忘れもの
「そういえば栄生さんは忘れものしやすいよね。どうしてそんなに忘れてしまうのか、理由は考えたことあるよね」
「もちろんよ。ただ優先度が低いものを忘れる。ほら、簡単でしょう」
どうして誇るのだろうか。わかっているなら改善するべきであろうに。まあ忘れものをしても幸せそうだから要らぬ干渉なのかもしれないが。
「その優先度の低いものはなんなのかな」
「家の鍵」
「だったら高いものは」
「あんぱん」
さも当然のように返答してきた。価値観がずれているのはぼくなのだろうか。しかし家の鍵は誰であろうと最重要な位置だと思われる。
「栄生さん、それは逆なんじゃあないかとぼくは思うのだが」
「違うよ、雨崎くんは勘違いをしているの。わたしは鍵を持つことを忘れることは多いけど、どこにあるかは把握しているの。あんぱんは鞄に入れることは忘れないけど、入っていることを忘れることが多いの。ほら、重要なものはしっかりと管理されているのよ」
「自分自身をしっかり管理したらそういうことにならないんだけどね」
「言ってくれるじゃない。じゃあ雨崎くんは忘れものしたことないのかな」
子供みたいに言い返してきた。なんと程度の低い争いに巻き起こそうとする。確かにぼくとて忘れものくらいはする、しかしぼくは大人の対応というものを教えてあげよう。争いに勝つ必要はないのだ。負けなければいいのだ。相手を叩いたところで得られるものはほんの些細な優越感、しかも相手は栄生さんだ。なんの利益があろうか。勝って兜の緒を締めろというが、重たくて小首を傾げることすらままならない。ならば勝たずに兜を脱いでしまうのがいいのだ。負けなければ失うものもない。維持こそが至高。
「もちろん忘れものくらいはするよ。でもぼくの場合は忘れたところで状況を左右しない程度のものだ。だから取りに戻る必要はないんだよ。つまり忘れものだったが忘れものでなくなるということだ。結果としては忘れものをしないということさ」
「屁理屈だ」
「屁理屈も理屈なんだよ、栄生さん。屁理屈の道理が合わないようなら道理を変えればいいんだよ。そうすれば理屈になってしまうのだから。そうすれば理屈と屁理屈に隔たりはない。この二つは陸続きということになるんだよ」
「もう少しわかりやすくお願い」
「そうだね、例えば今日ぼくは栄生さんに返さなければいけないものがあった。しかしそれを忘れたので栄生さんに謝り、栄生さんも明日でいいとぼくに猶予を与えた。この状況はわかるよね」
「うん、今のわたしなら絶対に猶予を与えないけどね」
「おお怖い怖い。まあこれは例え話だからね。ここで考えて欲しいのはどの位置から見るかなんだよ。まずぼくが忘れものをして栄生さんに謝った、この時点ではぼくは栄生さんとの約束を破ったひどい人間だ。いくら罵られてもしょうがない。甘んじて受けるだろう」
「絶対ああだこうだ言って誤魔化そうとするよね」
「ぼくは紳士だよ。誤魔化すなんて非道なことできないよ。栄生さんのお叱りをを真摯に受け止めるのは当然だ。まあそれはそれだ。次に約束が延長された点から考えてみるとどうだろう。ぼくが持ってくるべき日は明日になっているのだ。それに気持ちもそうなのだ。ぼくは明日持ってくると思っているし、栄生さんも明日受け取ると思っている。これではぼくが今日忘れものをしたと言えるのだろうか、そう言えないのだ」
「それは雨崎くんが忘れたという過程があっての結果だよね」
「それはその通りだ。だからぼくは一度忘れたと認めている。そしてその過程すら無かったことにしてくれたのは栄生さんだ」
「はい、雨崎くんの理屈の穴を発見しました。無かったことにはしていません。忘れた事実のうえで謝罪があったということで延期を許可したに過ぎません。というかね、一連の流れの時間軸を点で見ちゃだめでしょう。そんなんだと幕府なんて急に湧いて知らないうちになくなったって思っちゃうでしょう」
いや、歴史なんてわりと断片的なこと多いと思うんだけど。専攻していたりする人なら違うのかもしれないが。それにぼく、室町幕府なんて金閣寺銀閣寺くらいしかイメージないんだけど。いつのまにかなくなってると思っているんだけど。どうして幕府を例えに出しちゃったのかな。これはぼくだから通じないのだろうか。
「雨崎くん今日はなんだかいつも以上に面倒になっているよね。何かあったのかな」
「正直に申しますと本日財布を忘れてしまいまして。忘れものの話を振って、ユーモア満ち溢れるぼくの話をしようとしたのですがついつい本能が疼きまして。引くに引けない状態になった次第であります」
「雨崎くんのほうが自分自身を管理できていないじゃない」




