美しい
「栄生さんにとって美しいものはあるのかな」
ふと思うことがあったから不意に聞いてみた言葉。不用意このうえないことに気付くまで秒もかからなかった。ぼくと向き合う人が無言で自分自身を指差している。他のクラスメイトと話すときは自分以外の人を立てようとするのに、ぼくと話すときは自己主張が強い。まあ無邪気とも言えるけれど。純粋に楽しんでいるとも思える。天邪鬼が無邪気を語るのはおかしなものだが。ぼくが同じことをしたならば無邪気を騙ることになるのか。
ああ、指差の動作が徐々に大きくなっていく。わかっているから、気付いているから、気付かないわけがないから。このまま放っておいたら自分の目に指を刺すのではないか。少しそれも楽しいかもしれないと思ったが、それ以上にその後が大変であろうことが明らかなのでこの辺で止めようか。
「わかった、わかったから栄生さん。その指の角度が実に美しいのはわかったから」
「何ひとつわかっていないじゃない」
「そんなに照れなくていいんだよ、栄生さん。その第一関節と第二関節の微妙な角度の差に、人類の根源に刺さる美があるっていうことは知っているんだ」
「そんなのあるの?」
「ないよ」
「・・・嘘つき」
「ぼくと栄生さんの間では挨拶みたいなものだろう」
「それはわたしが加害者の場合のみだよ」
「自分で加害者というところは潔いけれど、害だと思うのなら止めるべきでは」
「ほら、雨崎くんって被虐嗜好でしょう。だからわたしは嫌々害を与えているんだよ。他人に苦痛を与えるなんて辛いことなんだよ。加害者の苦しみをわかってよ」
「えーっと、ごめん」
勢いに負けました。というかぼくは被虐嗜好だったのか。そんなはずはない。ぼくはそんなことを志向していない。これこそ嘘だ。さっきの仕返しだ。そんなことは大人の対応、軽く流していくに限る。
「雨崎くんが認めてくれたことで次にいこう」
「ぼくは謝っただけで認めてはいないよ」
「雨崎くんは被虐嗜好だよ。わたしにはそうとしか思えないもん。あとは自覚するだけだね」
「あれは栄生さんが楽しそうだから、ついつられて」
「そんな嬉しいこと言ってくれちゃって。ありがと、雨崎くん」
ぼくは被虐嗜好ではないが栄生さんとの会話は楽しいのだ。ぼくが楽しいとも思うから、彼女が楽しそうなことに安堵する。それだけだ。決して罵倒に喜んでいるわけではない。
「それで栄生さんは美しいと思うのかな」
「難しいなぁ、本当に美しいって感じたことがないからどんな感覚かわからないもの」
「確かに。五感で考えてみようか。美しい花、美しい音色、」
「雨崎くんが美しいって言うと、鬱屈した、と言い間違いしているんじゃないかって思うよね」
そんなことにぼくの同意を求められても。間違いなく美しいと言っているので賛同はできない。
「美しい肌触り、美しい匂い、美しい味。後半はあまり聞かないか。あるのは聴覚と視覚かな」
「でも待って雨崎くん。花とか匂いも関係してくるんじゃないかな」
「確かに。綺麗な花でも臭かったら美しいと感じない気がする。つまりプラスのイメージの複合したものが美しいなのかな」
「感動の限定的な使い方なのかも。とくに視覚聴覚に特化した感動、みたいな」
「つまり心に響くものだと。美しい死に際みたいに惨憺たる状況でも使われることもあるか」
「その例えはわからないかな。例えば雨崎くんが、わたしの罵詈雑言で感動したとするじゃない。そうすればわたしの言った言葉は、美しい罵倒ということになるってことだよね」
「そんな浅ましい言葉を世に放とうとする栄生さんがある意味美しいと思うよ。変わり者のぼくから見ても」
また引っ張ってきた。そういう応酬を楽しいとは思うけれど、栄生さんの言葉を美しいとは思ったことはない。これからもだ。
「ついに雨崎くんがわたしを美しいと認めたね」
「いや、どう足掻いても皮肉だよね」
「皮肉だろうと言葉にしたもん。雨崎くんの心の内なんてあくまでわたしの推察であって確実じゃないもん。今確実なのは、わたしを美しいと言ったことだから」
振り出しに戻ってしまった。指の角度で誤魔化したのに。どうしてあれほどわかりやすい皮肉で、栄生さんはこんなに嬉しそうなのか。美しいという言葉にある力は恐ろしい。
「雨崎くん雨崎くん、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。わたしのことでいいかな、いいかな」
立つは鳥肌、語るは偽譚、話す言葉はトリカブト。たぶん今言ったらぼくは殴られる。大人しくこれは認める。認めるが栄生さん自らがそれを拒否するはず。
「それは栄生さんのことだね。気が立てば、とか座ったときの血流が、とか弱々しく歩く姿が、というときの薬の話という説もあるらしいけれど。栄生さんはそれでいいのかい」
「わたしってば薄幸の美少女」




