みにくいアヒルの子
「醜いアヒルの子ってあるじゃない。あれって見えにくいアヒルの子なんだよ」
やはり唐突に、意味のわからないことを言い出した。あれはアンデルセンの作品だから、原作はデンマーク語なんじゃないかな。デンマークでも醜いと見えにくいが近い発音で誤訳でもしたとでもいうのだろうか。
「突然何を言い出すのかと思えば。誤訳?それとも本当は怖い童話的なことかな?」
「ざーんねん。これから話すことはわたしの解釈なのです。きっと雨崎くんは楽しく聞いてくれると思うよ」
前振りがひどい。言葉優しく恐喝をしてきた。つまりは、聞け、ということではないか。楽しく聞いていることは確かだが、うんとは言わない。負けるわけにはいかないのだ。なのでここで深呼吸、側から見れば溜め息にも思えることをしてから答える。
「かかってきなさい」
さあ開戦だ。
「アヒルの子は、本当にアヒルの子ではあったんだよ。だけど努力のかいあって白鳥になれたのです」
またわけのわからない方向に飛んでいった。生物学に詳しくはなくても、ありえないということはわかる。
「どうしてそんな突拍子もないことになったのか、教えてくれないかな」
「でしょう。不思議でしょう。これはね、人をアヒルの子に置き換えて考えられた話なのです」
両手を机に置き、前のめりに顔を近づけてくる。相変わらず距離感がおかしい。そうしたと思えば、すぐさま体を椅子の背もたれに預ける。彼女は嬉しそうな笑みを浮かべて、左手の人差し指を立てて続きを話し出す。
「アヒルの子は周りと少し違うだけのアヒルだったの。けれども周りの妬み、嫉みから大きく違うように感じ取ってしまったのだ。その思いでいろんなグループに挑戦してみるのだけれど、やはり違う。どこにも受け入れてもらえない。そんな絶望の淵でスカウトがきてね。君、うちのグループに入らないかい?それは白鳥からだった。自分と違うと思っていた鳥たちからの勧誘に戸惑うアヒルの子。そこでスカウトはこう言い放つの。『何を考えることがあるのさ、お前にも羽があるだろう。だったら、おれたちはみんな白鳥なのさ』こうしてアヒルの子は自分を白鳥だと思い込むことに成功したとさ。めでたしめでたし」
スカウトの白鳥軽薄だなぁ。おれたちみんな白鳥って責任感もなにもない言葉だ。それに結局はアヒルのままではないか。
ぼくは腕を組み仰け反るような態度で反論する。
「栄生さん、アヒルってほとんど飛べないよね。思い込んだからって白鳥と一緒に飛んでいくことはできないよね?」
「雨崎くんはまだまだあまいなぁ。アヒルはマガモの品種改良したものだよ。マガモは渡り鳥だよ。頑張ればいけるよ」
ここでまさかの根性論。こんなことは許されない。これを許してしまうと栄生さんの思考を真っ当な道に戻せなくなってしまう。そう思うや否や、相手からの言葉があった。
「それに前置きしたように、これは人をアヒルに例えた話だよ。つまりは人は何者にもなれるの。そう、わたしはバレリーナ。そう、わたしは名探偵。その二つを合わせることで素晴らしく優秀なフラッシュモブができるのさ」
「栄生さんはそれでいいのかい」
「いやよ。わたしの目指すところはそこじゃあないもん。わたしね、翻訳家になりたいの。ほら海外の綺麗な写真とか見たりしてそれを日本語で、文字だけで伝えられたらいいなぁって思うの。いろんな世界の物語の一瞬一瞬を背景まで言葉にできればその世界に入り込めるじゃない。想像は好きだけど創造はできないわたしは、海外の人の生活や考え方とかをうまく日本語に、というか日本の文化に落とし込めるのではと調子にのったのです。夏目漱石の月綺麗のようにね」
ぼくは素直に彼女を尊敬した。自分の目標をしっかりと決めているということがこれほど羨ましいとは思わなかった。ほんとう、とても素敵な調子ののり方だと思う。
「それはもうしっかりと決めたことなのかい」
「いやぁ、まだふわふわしているかな。翻訳家ってどこに就職しているのか、別の仕事をさせられたりもするだろうけどどんなことか、どんな人たちと関わるのか。そういうことはなーんにも知らないからね。想像が好きなわたしの理想像」
「栄生さんならきっと頑張れるよ」
成れる、とは言えない自分。どんな仕事かもはっきりとわからないことに無責任なことを言うんじゃあない。けれど輪郭ははっきりしないけどイメージはできる。だったら、きっと成れる。そう言ってもおかしくはないんだ。ぼくがそう思うのだからぼくの思うことを言えばいいのに。それでも言わない。きっとそれがぼくなのだから。
「雨崎くんは夢はないのかな。検非違使以外で」
「検非違使は語呂が好きなだけだから。まあ正直なんにも考えていないよ。なんとなく生きてなんとなく過ごしているんだ。自分の好きなこと、得意なことすらはっきりとわからないんだから」
「そんなことなら簡単だよ。それは周りの人が見つけてくれることも多いだから。そこからあとは自覚して判断するだけ。雨崎くんはまさしく、自分自身が見えにくいアヒルの子なんだよ」
ぼくにも軽い調子の白鳥が迎えにくるのかもしれない。




