

 振り返る。

 例のお弁当の石は、まだ少し先にあった。

「……届きませんね」

「おいおい、記録官さん。あんたの歩幅が小さすぎるんだよ。机のまわりを歩く足だろう、それは」

 南村の大柄な農夫が、鼻で笑った。

 失礼な。

 だいたい当たっているので、言い返しにくい。

「次は俺が測ってやる」

 大柄な農夫は桑の根元に立つと、丸太のような足を大きく振って歩き始めた。一歩ごとに泥が跳ね、靴の周りで小さな音を立てる。

「一、二、三……それ、二十!」

 彼が踏みしめた場所は、お弁当の石を通り越し、東村側の畑の畝の中だった。

「おい! そこはうちの親父が耕した大根畑だぞ。踏むな!」

「何だと。じゃあ、お前が測ってみろ」

 今度はデニスが桑の根元に立った。

 彼は少し胸を張り、自分の歩幅で歩き出す。

 一、二、三。

 村人たちが声を揃えて数えはじめたせいで、ただの歩測が、だんだん祭りの余興のようになってきた。畦の上で大の大人が真顔で足を振り、まわりがそれを数えている。

 地方支局の正式な現地確認である。

 誰がどう見ても、村祭りの足自慢だった。

 デニスの二十歩は、お弁当の石の左端をかすめる位置で止まった。

「ほら見ろ! やっぱりこの石は東村の敷地内だ!」

「いや、お前、最後だけ歩幅を広げただろう」

「広げてませんって!」

「広げた。俺は見た」

 わたしの二十歩は石の手前。

 大柄な農夫の二十歩は石の向こう。

 デニスの二十歩は石の端。

 三人とも、二十歩だった。

 三十年前の記録官よ。

 せめて、誰の二十歩か書いておいてほしかった。


 言い合いに疲れたのか、村人たちはやがて、お弁当の石の周りに腰を下ろした。大人がふたり並んで掛けられる平たい石だが、今日は誰も真ん中には座らない。

 誰かがパンを割り、別の誰かが干し肉を齧る。水筒の栓を抜く音がして、ぬるくなった水を回し飲みする。

 問題の石のまわりで、問題の石を囲んで、昼飯が始まった。

 なぜなのか。

 いや、理由は分かる。

 座りやすいからだ。

 分かるのが、悔しい。

「そもそもな、五年前まで生きていた先代の桑は、いまの二代目より、もう二尺は南寄りに生えていたはずだ」

 南村の古株が、干し肉を噛み切りながら言った。

「何を言ってるんです。先代の桑は、もっと東へ傾いてましたよ。根元はこっちです」

 東村の古株が、水筒の水を飲みながら反論する。

「傾いていたのは枝だ」

「根も張っていた」

「根で歩数を測るやつがあるか」

「だったら、枝でも測らんでしょう」

 わたしは木札を取り出した。

 『旧桑位置、証言一致せず』

 書けるのは、今のところそれだけだった。

「記録官さん、どうするんだい。どっちの歩数が正しいか、あんたが決めてくれよ」

 パンの粉を払った村人が、わたしを見る。

「決められません」

「え」

「いま測ったのは、それぞれの方の二十歩です。三十年前の二十歩がどれなのかは、まだ分かりません」

 村人たちが、あからさまに落胆した。

 ある者は不満そうに鼻を鳴らし、ある者はまだパンを噛んでいる。

「では、どうするんだ」

 南村の古株が言った。

 わたしは、二代目の桑の細い幹を見た。

「先代の桑があった場所を探します」

「跡なんか、残ってるかね」

「分かりません。根株でも、土の色でも、何か残っていれば確認します」

 木札に続けて書く。

 『旧桑跡、要確認』

「あわせて、支局の記録も当たります。三十年前の台帳を作ったときの立会人の控えと、畦道や共有地の作業記録。桑を植え替えたときの記録があれば、それも見ます」

「また書類か」

 デニスがうんざりした顔をする。

「はい。書類です」

 わたしは頷いた。


 荷物をまとめ、歩測用の縄を巻き取る。

 ニコさんが縄についた泥を軽く払ってくれた。エリーズさんは、炭の乾いていない木札を指して、帳面に挟まない方がいいと手で示した。

 ありがたい。

 言葉がなくても、仕事は進む。

 先代の桑の跡を探す。

 ということは、明日もまた、この泥の畦へ戻ってくる。

 ああ、胃が重い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。