第28話:『黄金の肉と、再起動された世界の違和感』
エターナル・ランドの空は、燃えるような夕焼けから、深い群青色の夜へと移り変わろうとしていた。
フォーエバー・ホイールが消滅した跡地、クレーターのように抉れた大地の中心で、魔導キャンピングカー『トリオ・ハウス』は鈍い輝きを放ちながら停車している。
車体からは、激戦の代償としてうっすらと蒸気が上がっていたが、車内から漂ってくるのは、それとは比較にならないほど暴力的な「食欲をそそる香り」だった。
「よし、焼き加減は……表面がメイラード反応で黄金色、中は肉汁を閉じ込めたレア。これぞ『魔導調理』の極意たい!」
車外に設置されたポータブルコンロの前で、マルモが鉄パイプをトングに持ち替え、豪快に笑った。
彼の指先から放たれる漆黒の焔は、今や戦闘用ではなく、最高級の火力を維持するための「種火」として完璧に制御されている。
「マルモ、焼きすぎだ。俺の分はもう少し脂が落ちたところで止めてくれ。……それと、このタレ。カズヤが配合比率を演算したやつ、マジで絶品だぞ」
ナツキが二重顎を揺らし、すでに三皿目となる肉を口に運びながら、幸せそうに目を細める。
彼の盾は今、テーブル代わりとして地面に突き刺されており、その上には山盛りのサラダと、キンキンに冷えた(インベントリから出されたばかりの)飲み物が並んでいた。
「ナツキ、食べ過ぎだよ。……と言いたいところだけど、今日の消費カロリーを考えれば、基礎代謝の1.5倍までは許容範囲だね。ちなみにそのタレは、現実世界の有名店のレシピを魔導解析して、この世界の調味料で再現したものだ。成功率は98%だったよ」
カズヤがタブレットを片手に、肉を一切れ、上品に口へ運ぶ。彼のHPはリブートによって『1』から全快……といっても最大値が低いことに変わりはないが、それでも顔色は以前よりずっと良くなっていた。
「……みんな、本当にありがとう」
ユタカが、白銀の芯を傍らに置き、冷えたグラスを掲げた。
「あのまま一人でミラーハウスにいたら、僕はきっと、自分の名前すら忘れてたと思う。……こうしてまた、お前たちとバカ言い合いながら飯を食えるなんて、思ってもみなかった」
「湿っぽいこと言うなよ、ユタカ。お前がラリーを返してきたから、俺たちがここにいるんだ」
ナツキがグラスを合わせ、カチンと小気味よい音を立てる。
しかし、その団欒の最中、カズヤがふと、手元の端末に目を落とし、眉をひそめた。
「……おかしいな」
「どうした、カズヤ。肉が足りんか? まだインベントリに在庫はあるばい」
「いや、そうじゃない。……リブート後の世界データが、一部書き換わってる。……いや、『追加』されていると言ったほうがいいかもしれない。OSのコアを破壊したことで、システムの制限が外れたのか……今まで見えなかった『隠しセグメント』が開放されているんだ」
カズヤが空間にホログラムの地図を投影した。
彼らが今までいた「エターナル・ランド」の外縁部、そのさらに先に、巨大な黒い影のような新エリアが出現していた。
「……『不夜城』? なんだ、その名前。名前からして、サービス残業の匂いがプンプンしやがるな」
ナツキが顔をしかめる。
「おそらく、OSが管理していた『ゴミ箱』のような場所だろう。現実世界で挫折し、心を壊したプレイヤーたちが、最後に行き着く場所だと言われている。……そして、僕たちが探している『この世界の創造主』も、そこにいる可能性が高い」
「……行くしかない、ってことか」
ユタカが立ち上がり、白銀の芯を握り直す。
その時だった。
――ピロリンッ。
