ゴミ箱
「小さい頃、ゴミ箱の踏んだら開く蓋があるでしょう,あれを何度も繰り返せば中のゴミがなくなると思っていたの」
「咀嚼させていたと」
「そうなの。自分の部屋にもゴミ箱あったけど、わざわざ蓋が付いているキッチンのゴミ箱までよく持っていっていたの。懐かしいなぁ」
教室の片隅にいるぼくたちの位置からさらに隅に目を向けて、彼女は思いを馳せながら話す。ぼくは彼女に視線を移す。頬杖に支えられた憂いを帯びる表情は、郷愁だけが作り出したものではあるまい。陽の高いうちは暑さも残っているのだが、太陽もすでに山の端にかかろうとする今時分、ぼくたちの感じる空気も冷え始めている。まるで情熱を失っていく大人たちのようで、前が見えなくなっていく。今彼女はその人たちと同じで、眼前の暗闇から目を背けて昔を懐かしんでいるのであろう。だがゴミ箱だ。
「よくゴミ箱相手にそんな哀愁を漂わせることができるものだよ。もしかしたら誰かが捨てた生ゴミが入っているのかと思うと嫌な気分にしかならないのだが」
「そうだね、今の雨崎くんの言葉で正気を取り戻したと同時に切ない気分すら感じるの。せっかく深窓の令嬢気分だったのに」
「ゴミ箱に入っても箱入り娘ではないからね。ただの廃棄物だからね、栄生さん。発酵の美少女だからね」
「せめて発光にして。負うのは哀愁じゃなくて、後光を背負わせて。そして腐っても美少女なわたしにびっくりだよ」
「腐っても鯛とは言っても所詮一般人には生ゴミでしかないんだよ。食べても体に不調をきたすかもしれないし、飾っても悪臭を放つ芳香剤なんだよ。仮に栄生さんが美少女だとしても、腐っていたらぼくは指すよ。後光じゃあなくて後ろ指だけどね」
「引っ張ってよ。後ろ指を指す前に髪を引っ張るべきよ、腐る前に後ろ髪を。バナナとか腐る直前が美味しいって言うじゃない。わたしも腐る直前で留めるようにするべきだと思うの」
「本当にそれでいいのかな、栄生さん。バナナ同様にシュガースポットだらけになってしまうんだよ。あんなもの人に表れたらほくろでしかないからね」
「いいもん。耳のがわかりにくくなるし。それにわたしの好きなように置いてやるんだから。いっぱい出ても全部両目の涙ぼくろにしてやるんだから」
「そんなことになったらぼくは間違いなくそのほくろの周りを白く塗ってあげるだろうよ。そして栄生さんは目が四つになったと言って回るよ。頬骨にのっているから、少し空が見やすいだけの目が増えったってね。栄生さんが開眼したってね」
「ついにわたしに仏の魂まで入っちゃったよ。やっぱりわたしには後光がさす宿命だったのよ。じゃあわたしは発光の美少女でいいよね、よね」
「まあ、栄生さんがそれでいいのなら」
この対話がループしそうになったところで冷静になった。連想ゲームと言えるのかわからないが、冷静であるべきぼくが熱くなってしまった。泳げないぼくには、沈着という言葉はよく似合うと自負している。物理的に沈むことはできないが、ぼくは容易く思考の海に沈むことができる。おっと、まだ熱が冷めきっていないようだ。
「この勝負は美少女と認めさせたわたしの勝ちだよね」
「いやいや、同じ言葉を選んでしまった栄生さんの負けだね。今回はぼくの勝ちだ」
むう、そう唸る栄生さんの顔に憂いはない。楽しんでもらえて何よりだ。ぼくも楽しかったからね。そして反論はない。ぼくの勝利とさせていただこうか。勝敗の基準が違いすぎるけれど。
「けれども栄生さん、よくゴミ箱をあんな深刻そうに見ることができるね。嫌な思い出でもあるのかな。小さい頃ゴミ箱に反芻されたとか」
「洋画でありそうだよね、キラーダストボックス。面白くなさそうだけど。嫌な思い出はゴミ箱というかゴミなんだけどね。小学三年の頃に外を歩いていたら男子高校生三人くらいの人たちがいたの。それですれ違うときくらいに向こうが紙を落とした。だから拾って渡したら、捨てたんだって言い捨てたのよ。そのあと三人とも笑っていたんだよ。何が面白いのよって気持ちで拾った紙をゴミ箱に捨ててやったわ」
「栄生さん、格好いいよね」
「感想そこなの」
「え、いや普通に格好いいと思うんだけど。ゴミ箱に捨てにいくのはさすがだなと。何が面白いのかっていう心の声までまさしく栄生さんだよ」
「高校生の方に関しては何かないの」
「正直馬鹿だなとしか。それ以上はもうないかな。そんな人間に興味はないし」
「ほんっと雨崎くんらしいね。なんだか嬉しくなってきちゃうよ」
栄生さんが上機嫌だ。本当に素直な感想を言っただけなのだが。ぼくが栄生さんの前で普通を気取ることはないし、真面目な話には真面目に答えようとは思っている、ただそれだけ。さっきとは違う笑顔だが、今回は理由がよくわからない。ぼくの言葉のどこに嬉しくなるところがあったかはわからない、そこはいつか聞くことにしよう。今は嬉しそうにしている栄生さんを堪能しようではないか。
「でも栄生さんがそれで人間的に腐らなくてよかったよ。後ろ指を指すのも、栄生さんにばれないようにするのは難しいからね」
「今のわたしは発行体だよ。影でばれちゃうよ。わたしの光はなんと十万ルクス」
「まさしく太陽。まさしく天照大御神」




