夢
「そういえば栄生さんは前に翻訳家になりたいって言っていたよね」
「そうよ。最近じゃあA Iとか翻訳アプリとかも優秀になっちゃっているから需要も減っちゃっているだろうけれど、表現や伝わりやすさを考えたら当分は人の手が入ると思うの。狭き門だけど頑張りたいよね」
「どの言語を翻訳したいとかもあるのかな」
「北欧がいいなぁ。スウェーデン、デンマーク、あとノルウェーかな」
狭き門のなかでもさらに狭そうに思える。確かこの三国の言葉は似ているとか聞いたことがある。ひとつわかるならば残りの二つは楽に習得できるのか。しかし結局は違う言語なのではないか。まあどれも触れたことはないからわからないが。
「でもその三つだと需要は少ないんじゃあないかな。依頼とか少ない気がするんだが。まあよく知らないぼくの勝手な想像だけど」
「それはそれ。わたしがやってみたいことには違いないのです。理想というか興味だね。いまだわたしは五里霧中。本当のわたしを模索中。北欧三国今は夢中。いずれ飛び出せ広き宇宙」
「実に栄生さんらしくて素晴らしい。栄生さんなら新しく住める惑星を探し当てることもできるよ。そうだ。そのためにぼくは死ぬまで栄生さんのために祈り続けるとしよう。もう二度と栄生さんに会えないのは残念だけど、ぼくは栄生さんのための行動をする、それを人生の目標にしよう」
いやあ、ぼくもなかなかにロマンを心得ているではないか。人の心の機微にも、正しく機敏であると自惚れてもいいだろう。
「なんで雨崎くんはわたしを地球外に放り出そうとしているのかな。さらには帰ってくるなと。雨崎くんはわたしをなんだと思っているの」
「栄生さんは世界でも有数の知識を持ち、冴え渡る知恵、それらを上手く活かせる決断力の持ち主なんだ。それをこんな片田舎の学校の教室の隅でのみ発揮されるなんて、宝の持ち腐れにもほどがある。この世界の至宝たる栄生さんには是非宇宙に、できることならば外宇宙まで足を運んでいただきたい」
「持ち上げ方が異常なんだけど。それに外宇宙って太陽系から外れちゃっているよね。それを足を運ぶって軽い表現はおかしくないかな」
「栄生さんは相対性理論を知っているかな」
「名前くらいだよ。あとは質量とエネルギーがどうとか、光と重力がどうとか。浅い内容すら知らないよ」
「それだけわかれば大丈夫。人類の至宝こと栄生さんだからね。光り輝いているんだ。もはや光そのものだから、きっと大丈夫」
相対性理論はブラフ、というかそう言っていれば説得力ありそうなだけ。それがわかれば何が大丈夫なのか、ぼく自身がわからない。関係あるのかさえわからない。重力と時間の関係が面白そうではあるけれど、真剣に勉強しようとまではならなかった。その前提を理解しないと意味がなさそうだから。
「雨崎くんがそんなにわたしのことを買っているなんて驚きだよ。さっきあれだけ栄生さんのためって言っていたんだから、祈ること以外でもできること、もちろんあるよね」
調子に乗りすぎた。栄生さんをもてはやすために余計なことまで言っていた。聞き流してくれる相手ではないことは重々承知していたはずなのに。栄生さんの重々しさの表現のために下手にでていたが、それが過度になっていた。こんなことで角が立ってしまっては意味がない。栄生さんは人間の移住先となる惑星を発見するという任務をその双肩に担っているはず。早期発見のため、今だけは期限付きのご機嫌取りだ。
「そうだね。ぼくがさっき言った通り、栄生さんのための行動がぼくの夢だからね。なんなりとぼくに申しつけるといいさ」
「なんでちょっと自暴自棄になっちゃっているの。まあそれはそれでいいよ。じゃあ雨崎くんの将来を想像するのを手伝って」
その程度なら大丈夫。どうせぼくに関することだ、大したことではない。
「いいよ。じゃあ栄生さんがぼくに物申したいことがあるんだね」
「そんなに敵愾心剥き出しなのはよくわからないけど、雨崎くん弁護士とか向いているんじゃないかな」
なんと大それたことを。ぼくが弁護士だと。向く向かない以前に法律を覚えるのが面倒ではないか。
「どうしてぼくに向いていると」
「だって弁護士なんて捻くれ者の集まりでしょう」
日本弁護士連合会に登録されているみなさん、侮辱罪です。二人きりなので公然性はないから罪にはならないが。素行の良いぼくは、すかさず弁護士の味方をするとしよう。
「きっと栄生さんは法の解釈を変えているように感じているんだね。法をしっかり定義しすぎると柔軟性に欠けるから、適用が難しくなると思うんだ。弁護士の方々は捻くれ者なんかじゃあなくて柔軟性に富んでいるんだ」
よし、これで法はぼくを守ってくれる。仮に栄生さんが本当に侮辱罪に問われても、ぼくは栄生さんを諭し宥めようとした。これは紛れもない事実。証人はいないが。
「それもわかるよ。でも重箱の隅をつつくどころか、窓のサッシの隅に綿棒を這わす姑のように執拗な感じがするんだよね」
「それは依頼者を守るために最善を尽くしているからだよ。反論しない弁護士なんて必要ないからね。あと姑のイメージまで固着させないでください」
「大丈夫だよ。大体は雨崎くんの悪口だから」
さっきの宇宙以降の話がいけなかったらしい。ぼくが、機嫌をとろうなんて出来もしないことをしようとしたのもいけなかった。たぶん態度に出ていたのであろう。そういえば敵愾心って言われていたな。機嫌をとろうとした直後に。つまり一瞬で悟られていたと。というかその後すぐにぼくは弁護士側についているではないか。機嫌をとるとは奪う方だったのか、ぼくの考えでは。
「栄生さん、ごめん。調子に乗って心にもないことを」
「心にもないことの内容は何かな」
「宇宙の件全般です」
「よろしい。でも雨崎くんが弁護士に向いていそうと思ったのは本当だよ。わたしがそう思っただけだから、軽く流してくれていいんだけど」
たぶん栄生さんは気付いている、ぼくにはぼくしかないことを。けれど栄生さんに心を許していることを。だから栄生さんの言葉は、ぼくの感情と同じようなものなのだ。栄生さんはぼくにいろんなものを見て、聞いて、感じてほしいのだろう。親より心配されていないかな、これ。
「雨崎くんは五年後、十年後の自分を想像できるかな」
「それは無理だね」
「そうだよね。わたしも無理だもん」
「栄生さんみたいに夢があってもそうなのか」
「さっき言ったでしょう、興味だって。だからわたしも雨崎くんと同じ。もう少し自分の可能性がどの方向にあるのか試してみたいもの。もしかしたらわたしがアインシュタインを超えちゃっているかもね」
自分の可能性、興味程度ならぼくにもある。夢なんて大きいものではなくていいんだ。人に興味はなくてもものにはあるのだから。
「まったく、相対性理論がなんたるかもわからないのにアインシュタインを超えるなんて。大言壮語もここまでくると見事だと思うよ。是非ともそれを体現してもらいたいものだ。そうすればぼくが栄生さんを祀る荘厳な社を建てることにするよ」
「本当素直じゃないよね、雨崎くんって。普通に頑張ろうでいいのに。あっ、あと五年後に雨崎くんにもう一回聞くからね。十年後の自分は何をしているのかなって」
「そのとき、きっとぼくはこう答えるよ。不慮の事故で両親を亡くしたぼくは、中小企業で悠々自適な暮らしをしているってね」
「その境遇で悠々自適は駄目な表現だよ」




