靴下
「雨崎くんは靴下をどうして靴下って呼ぶか知っているかな」
「確か肌着と同じ位置付けだったからだと。ほら、下着って言うよね。肌を一番下だと考えれば簡単かと。わかりやすく言えば、シャツの下に着る、靴の下に着る。これで靴下」
「へぇ、そうなんだ。でもでも日本にだって足袋があったわけだよね。だったら和足袋、洋足袋って言い方の方がわかりやすかったんじゃないかな。和菓子洋菓子みたいに」
これが一番聞きたかったことかな。これの推察はもちろんある。さて、素直に教えようかどうしようか。考えつく嘘が明らかに嘘だとわかることしか思いつかない。まあそれはそれで栄生さんの反応を見ることができるから楽しいか。よし、嘘をつこう。どうせもう一つも推察なんだから本当かどうかはわからないわけだし。
「和足袋とわさびが似ているからじゃあないかな」
投げ遣り。この投げ遣りさ加減は世界記録を狙えると思うんだ。ぼくもとうとう世界の頂点に立てるというものだ。そんなくだらないことを考えていると栄生さんが嬉しそうに言葉を発する。
「そういうことね、さっすが雨崎くん」
「一体どういうことですか、栄生さん」
「どうしてここで雨崎くんからの疑問文がくるの。実は適当なことを言ったんだね、まったく」
「はい、すいません。そして栄生さんはどういう結論に至ったのでしょうか」
「素直でよろしい。わたしの持論を話させてもらうね。和足袋という言葉は最初はあったの。洋装が日本に入ってきて間もない頃のある華族のお話。ある男爵が時代に乗り遅れないようにと洋装を仕立てました。ある雨の日、男爵は帰ってくるなり女中に『わさびをもってこい』と言ったのです」
ここでわさびか。確かに帰ってきてすぐなら玄関かもしれない。そしてどうしてわさびなのか、答えはすぐにわかった。
「革靴というものが湿気を逃がしにくいことを知って、菌がつかないようにわさびを靴の中に置いておこうと思ったのです。しかし聞き間違えた女中は和足袋を持ってきてしまいました。こういう事例はこの男爵だけでなく他でも度々起きていたのです。それでいつのまにか和足袋という言葉は無くなり靴下という言葉に成り代わってしまいました。どうかなどうかな」
靴にわさびっていいのか。確かに殺菌作用はあるらしいからおかしくはないのか。正直正解がわからないし否定もできない。ぼくはどうしてあんないい加減なことを言ってしまったのだ。栄生さんに付け入る隙を与えてしまった。これはぼくの油断だ。栄生さんを過小評価していたようだ。ここは負けを認めよう。
「そうだね。面白い説だと思うよ。和足袋とわさびっていうくだらない冗談がなければぼくは信じていたかもしれない」
「出典は雨崎くんだからね」
「ぼくの持論は別だよ。ただ単純に洋装になったときに呼び方も全部変えたんだ。ほら、襦袢も裾除けもなくなっているからね。形も大きく変わったからね。これぞ文明開化」
「足袋と靴下は似ているよ」
「足袋で靴を履くと鞐、つまり留め具が邪魔だからね。昔みたいに打紐ならなおさら」
「なんでそこまで考えているのに、わたしにはわさびなの。本当適当すぎだよ」
「いや、これはぼくの持論だけを共有しても話の広がりがないからね。栄生さんにもぼくの案と別のものを考えてもらいたかったんだ。実に興味深い推察だ。素晴らしい。なんと素晴らしいことか」
「大仰に言っても許されないことっていっぱいあるよね」
「はい、すいません」
「二度目だからね」
釘を刺された。もう木に打ち付けられた藁人形の如く微動だにしないほうがいいのだろうか。諦めるな。もがけば動けるはず。人を呪わば穴二つ、この釘の恨み晴らさでおくべきか。
「気をつけます」
そもそもがね、ぼくが最初だからね。さっきのぼくの気持ちは栄生さんのほうが相応しいからね。こうしておいて釘を抜いてもらったほうが痛くないんだよ、精神的に。安堵、なんと美しい響きか。
「そう雨崎くん、靴下といえばクリスマスだよ」
「ああ確かにそうだね。聖ニコラウスが靴下にコインを詰め込んでブラックジャックという凶器を作ったんだよね」
「そんな話ないよ。聖ニコラウスはいったい何をしようとしていたの」
「ああ確かに思い違いをしていたよ。他人の家の暖炉のそばに干してある靴下に窓からコインを投げ入れて遊びつつ、あわよくばコインも熱せられて火事にならないかと策謀していたんだ。けれど三日後家主に見つかって、その家主が泣いてやめてくれと懇願したんだったね」
「うん、絵面はかなり近いね。内容はほど遠いけど。雨崎くんは聖ニコラウスが嫌いなのかな」
「会ったこともない人を嫌いになるなんてぼくには到底できないことだよ」
つまり好きになることもないのだが。表裏一体、その実中身がないだけだけど。
「もう聖ニコラウスの話はやめにしようか。雨崎くんはクリスマスプレゼントをもらったことあるのかな」
なんでもらったことがある前提の話ではないのか。こういう時は、いつまでもらっていたか、ということで盛り上がるべきだ。もちろんもらったことは。
「ないです」
「そんな感じするもの。よくある親が仏教徒だから、ってやつかな」
「雨崎家は神を信じることなかれ主義を貫いているからね」
「えっとそれは、神を信じる、ことなかれ主義かな。それとも、神を、信じることなかれ主義、なのかな」
「もちろん後者だね」
「ブッダに教えを請うた人なの、雨崎くんの先祖は」




