世界
「雨崎くんは、世界は自分中心に回っているってどう思う」
またきた。栄生思想の第一歩だ。今日はどのような世界観を見せてくれるのだろうか。楽しみで仕方がない。
「まあ身勝手なイメージだね」
「そうだろうね。でもね、ここで見てほしいのは世界という言葉。これをしっかりと定義していきたいと思います」
今日は規模の大きい講習だ。こんな狭い一教室で世界を定義するなんて。しかもたった二人で。この講習の結果を学会に提出するとオブジェクションの嵐であろう。そうなることを予め避けるためにぼくはいるのだ。理知的に対応していくのがぼくの役目だ。そして言葉は見えないのだが。
「では栄生さん、始めていただきます」
「では。えーっ、まず世界という言葉にどのような意味があると思われますか。地球を想像する人も多々いらっしゃると思います。しかし全世界という言葉があります。これが地球を意味するものではないということの証明だと考えます」
「意義あり。全世界は、全ての世界ではなく、世界の全てです」
「だまらっしゃい」
一喝された。説明ではなく、気迫で押された。理知的なぼくの弱さを垣間見ることとなった。大人しくなったぼくを見て言葉を続ける栄生さん。
「そういう意見もありますが、それを覆す別例があります。個人が世界を持っているということです。世界観という言葉が個人や単体に使われることからこれは明らかです。これにより世界とは各々のもつ個性や解釈、価値観などを総称したものだと言えます」
「意義あり。世界に羽ばたく、という言葉は日本を飛び出して広範囲に活躍したりするときなどに使います」
「では世界に羽ばたいた人は本当に広い範囲で活躍していますか。もちろんそういう人もいますが、日本人がアメリカの片田舎で農業をしていたら世界に羽ばたいていないとは言えないのです。つまりこの場合、日本という世界を飛び出してアメリカという世界に従属したというだけのことです」
「つまりは集合体でも世界と言えると。地球でも国でも個人でも世界と言えると」
「その通りです。会社が例えとしてわかりやすいかと。会社は集合体でありながら個人としての面も持ち合わせています」
「栄生さんも細胞の塊であって、細胞個々も世界であり栄生さんも世界であると」
「その例えでわたしを使わないで。なんだかむず痒い」
「というか世界ってなんだったかなって思ってきちゃったんで、いつもの本題に入ってもらっていいかな」
正直なんだか疲れたので、世界の定義は無視して先に進んでもらう。楽しかったけれどもう満足。というか世界とは概念ということでよかったのだろう。だって自分で言ったのだけれど細胞は世界ってどういうことなのかと。
「雨崎くんは自分の世界を考えたことあるかな」
「自分の世界?世界観がどうこうっていうことかな」
「その世界観を作るまでのことだね。今からイメージしていってほしいんだけど、まず丸いトレーがあります。その中心に自分を置いてください。向きは気にしないで。それから自分の周りに自分の大切な人やものを置くの。できるだけ具体的に思い出しながら。もし自分の周りがいっぱいになったらその外周に、といった感じで大切なものを埋めてみて」
ぼくはすぐに頭を悩ませる。両親、祖母、本や音楽、クラスメイト、別の高校に行った友達、中学生の時の担任。普段会わない人でも思い出したらどうしているかなと思う。そして思ったより少ないんだなとも。ただ何より悩ませたことが一番最初に頭に浮かんだのが栄生さんだということだ。眼前にいるからか。違う。それは一つの要因ではある。それだけか。違う。思考とは別の場所がそうではないと伝えてくる。ではなぜか。友達だから。違う。友達ならクラスメイトの位置にいておかしくない。憧れ。違う。こんなよくわからないことを言い出す人をか。違う。不思議な角度ではあるが自分を上手に伝えているのだ。ぼくにはそう思ってはいないが、感じている。ぼくは栄生さんの会話から伝わることに憧れている。栄生さんを尊敬している。
「いくらかイメージできた?」
頭を悩ませているぼくを気遣ってか声をかけてくる。
「とりあえず少しくらいはできたよ」
「おおっ、雨崎くんの世界が出来上がったぜぃ。少し覗いてみたいなぁ」
「ロボトミーかな」
見せられない。ぼくの世界のぼくの目の前に栄生さんは居座っているのだから。絶対問い詰めてくる。以前のように強要してくる。そう、これは栄生さんに罪を背負わせないためだ。強要は罪だ。ぼくはなんて優しいんだ。しかしそれを誤魔化すための言葉は間違えている。
「そんなことできないよ。というか、しても見えないでしょ」
「確かに。しかしこれって大切な人やものの順位付けしただけじゃないの」
「違うよ、これは自分が中心にいることが重要なの。一番大切なものが見えないときってあるの。今自分が向いている方向を落ち着いて考えないといけないときってくると思うの。だからこういう世界を思い描いていたら、いざってときに役に立つかなって」
よく聞く話だ。仕事と家族みたいな話。仕事を仕事と言わずに、家族を大切にする手段と言えば少しはわかりやすくなるかな。つまり家族と同等に大切なものだ。そちらばかり向いてしまっては家族が見えなくなってしまう。ちゃんと周りを見て大切な人がどうなっているかをわかっておかないといけない。自分の世界だからって自分の思い通りになるわけではないのだ。その人たちは自分からの思いを表すだけで向こうからの思いはわからない。それに自分の世界だけで伝えても現実には伝わらない。
「雨崎くんもわかってくれたようでよかった。雨崎くんはわたしの世界に勝手に居座っているからね。この程度わかってもらわないと困るよ」
全く伝わっていないのではないか。ぼくが良い感じに捉えたのに、ぼくからの思いで栄生さんの世界にいることになっている。まったく、いつもの調子で図に乗って。
でもぼくは安心する。ぼくの世界に栄生さんがいるように、栄生さんの世界にもぼくがいる。きっと一緒にいるときに少しでも居心地が良いのだと感じているのだ。これはぼくの願望だろうけど、少しくらいは調子にのってもいいだろう。
「ありがとう、栄生さん」
ぼくは不意に心の声を表に出してしまった。やってしまった。こうなると栄生さんはもう有頂天。ぼくを弄り倒すこと間違いなし。帰ってこい、理知的なぼく。なにごともなかったかのようにやり過ごすんだ。毅然とした態度を出すんだ。さっきの弱さはきっと疲労からだ。そう、理知的なぼくは以前のような理知的なぼくではない。男子、三日会わざればということだ。ものの数分でも成長しているのだ。
「どういたしまして、雨崎くん。ちなみに雨崎くんの世界にわたしはいるかな?」
意外な返答だった。柔らかく微笑む彼女を見ると警戒していた自分が少し愚かで馬鹿みたいで、しかしそれすらもどうでもよくなった。邪気を祓われた気分だ、天邪鬼だけれども。ならばどうなるか、わかりきったことだ。
「もちろん栄生さんはいるよ」
何処にいるかは伝えきれないけれど。恥ずかしいというより答えがわからないから。考えないようにしているのかもしれない。今は居心地が良いから。それだけでいい。ぼくの中の天邪鬼が完全にいなくなれば、もしくはそれに打ち勝つ何かがあれば答えは出るのだから。
「ありがとう」
その後に続く優しい静寂にぼくは溶けていくだけだった。




