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話さない理由

 今日は静かだ。一人でゆったりとした時間を堪能しているようだ。瞼を閉じていても透けて見えてくる橙に時間の流れを感じた。遠く聞こえる吹奏楽の音楽は動物の謝肉祭だろうか。ピアノが終わり力強いアンサンブルが聞こえてくる。リズムに身を任せるのもいいものだ。そう、現実が入れ替わる気分だ。少し前までの同級生の喧騒、感情、煩雑な関係、すべてが塗り変わっていく。

 瞼の裏は広大な草原、遠くにわずかではあるけれど海が見える。そこを目指して風が自由な道を通り草を撫でていく。ぼくはそれを目で追う。彼等は海に出てどこに行こうとするのだろう。新しい土地か、それとも長らく離れていた故郷か。あの風はどちらに思いを馳せるのか。そんな彼等に急ぎ追いつこうとする突風も現れる。置いていかれそうなのかな。それとも単なる遅刻か。慌ただしくもはっきりとした意志を感じる風はぼくの体すら揺らしていく。バイバイ。そう言って肩を叩いていく。そう、ぼくはここにいるわけではない。ここにいてはいけない。ぼくはそっと目を開く。

 やはりまだいるんだね栄生さん。どうして拗ねているの栄生さん。ちょっと怒っているのかな栄生さん。顔が少し険しくて赤らんでいるよ栄生さん。ちょっと前に教室に走って入ってきてずっと拗ねたような表情でぼくの前に座っている栄生さん。横を向いて無言のままの栄生さん。だれかぼくを助けてください。この窮地を凌ぐ術を与えてください。ポエミーなことで心を鎮めようとしましたが無理です。風と語り合いましたがなんの助けにもなりません。今ぼくは無力なのです。この広い世界に独りぼっちなのです。うん、それではだれも助けてはくれないね。だってだれもいないのだから。意を決して栄生さんの謎を解明するしかない。

 まず初めに試してみようと思います。

「栄生さんはぼくに怒っているのかい」

 栄生さんは首を横に振る。それは違う。ぼくの前に駆け込んでくるのだからそうではないだろう。まあぼくに謝罪を要求しているならばその限りではないが、特にこれといった思い当たる節がない。しかしこれで得られたことは重要だ。これで分かったことは栄生さんが言葉を理解しているということだ。それは当たり前だ。栄生さんがぼくの言葉にイエスノーの仕草をしてくれるということだ。つまりすべきことは栄生さんと水平思考クイズだ。様々な角度で原因を追求するのだ。思いつくことをしらみつぶしに問うていくのだ。

 まずは時間の確認からだ。授業中や休み時間に栄生さんに何かあったような感じはなかった。他のクラスメイトと話している時は普通に感じた。だから最初に確認すべきは。

「放課後に何かあったのかな」

 二度頷く栄生さん。時間は予想通り、正確な時間は必要ないはず。次に顔が赤い理由だ。

「栄生さんは怒っているのかな」

 何度も顔を横に、違うのか。だったらなんで眉間に皺が寄っているのか。

「今熱いかな」

 栄生さんは険しい表情のまま目を閉じる。そして小さく頷く。どういうことですか。熱いようなそうでないような、そんな感じか。これは聞き方が悪かった。

「病気っぽい熱があったりは」

 顔を横に振る。これも違う。まあそれなら帰るべきだ。もしくは保健室で休むのが普通か。もっとしっかりと観察するのだ。ヒントはきっとあるはず。夕日の色か肌の色か、しっかりと見極めろ。赤いのは全体か部分か。

「あっ耳にほくろ発見」

 栄生さんは勢いよく立ち上がる。大きく振りかぶって、叩かれました。普通に頭を叩かれました。普通に痛いです。気にしていたらしい。しかしわかったこともある。これは大きなヒントだったのだ。そう前向きに捉えて正解することで謝らずに作戦だったと言い張れるのだ。さあここからぼくが邁進するところを照覧せよ。

「ごめん栄生さん」

 まず謝った。これはね、心までそっぽ向かれて答えてくれない可能性があるからね。これこそが本当の作戦なんだよ。優位に立ったときほど下手に出るのだ。実るほど頭を垂れる稲穂かな、だ。意味は違うけど大体こんなものだ。今のぼくが優位なのかは知らないけれど。

「栄生さんは恥ずかしくて顔が赤いのかな。耳の件は抜きにして」

 少しムッと膨れたが二度頷く。しかし一度止まってから軽く横にも振る。なにこれ。

「恥ずかしさとは別に理由があると」

 コクコクコクと頷く。栄生さんをじっくり観察すると喋らなければ小動物系なのかな。いやそんなはずがない。さっき思いっきり叩かれたことを忘れていた。ぼくは忘れない。ほんの一瞬で忘れていたんだけど。

「別の理由はきっと痛みじゃあないかな、栄生さん」

 栄生さんは驚き拍手する。ついに表情が大きく変わった。はっとしてそのまま怒ったような顔に戻った。まあ恥じらいと痛みの表情だということはわかった。しかし今のを見るにもう話せるようになっているでしょうに。恥も一巡したでしょう。痛みもひいたでしょう。それでもその表情にするいうことはまだまだ続けろということですね。あとはそうなった原因だ。恥ずかしいと思うということは人に見られていた可能性が高い。あと顔が赤いのだから。

「栄生さん、転んだのかな」

 プルプルと首を振る。転んではいない。ならば簡単だ。なんていったって栄生さんなのだから。これが一番のヒントなのだ。

「走っていて何かにぶつかったんだね」

 少し渋い顔をしたけれどその後すぐに頷いた。妥協点だったようだ。イメージはそれでいいということだ。もう少しで答えに辿り着く。

「それを栄生さんは他の人に見られていたと」

 両腕でバツを作る。しかもブーって言いたげな顔をしていやがります。間違いなく元気になっているではないか、まったく。まあ視覚ではないなら聴覚かな。

「ぶつかった音を聞かれたのかな」

「多分そうなの。本当びっくりしたの。本を借りに図書室にスキップで向かっていたら最後のステップが思ったより飛んじゃって、入り口のドアに全力でぶつかって。ほら両開きの真ん中だよ。そこに膝、顔ってぶつけたんだよ。中には少なくとも図書委員は間違いなくいたよね。もう恥ずかしくて驚いて全力でここまで逃げてきたの。ここに着いて少し落ち着いたらなんだかさらに恥ずかしくなって、さらにアドレナリンがきれたのかな痛みがひどくなって。恥ずかしさとかで何か言いたいけどなにを言っていいのかわかんなくって。そうしていたら雨崎くんがわたしで遊び出したんだよ。ひどいじゃない、雨崎くん」

「栄生さんは遠近感が死んでいるよね」

 突然話し始めたら理由もなくぼくが責められた。これくらいは言っても許されるはずだ。

「でもよくわかったよね。ちょっと変わった理由だと思っていたのに。かなり近いところまで推理してたよね雨崎くん」

「まあ栄生さんの行動っていう最大のヒントがあったからね。普段の栄生さんの言動を考えればそこまで外さないかな」

「雨崎くんと話はするけれどそんなに一緒に行動したことないよね」

「いや栄生さんの行動は悪目立ちするんだよ。奇怪な動きだよ。今回が特殊じゃあなくていつもの延長線上だよ」

「そっか。それもわたしだもんね。そうそう雨崎くん、一緒に図書室に行こうよ」

「どうしてぼくまで」

「ほら、ぶつかったときドア外れちゃった気がして。一緒に謝って」

「栄生さんの恥に巻き込まれるのは遠慮します」

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