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前後

しかし回り込まれた。恥ずかしさのあまり鞄を取ることに手間取って行動をよまれた。

「逃さないよ、雨崎くん。さっきの話の素直な答えを聞くまで帰すわけにはいかないの」

 腕をがっしりと掴まれた。ちょっと待って。ぼくもう人として上がってはいけないところまで体温あるよ。今顔を見られるわけにはいかない。ぼくは天井を見ながら、わかった、と言って机の上に鞄を置く。そして観念したかのように椅子に座り溜息をつくとともに俯く。その後栄生さんも椅子に着くとぼくの鞄の上に肘を置き頬杖をついた。逃さない、その強い意志が肘の先端に感じる。というかぼくの鞄を潰していることへの罪悪感を感じて、栄生さんは上目遣いになりながら懇願するようにぼくに視線を向けて弁解を始める。

「わたしそんなに重くないもん。それにこれは癖だもん。前のあんぱんの原因だもん」

「あれの原因本じゃなかった。嘘をついたってことか。なんて人だ」

「だって恥ずかしいじゃない、肘で潰したって言ったら。あれは優しい嘘だから許す。わたしが許す」

 嘘をついた人が許すはおかしいでしょう。しかも優しい嘘じゃあない、完全に自分のためだよ。あんぱんの潰れかたをしっかりと見ておけばよかった。本での潰れかたではなかったと気付けたかもしれないのに。勿体無いことをした。

「まあ許すも許さないもないけれども。別段怒っているわけではないし。しかし許すのはぼくだ。それは譲れない。そして本題に入ろう」

「ありがとうごぜーやす。そして楽しみの本題だ。さあ、素直に話すのですよ」

 ぼくは咳払いをして喉の調子を確かめる。違和感なし。いざ。

「生前と生後って使うタイミングは基本生前のほうが後だよね」

「はい?」

「いや、生前って人が亡くなってから使うけど生後は生まれてから使うよね。前が後ろで後ろが前なわけなんだ」

「それは生まれると生きるの違いがあるんだから文字では逆だけど内容は別物じゃん。違うでしょう。本題はそれじゃあないでしょう」

 相当お怒りだ。話をいっさい引き延ばすことなく、しかし解説をいれてぶった斬った。

「はい。…いえ。そうですね」

「もうイエスなのノーなの。前だの後ろだの言っているけど雨崎くんは今、前後不覚なの。そんな人が話すことではないの。まず目の前の問題の解答を求めているの」

 しっかりと引用された。もう逃げ道を塞がれた。つまりとどめを刺されたということ。もう身動きができない状態。言いたいのか言いたくないのか、何を言いたいのか何がどうなのか、自縄自縛。言うことで壊れるのか勘違いをされるのか、そもそも勘違いなのか、やはり自縄自縛。案ずるより産むが易しとは言うものの産んではいけないものもあるのではないか。性格は栄生さんは前向き、ぼくは後ろ向きだ。いや、それも不覚なのか。ぼくはぼくをネガティヴだと思い込んでいるのか。後ろが前なのではないか。否定的とは言うがそれは前に進むための道を探しているのではないか。どうせ、どうせ、どうせ。そう思ってやらない。それは別段やりたいことではないのだろう。しなければいけないのでなければそれでいいと思う。今ぼくが感じていることは。未来が怖いのか。違う。自分自身がわからずに迷い惑っているのだ。自問自答しろ。そしてその答えを否定しろ。その否定はさらに否定できるのではないか。肯定は鵜呑みだ。一概には言えないがそういう側面も含んでいる。否定で前に進むこともできるのだ。後ろの後ろは前なのだから。

「栄生さん」

 ぼくは今のままを伝えてみる。これは恥ずかしいことではない。ただ思ったことを言うだけなのだから。今までだってそうだったじゃあないか。内容が違うけれども栄生さんを傷つけるわけではないのだ。

「ぼくは栄生さんのことを憎からず思っているよ。それどころか敬意を持っている。なんて言うか、自分があるって感じがして羨ましいんだ。ぼく自身はまだ自分がわかっていない」

 ぼくの目をしっかりと見据えている。大丈夫だよ栄生さん。ぼくは今、目の前の栄生さんを見ているからね。そう思うと自分の顔が少し緩んだように感じた。

「それに栄生さんと話をしているのは心地良いんだ。最初はぼくの一人の時間になんて入ってきて厚かましいんだって思ったんだけど。話をしていると、なんて言うかな、この人はこういう解答を求めているっていうのを考えずに話ができるんだ。それでいて自分の言いたいことを言っただけで返事は求めていない、ただ愚痴を聞いてほしいみたいなのとも違う。駆け引きみたいな感覚にはならないって言って伝わるかな。ゆったりした時間の流れの中に会話がある感じ。だから本当に栄生さんと話をするのは楽しみなんだ。栄生さんと一緒にいる時間は落ち着くんだ。うん、今伝えられることはこれだけかな」

 栄生さんは微笑んだ。それだけで伝わったって思える。言葉以上のなにかまで伝えられたようにすら思える。感情まで曝け出された気分だ。それを許されている。そうあることが自然だと思い込まされる。なんてずるい人だ。

「今伝えられないことは明日教えてね」

前言撤回はできない、後悔噬嚌。

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