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第3章:繋がる足音 ―― 土佐・須崎の宿から赤穂の鳥居へ

不安に思ったのは、「明日、また続きを見たらどうしよう」ということだ。


辺りはすでに明るく、薄っすらと霧がかって、世界は静けさに溶けていた。




話を須崎の朝に戻すことにする。


須崎の宿を出て国道を北上すると、

海の匂いが少しずつ薄れ、代わりに街の熱気が混じり始めた。


道の両脇に並ぶヤシの木が、南国の風をゆっくりと揺らしている。


走るほどに潮の匂いが遠ざかり、街のざわめきが近づいてくる。

高知の中心部へ入る頃には、旅の終盤に向かう胸の奥が、どこかそわそわと落ち着かなくなっていた。


信号待ちでふと視線を向けた先に、赤いものがぽつんと見えた。


「……え? これが、はりまや橋?」


国道沿いに、まるで公園の砂場に置き忘れた玩具のように、

小さな太鼓橋がチョコンと佇んでいた。


観光地の派手さなど一切なく、街の喧騒の中でひっそりと息をしているだけの橋。

その控えめすぎる姿に、興奮と同時に妙な驚きが胸の奥で弾けた。


さっきまで胸を騒がせていた南国の熱気が、どこか遠ざかっていくように感じた。


国道32号を北へ向かうにつれ、山の影が濃くなり、風の温度も少しずつ変わっていく。


四国の旅が終わりに近づいていることを、道そのものが静かに告げていた。


吉野川が岩肌を削り取るように流れる大歩危の渓谷は、

まるで四国の背骨のようだった。


深い緑の谷間を縫うように走ると、風がひんやりと肌を撫で、

さっきまでの南国の熱気が嘘のように消えていった。


讃岐平野へ入ると、どこからともなく出汁の匂いが漂ってきた。

田んぼの向こうに、白い煙を上げる小さな製麺所がぽつんと見える。


旅の終わりに向かう道なのに、どこか帰ってきたような安心感があった。


高松からフェリーが瀬戸内の海を渡る頃、靄の中に島影が浮かんでいた。


潮風に混じる鉄の匂い、船底を叩く波の音。


四国の地を離れるという実感が、少しだけ寂しさで胸を締めつけていた。


そして、姫路城を眺めながら高速に入り、

ひたすら帰路の巡航を続けた。


私の相棒、XL250Sも、なぜか帰り道は軽やかな走りになっていた。

何となく、そんな気がした。


とは言っても、高速を長時間走るには時速80キロがこのバイクの限界で、ロードレースのような走りができるわけではない。


1週間の休みを取った四国ツーリング。最終日、私は無事に西葛西のアパートに到着した。


思いっきり疲れた旅だったが、初めての四国は見るもの全てが新鮮で最高だった!


――その夜、起こること以外は。


部屋でくつろいでいると、電話が鳴った。友達の尚武からだった。


「ツーリング、どうだった?」から始まり、明日からの天気予報はしばらく快晴続きだからと、予定していた次のツーリングに二人で出掛ける算段をして電話を切った。


晩飯にビールとつまみ。いつもと変わらぬテーブル。


気づけば、テレビをつけたままソファーで寝てしまっていた。


また、夢を見た、アパートの階段を上がるあの着物姿の女性、階段中央から草履踵が鉄の階段をたたく音、一歩、また一歩と玄関を目指してやって来る。

そこで、おもわすか飛び起きる。


ゆめか!

一瞬玄関ドアをチラ見した。

まさかなと!


壁に掛けてある時計に目を向けると、1時半を少し回っていた。


歯を磨きながら、流れている番組の内容にどこか違和感を覚える。いつもと何かが違う気がして、チャンネルを切り替えた。


そこで、曜日感覚が丸一日ずれていることに気がついた。


――いや、違う。ずれているのは曜日だけじゃない。


恐ろしくなって、必死に記憶の糸を手繰り寄せた。


東京を出発したのは、間違いなく8月11日の午後だ。


11日の夜は浜松インターで降りてオートレストランで仮眠した。


12日は、あの岡山の国道53号線で不気味な「忌中」の家と、上空で怪しく明滅したどす黒い赤い光を見た。


その後、眠気に耐えかねてバス停に駆け込んで眠りにつき、目が覚めたら……現実のカレンダーは、すでに13日の朝になっているはずだった。


12日か13日の記憶が、まるごと一日分、抜け落ちているのだ。


13日の朝に津山のバス停を出発し、14日は道後温泉。


15日は高知の須崎の、あの旅館の玄関に掛かっていた日捲りカレンダーが

「終戦記念日(8月15日)」を示していた瞬間、どこか胸の奥がひやりとした。

けれど、旅の疲れのせいだと自分に言い聞かせ、

「日捲りを二枚ちぎったのだろう」と無理やり納得していた。


今思えば、あの違和感を見逃した時から、時間の流れがどこかおかしくなっていたのかもしれない。


須崎が15日。姫路城の手前、あの鳥居のあるバス停で野宿したのが16日。


そして、アパートに帰り着いたのが16日の夜中。


日をまたいで、時計が1時半を回っている今は、17日のはずだった。


だが、それなら尚武からの電話はどうなる?

彼は「明日(18日)からツーリングに出かける」と言った。しかし、私の記憶では、旅から帰った翌日である「18日の昼間休み明け、月曜日」には、すでに会社に出勤して、あの慌ただしい仕事を終えて帰ってきた確かな記憶が残っているのだ。


本来なら、ツーリングから帰った次の日は、体を休めるための休日にしていたはずだったのに。


考えてみれば、あの岡山のバス停のベンチで目覚めたとき、妙に体が軽かった。そして何より、あのバス停のすぐ「裏」が、一面の墓地だったことに気づいたのは、出発しようとバイクに跨ったときだった。


あの深夜、私はただバス停で夜を明かしたわけではなかったのだ。


一葉も揺れない、あの異常な濃霧。


私はあの時、あの世とこの世の境界線である「霧」の中に、丸1日閉じ込められていたのではないだろうか。


あの妖しい赤い光に誘われるようにして、12日という時間を、丸ごと異界へ持って行かれてしまったのではないか。


結局のところ、消えた1日の原因は不明なまま、私は今も過ごしている。


ただ、あの帰り道、私の相棒(XL250s)の走りが驚くほど軽やかだったことだけが、今も妙に引っかかっている。


まるで、1日分の「命の重さ」を、あの岡山の霧の中に置いてきてしまったのかも知れない。昭和55年の夏の出来事でした。



つづく



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