四人の脳内に、聞き覚えのある「通知音」が響き渡った。
『【……緊急クエスト:全プレイヤーへの謝罪と、強制労働の案内。……新エリア『不夜城』にて、新規プロジェクト「永遠の月曜日」が発動しました。……参加は義務です。拒否権はありません】』
「……月曜日だと?」
ナツキの顔から、食後の多幸感が一瞬で消え去った。
彼の背後で、盾が共鳴するように低い唸りを上げる。
「休みを奪い、青春を壊し……挙句の果てに『永遠の月曜日』だぁ? ……おい、お前ら。肉は全部食ったか?」
「ああ、完食たい!」
「エネルギー充填は120%だ」
「準備はできてるよ、ナツキ」
ナツキがキャンピングカーの運転席へ、のっしのっしと歩き出す。
「よし……。全速力で突っ込むぞ。日曜日の夜を汚す奴は、神様だろうがOSだろうが、俺の説教で叩き直してやるッ!」
トリオ・ハウスのエンジンが、これまで以上の爆音を上げて咆哮した。漆黒の焔が夜の荒野を照らし出し、四人は新たな戦場、不夜城へと向かって発進した。
漆黒の焔を吹き上げる『トリオ・ハウス』が、霧深い境界線を突破した瞬間、視界が開けた。
そこに広がっていたのは、空を覆い尽くすほどの超高層ビル群が、毒々しいネオンサインで埋め尽くされた異様な街――不夜城だった。
ビルの窓からは青白いPCモニターの光が漏れ出し、地上には顔のない影のようなプレイヤーたちが、うつむきながら高速で歩き回っている。
「……おいおい、地獄かよ。ここだけ空気が、日曜日の深夜23時30分の味がしやがるぜ」
ハンドルを握るナツキが、不快そうに顔をしかめる。
街の中央には、巨大なデジタル時計を冠したタワーがそびえ立ち、その針は常に「月曜日の午前0時」の1分前を指して、激しく小刻みに震えていた。
「ナツキ、上だ! 『督促』が来るぞ!」
助手席のカズヤが叫ぶ。
空から降り注いできたのは、巨大な槍の形をした真っ赤な封筒。それは「至急」という文字が刻まれた、OS直属の飛行型エネミー『督促のガーゴイル』の群れだった。
「よかばい! 追い込みの時期にメールば連発する奴は、この『強火』で一気に燻製にしてやるばい!」
ハッチから身を乗り出したマルモが、鉄パイプを天に掲げる。
『魔導調理:焦がし王子の特大フランベ』
噴き出した漆黒の焔が巨大な扇形に広がり、急降下してきたガーゴイルたちを、その「督促内容」ごと一瞬で焼き払った。
「ユタカ、右からの一団を任せる!」
「了解だ、カズヤ!」
ユタカは走行するキャンピングカーの屋根を蹴って、空中に飛び出した。
白銀の芯が、不夜城の冷たいネオン光を反射して鋭く輝く。
彼は空中で、ガーゴイルが放った「責任」という名の追尾弾を芯の腹で捉えた。
「……重いな。だが、今の僕なら打ち返せる! 『星霜のラリー:全方位カウンター』!」
パァンッ! と、物理演算を超越した乾いた音が不夜城に響き渡る。
ユタカが放った一撃は、単なる反射ではない。カズヤが事前に施した「ウイルス・バスター」のコードが乗った、特殊な一撃だ。着弾したガーゴイルたちは、石化するように機能を停止し、不夜城の地面へと叩きつけられていった。
「ナツキ、このまま直進して! 中央タワーの前に、物理障壁……『未承認の壁』が展開されている!」
「『未承認』だぁ? ……だったら、俺が直接ハンコを押しに行ってやるよッ!」
ナツキがアクセルを床まで踏み込む。
キャンピングカーの前面に、ナツキの固有スキル『全方位メンタルガード』が物理的なラム(衝角)として形成された。
「お前ら、しっかり捕まってろよ! 根回しもなしに、真っ正面から『決裁』を取ってやるぜ!」
ドゴォォォォンッ!!
