おおブレネリ
「雨崎くん聞いて聞いて。おおブレネリって曲があるでしょう。おおブレネリ あなたのお家はどこ って始まる曲。あれね、ヤッホーのあとの掛け声みたいなのを勘違いしていたと思っていたんだけど、実はそれで良かったんじゃないかって思ったの」
「えーっと、つまり自分の間違えていたことが、実は正解だと。ということは世間に広まっていることが間違いだと。やはり栄生さんならやってくれると信じていたよ。この案を持って日本民俗音楽学会に殴り込みにいくんだね。これはぼくも楽しみだ。普段なら重いはずの足も軽やかになるよ。お供しようじゃあないか」
「そうじゃないの。世間はそのままで、わたしのなかでだけ正しいと思うことができたんだよ。あと、そこが取り扱うのは日本の民謡だから。ブレネリちゃんはスイスだから」
「大丈夫だよ、栄生さん。栄生さんなら舞礼練利と言いきってくれると信じているんだ、ぼくは。漢字だから日本民謡だって。フランスと仏蘭西どちらも日本語だって」
「そんな無理通るわけないでしょう。それで通るようなら会員は雨崎くんみたいな人ばっかりだよ。もうそれは鬱屈とした巣窟だよ」
今回の件で得られたことは、ぼくは二人以上いらないということだ。まさか鬱屈とまで言われるとは。確かに人が三人以上いると言いたいことを言えない気分になるのは確かだ。しかしそれが全て自分ならどうだろう。自分に対してなら三人以上でも言えるはずだ。というかみんな自分なら話し合う必要なんてないのでは。もう黙々と作業をしている環境になるのか。それでいて気をつかわないのだから、それは確かに閉塞感があるかもしれない。さすが栄生さんだ。そこまで考えていたとは。・・・これは誰でも同じ結果になるのでは。というか話し合ったならば独り言となんじゃあないか。騙された。
「まあぼくが鬱屈とした日々を送っていることは確かだ。それはいいとして、栄生さんの間違いだと思っていたことはなんだったのかな」
「そうそう、ヤッホーのあとホトゥラララが続くんだけど、わたしずっとホットランランランだと思っていたの。ホットランドだと思っていたのよ」
「スイスって別段暑い国というわけではなかったと思うんだが。行ったこともないけれど、地中海に接しているわけでもなかったはずだし」
「そうなの。地中海気候の恩恵を受けていないわけではないらしいけど、それで温暖というわけじゃないみたい。それにアルプスもあって山岳地帯も多いから寒いイメージだよね」
ここまでわかっているから間違いだと思っていたのだ。きっとここで調べて正しい語句を調べたのだろう。さあここからが楽しい栄生ストーリーの開幕だ。
「ここから雨崎くんみたいに相対的視点を使ったの」
「なにそれ。ぼくすらそんなこと初めて聞くんだけど」
「簡単に言うと捻くれた視点だよね。まずブレネリちゃんは小さい頃遠い親戚のところに預けられていたの。そこで学校に通っていたのだけれど、よそ者扱いする男の子に虐められていたんだよ。『おうブレネリ、お前どこからきたんだよ』『わたしはスイスからきたの』まさしくこれなの。この少年の視点の曲なのよ」
どうしよう。一人芝居が始まった。これは非常に楽しみだ。ぼくは込み上げてくる期待を表に出さないように、特に表情に気をつけて続きを催促する。
「そうそう、それから『それも綺麗な湖水のそばだよ』ってブレネリちゃんは自慢しちゃったの。そうしたら男の子は『スイスなんてアルプスとヨーデルしかない暖かい国なんだろう』って言っちゃって。そう、ここはスウェーデンかノルウェーの北の方の町だったの。寒い国から見たらスイスは暑い国って思っちゃうんだろうね。だから揶揄するように『ヤッホーホットランドランドランド』って歌っちゃったのよ。でもね、このヨーデルが将来二人をつなぐ歌になっちゃうの」
思った以上に壮大な雰囲気を醸し出してきた。ホットランドが伏線になるなんて思いもしなかった。四番まであるらしいから、きっと波瀾万丈なのだろう。
「二番はどういう感じなのか気になるんだ。確か仕事を聞くんだよね」
「そこはね、男の子が『おまえの家、なにしてんの』って聞くと、ブレネリちゃんは嬉しそうに『お父さんは羊飼いをやっているの。わたしも手伝っているんだよ。でもね狼が出るかもって聞いちゃって怖いの』って答えたんだ。そうしたら男の子が『お前、狼なんかが怖いのかよ。やっぱスイスの人は臆病なんだな』という煽りをしちゃって。それからホットランドだよ」
それからホットランドという響きでぼくは限界を迎えそうなのですが。でも続きが、続きが聞きたい。
「三番は、えーとスイスのために狼を倒す、みたいなことだったよね」
「そうね、実は二番のあとまもなくブレネリちゃんはスイスに帰っちゃったの。そこから何年も経ってからのお話なんだよ。大きくなったブレネリちゃんの前に男性が現れて『ブレネリ、お前が怖がっていた狼すら倒せるようになったぜ。俺の腕を見てくれ。この腕があれば、ブレネリを脅かすもの全てを打ち倒すこともできるんだ』と言ったの。ブレネリちゃんは最初誰なのかすらわかっていなかったのだけど、男性がホットランドを歌い出して。それでブレネリちゃんは思い出したの」
ホットランドの伏線これだったのか。確かに普通のヨーデルなら誰かわからなかっただろう。というかこの男の子は素手で狼を倒せるのか。
「なかなか面白くなってきたね、栄生さん。では最後の四番、スイスが自由を求めているという抽象的な表現だったはずだ」
「ついに最後だね。あの男の子はブレネリちゃんが好きだから虐めていたの。だからブレネリちゃんを苦しめるものが許せない。そのときブレネリちゃんは生活に困窮していたの。だから男性はブレネリちゃんと同じ境遇の人たちのために上がったの、政治という舞台に。スイスは投票とかで国民が政策にも直接関与できるみたい。だからこそ男の子の言葉が歌詞にあるの。『見てごらんブレネリ。最初はぼくが起こした行動だけど、それに賛同してみんなが立ち上がってくれているんだ。これが君の好きなスイスなんだ』それから『今自由を求めて立ち上がるこの国は、世界で一番熱い国なんだ』そう言ってからのホットランド。感動だよ」
どうしよう、綺麗に落ちまでつけられた。粗はあるけれどこの話が好きになってしまった。ただ面白いと思っていたホットランドという言葉が、格好いいとさえ思えてしまう。今日のぼくは素直だ。潔くいこう。ぼくは拍手をする。
「正直途中ぼくは笑いそうになっていたよ。でも最後まで聞いて驚いたよ。こんなに素晴らしい話だったなんて。出会い、別れ、再会からの結末にぼくの心も熱くなったね。今後おおブレネリを歌うことがあればホットランドで歌うよ。好きな言葉ではないけれど、これには絶対という副詞を使わざるを得ない」
「雨崎くん、ホトゥラララが正しいんだよ」




