静かに 雨崎くんの単独思考
今日ぼくは親に本を借りてきた。ソフィーの世界。ぼくに、考えること、を教えてくれた本だ。哲学入門をストーリー仕立てにしたような内容だったはず。正直内容はしっかりと覚えていない。覚えていることはちょっとした謎かけのような手紙がきて、それの答えを考えていくということ。あと後半は何が何だかという表現が似合う怒涛の展開があったことだ。ぼくが初めて読了した本でもある。
栄生さんは今それを読んでいる。ぼくの向かいで、黙々と。前に少し話したときに貸してもらえないかと打診されたので、ぼくが親にお願いして持ってきたのだ。普通の人が一日で読めるような本ではないだろう。作者は、主人公と一緒に考えてほしいと思っているのではないだろうか。そう思えるような本だったはずだ。不意に彼女は本を置き、人差し指をメトロノームのように動かし始めた。たぶん最初の謎かけのことかな。自分が知らないことを知っている人が偉い、そんな感じの言葉だったはず。それについて彼女は二つ答えを出したのだろう。メトロノームは、どっちかな、という心の声だ。栄生さんの思考の火種が燻り始めたのだ、モクモクと。
それではぼくは自問自答の旅に出よう。いつも疑問に思っていたのだが、敬語の意味だ。ぼくは敬語を使い人と距離をとる。敬語は距離を表す言葉だと思っている。目上の人や歳の離れた人なんて明白だ。明確な上下の位置関係がある。この距離をしっかりと保つための言葉であろう。その人に対して尊敬があるかどうかは重要ではない。敬語で話されている先生に対する愚痴なんて教室にいれば聞き放題なのだから。
様々な物語で聞くことができる言葉がある。同級生なんだからそんな堅苦しい話し方するなよ、この言葉はっきりと示していると思うのだ。丁寧な言葉で遠近の距離をとることもある。まあぼくがこんなこと言われても、言葉使いは変えないであろうが。これを言われてすぐに言葉使いを崩す、怯えている様子の人物はたぶん演技だ。本当は怯えていないか、親密になったふりか。ぼくの基準では後者かと思う。
栄生さんは本に夢中なようだ。食い入るように読んでいる。大人しい。栄生さんの意見を聞いてみたいと思ったが、話を聞くのは後日にしようか。本を今日貸したことを少し悔いる。
敬われるべき親はどうだろうか。育ててもらっているぼくは敬語を使っていない。あまり使われているイメージはない。どれくらいの人が親に敬語を使っているのだろうか。それがはっきりわからないけれど、距離が近ければ敬語は使わないのではないか。
では敬語の尊敬はどこに向かっているのか。人それぞれあるだろう。本当に人に対する尊敬であることもあれば、立場や金銭、年齢などということもある。その金銭や立場を得るための努力だとしよう。では本当にあるかはわからないが、努力なく地位を得たぽっと出の二代目社長がいたとしたら。建前であれ認めるならば敬語であろう。貧困に喘いでいるときに宝くじに当たった人がお金を恵んでくれたら。受け取るなら丁寧に、断るならご自由に、かな。
ぼくの考えでは、敬語は一定の距離を維持するツールである。その距離をつくるものに対する敬意である。その人に対する敬意だけならば、敬語でなくなる可能性は高いのではないか。その人に近づきたくなるだろうから。ぼくが彼女に対する思いのように。
おっと、栄生さんが本を閉じている。
「雨崎くん、この本三日くらい借りていいかな」
「もちろん、栄生さんが満足するまで」
「ありがとう。雨崎くんのお父さんにもお礼を言っておいてね」
「伝えておくよ」
「ところでわたしが目の前で本を読んでいるとき、雨崎くんの邪魔にならなかった?」
「いや、一人でいる時とそんなに変わりはなかったよ」
「よかった」
栄生さんはご機嫌である。