ナツキの「究極の図太さ」が、OSが用意した『未承認の壁』を文字通り粉々に粉砕した。
しかし、壁の向こう側で待ち構えていたのは、ガーゴイルなど比較にならない威圧感を放つ、巨大な人型の影だった。
それは、数千本のネクタイを全身に纏い、六本の腕にそれぞれ「印鑑」「電話」「電卓」「書類」「時計」「ムチ」を持った、不夜城の門番。
中ボス――『執拗なる中間管理職』。
「……ゲッ、あれは俺が一番苦手なタイプのツラだ」
ナツキが車を急停車させ、盾を構えて外に飛び出した。
ビーストが持つ六本の腕が一斉に動き出し、空気を切り裂くような「叱責」を放つ。
『【……なぜ定時に帰るのですか。……なぜ昨日のミスを繰り返すのですか。……君の代わりは、いくらでもいるのですよ】』
その言葉の波動が、不夜城の重力さえも書き換え、四人の動きを縛り付ける。
「……カズヤ、こいつ……精神干渉のレベルが今までと違う。……足が、動かねえ……」
ユタカが芯を支えに、膝をつきそうになる。
だが、その窮地を救ったのは、マルモの豪快な叫びだった。
「おい、化け物! 代わりがおるなんて、おいたちの青春にゃあ通用せんとばい! ナツキ、カズヤ、ユタカ! こん街の『空気』ごと、まとめて飲み干してやるばい!」
マルモの全身から、これまでにないほど禍々しく、そして温かい漆黒の焔が、キャンピングカーの魔導エンジンと共鳴して噴き上がった。
「カズヤ、演算は任せたたい! ナツキ、盾ば貸せ! ユタカ、最後は……お前がぶち抜けッ!」
四人の「放課後」を賭けた、不夜城での時間外労働(ボス戦)が、今まさに火蓋を切った。
不夜城の中央広場。ネオンの墓標に囲まれたその場所で、四人はかつてない圧迫感に晒されていた。
眼前に立ちふさがるのは、数千本の使い古されたネクタイを皮膚のように纏った巨躯
――『執拗なる中間管理職』。
その六本の腕が蠢くたび、周囲の空間には「未達のノルマ」や「進捗確認」といった絶望的な文字が、物理的な質量を伴って降り注ぐ。
「……っ、こいつの放つ『重圧』……ただの精神干渉じゃない。物理的な重力そのものを書き換えてやがる……!」
カズヤが膝をつきそうになりながら、端末のコンソールを必死に叩く。彼のHPは全快しているとはいえ、このエリア特有のデバフ『サービス残業の呪縛』によって、秒単位で最大値が削り取られていた。防御力ゼロのカズヤにとって、この場の空気そのものが致命的な毒だ。
「カズヤ、下がってろ! ……おい、化け物。お前の言ってることは、一から百まで聞き飽きたんだよ!」
ナツキがどっしりと前に出る。二重顎を震わせ、脂ぎった顔に不敵な笑みを浮かべながら、彼は巨大な盾を地面に叩きつけた。
固有スキル『全方位メンタルガード』。
通常は防御にのみ特化したそのスキルが、今のナツキからは、周囲の「不条理」を物理的に押し返す斥力として放たれていた。
「『代わりはいくらでもいる』だぁ? ……だったら、その代わりの連れてきてみろよ! 俺のこの、世俗にまみれた、食い意地の張った、図太いメンタルまでコピーできる奴がいるんならなぁッ!」
ナツキの咆哮。その瞬間、ビーストが持つ六本の腕が一斉に動いた。
右上の腕が持つ『印鑑』が巨大化し、空から「不承認」の文字が刻まれた巨大な分銅としてナツキを押し潰そうと降り注ぐ。
「マルモ! 火力を右上に集中させろ! 承認されるまで焼くんだよ!」
「よかばい! おいたちの辞書に『差し戻し』という文字はなか! 『魔導調理:焦がし王子の地獄蒸し・特盛り』ッ!!」
マルモが鉄パイプを突き出す。漆黒の焔はもはや炎の形を留めず、超高圧の熱線となって巨大な『印鑑』を直撃した。
鋼鉄をも溶かす熱量が、OSの不当なジャッジを文字通り蒸発させていく。焦げたネクタイの悪臭が広場に充満するが、マルモの勢いは止まらない。
「ユタカ、次は左ばい! あの『時計』が針を回しよる!」
ビーストの左腕が持つ『時計』が逆回転を始めた。周囲の時間が歪み、カズヤの移動速度が極端に低下し、ナツキの防御膜に「経年劣化」のバグが発生し始める。
「……そうか。時間を奪うのがお前の仕事なら、僕はその時間を『ラリー』として受け取ってやる!」
ユタカが跳躍した。白銀の芯が、歪んだ時空の隙間を縫うように走る。
固有スキル『星霜のラリー(クロノス・ストローク)』。
ユタカは、ビーストが放つ「時間の遅延」という概念そのものを「ボール」として定義し直した。
「一秒、一分、一時間……! 俺たちが無駄にしてきた、だけど大切だった放課後の時間を……全部乗せて返すッ!」
鋭いスイング。白銀の軌道が『時計』の文字盤を強打した。
逆回転していた針が激しく火花を散らして停止し、逆にビースト自身の動作が、まるでスローモーションのように鈍化する。
「今だ……! カズヤ、奴の『論理構造』を暴け!」
ユタカの声に応え、カズヤが限界を超えた速度でコードを打ち込む。
『零式・刹那の断絶』
一瞬だけ、カズヤの意識が不夜城のサーバー深層へとダイブした。
「……見つけた。こいつの核は、胸元にある『終わらない会議の議事録』だ。……ナツキ! あれを物理的に破棄して!」
「おう、合点承知の助だ! 全員、俺の背中に隠れてろ! ……これより、本日の『最終決裁』を執り行う!」
ナツキが管理者権限をフル稼働させ、共有インベントリから「何か」を取り出した。
それは武器でも防具でもない。
かつて彼が現実世界で使い倒し、異世界に持ち込まれた際に「ゴミデータ」として処理されていた、ボロボロの『ビジネスバッグ』だった。
「お前ら、よく見てろ。これが大人の、本当の『不屈』ってやつだ!」
ナツキがバッグを高く掲げ、指をパチンと鳴らす。
『不屈の魂・インパクト:サービス終了のお知らせ』
ナツキの孤独、社畜としての悲哀、そして「今この瞬間、仲間と笑っている幸福」が、純粋な質量エネルギーへと変換され、ビジネスバッグを巨大な彗星へと変貌させた。
「食らえ! これが俺の、全人生を懸けた……『有給休暇』だぁぁぁッ!!」
放たれた衝撃波は、ビーストが持つ『書類』も『電卓』も、そしてその本体である数千本のネクタイをも一気にシュレッダーにかけるように粉砕した。
中心核である「議事録」が露出し、ユタカがトドメの一撃を構える。
「これで……終わりだ!」
ユタカがマルモの焔を纏い、カズヤが算出した最短ルートを通り、ナツキが作った「道」を駆け抜ける。
白銀の芯がビーストの核を貫いた瞬間、不夜城の夜空を覆っていた重苦しい曇天が、文字通り「削除」された。
――パリン、パリンッ、パリンッ……!
ビーストが光の粒子となって霧散し、不夜城を支配していた「午前0時1分前」の時計が、ついに0時を回り、明るい朝の光が街に差し込んできた。
「……はぁ、はぁ。……終わったか?」
ナツキがその場に座り込み、汗を拭う。
カズヤは震える手で眼鏡を直すと、ふっと息を吐いて笑った。
「……ああ。不夜城のOSプログラム、完全に沈黙したよ。……それにしても、ナツキ。さっきの『ビジネスバッグ』、あんな使い道があったなんて計算外だったよ」
「ガッハッハ! ナツキの図太さは計算できんたい! さあ、街が明るくなったところで、次は本物の『朝飯』ば食いに行くばい!」
マルモが二人の肩を叩き、ユタカを呼ぶ。
ユタカは、消えていくビーストの残滓を見つめながら、静かに芯を収めた。
「……不夜城を越えた。次は、いよいよ『創造主』の領域かな」
「ああ。だがその前に、インベントリにある最高級のコーヒーを淹れてくれよ。この勝利の余韻に、安物の味は似合わねえ」
ナツキの言葉に、四人は顔を見合わせて笑った。
朝日が差し込む不夜城。かつての絶望の街は、今や彼らの新しい旅立ちを祝う舞台へと変わっていた。
キャンピングカー『トリオ・ハウス』のエンジンが、再び軽やかに回り始める。




