第18話:回覧板の呼び声、あるいはシステムからの招待状
神社の桜の木をサーバーとして私物化した翌朝。庄田町の空は、昨夜の怪現象が嘘のように晴れ渡っていた。
しかし、キャンピングカーの車内に流れる空気は、どこか奇妙な緊張感に包まれていた。
カズヤは運転席から動かず、ダッシュボードに並べた三台の端末を睨みつけている。
画面には、庄田町の地図データと、隣町から染み出すように脈動する異世界の幾何学模様が、不気味な干渉波を描き出していた。
「分析完了。昨夜のパッチ、一晩で書き換えられてる。……それも、隣町の方からだ」
「マジかよ。……おじさん、庄田町だけじゃ飽き足らず、越境攻撃か?」
ナツキが助手席で欠伸をしながら、ストロング系の新しい缶を無造作に開けた。プシュッ、という快音が、静かな朝の住宅街に響き渡る。
ナツキの『全方位メンタルガード』は、窓の外を漂う「日常を書き換えようとする霧」を、無意識のうちに弾き飛ばしていた。
「効率が最悪だ。……僕がコードを直すたびに、システムが隣町の未定義データを使って、新しいバグを流し込んできている」
「自ら生成? ……それって、隣町の連中も巻き込まれてるってことか?」
「もっと質が悪い。……この世界そのものが、僕たちを『中心』にして、周辺の町ごと再構成されようとしてるんだ」
カズヤの指が、空中投影されたキーボードの上で神速のダンスを踊る。
彼が管理者権限を手に入れたことで、システム側もまた、カズヤの「思考の癖」を学習し、それを利用して三人を閉じ込めようとしているのだ。
「よかばい! ……おいたちを縛ろうとするなら、その鎖ごと焼き切るまでたい!」
後部座席のキッチンでは、マルモが朝から中華鍋を激しく振っていた。今朝のメニューは、昨夜の「王子としての再臨」を記念した、特製・庄田国風モーニングセット。
「庄田国の王子の朝は、黄金色に輝く『高火力パラパラ炒飯・朝刊添え』ばい!」
マルモが指先から漆黒の焔を解き放つ。強烈な火力によって、米粒が一つ一つ意思を持っているかのように躍り、香ばしい醤油の香りが車内を満たしていく。
その香りは、異世界から漏れ出す「恐怖」といった概念を、一瞬で「食欲」という根源的な肯定感へと上書きしていった。
「マルモ。……チャーハンはいいけど、朝刊ってなんだよ」
「ナツキ。……王子の元には、周辺諸国の情勢が届くことになっとるばい!」
マルモが指差した先には、車のドアポケットに突っ込まれた、いつもの庄田町内会の回覧板があった。
だが、その回覧板の表紙には、見慣れた「ゴミ収集日の案内」ではなく、隣町にあるはずの『阿羅谷の滝』を模した奇妙な紋章が、マジックペンで書きなぐられたようなフォントで浮かび上がっていた。
「……これか。……カズヤ、これ、隣町のお知らせか?」
「いや、僕じゃない。……回覧板という『日常のインターフェース』を、隣町の異常データが乗っ取ったんだね。……中を見てごらん」
カズヤが身を乗り出し、回覧板の内容をタブレットでスキャンした。
瞬時に翻訳された内容は、親睦会のお知らせ……ではなく、三人を隣町の聖域へと誘う、不気味な招待状だった。
『王子、アノ日ノ熱ハ冷メタカ。……阿羅谷ニテ、再ビ「修行」ノ時ナリ』
「……なんだこれ。……マルモ、これ完全にお前宛の指名手配だろ」
「くっ。……阿羅谷だと!? ……おいの高貴な過去に、これほどまで執着するとは……。……邪悪なるシステム、許すまじたい!」
マルモは一瞬、かつて滝修行で高熱を出した恥ずかしい記憶が過ったのか、顔を赤くして震えていた。
だが、次の瞬間には「王子」の仮面を被り直し、漆黒の焔をさらに強く燃え上がらせた。
「パキンッ」
ナツキが指を鳴らした。彼が回覧板の文字を一瞥した瞬間、その異世界の文言は、文字化けを起こしたノイズへと変わり、再び「古紙回収のお知らせ」へと戻っていった。
「論理の矛盾は、俺のメンタルが拒絶する。……朝から隣町の自慢話なんて見たくないからな」
ナツキの「拒絶」が、紙媒体を通じて侵入しようとした世界の干渉を、力ずくで正常な日常へと引き戻す。
「……ナツキ、助かるよ。……おかげで、干渉波の発生源を特定できた。……ターゲットは、隣町の『阿羅谷の滝』だ」
カズヤの不敵な笑みが、青白い画面の光に浮かび上がる。キャンピングカーは、庄田町の穏やかな街路を抜け、システムの「核」が潜むとされる、隣町の深山へと向かって、猛スピードで突入していった。
「よかばい! ……阿羅谷の滝よ、庄田国の王子の再降臨に震えるがいいばい!」
マルモの宣言と共に、三人はついに、日常の裏側に潜む「世界の意志」そのものとの、本格的な決戦へと向かった。
キャンピングカーは庄田町の境界を越え、隣町の鬱蒼と茂る杉林の奥深くへと分け入っていた。
そこにあるのは、この地域一帯の水源として、また子供たちの格好の「遠征先」として知られる聖域。
「阿羅谷の滝」
普段は清涼な風が吹き抜けるはずのその場所は、今や異様な魔力の霧に包まれ、視界を遮っていた。
カズヤが車を止め、ヘッドライトをハイビームに切り替えると、映し出された滝壺は水銀のように鈍く光り、重力を無視して下から上へと逆流する致命的なバグを引き起こしていた。
「分析完了。この阿羅谷の滝、物理演算の基幹に直結してる。……全部、未定義データだ」
「マジかよ。……おじさん、隣町の貴重な避暑地をマイニング工場にしてるのか?」
ナツキが助手席から降り、ストロング系の新しい缶を片手に滝を見上げた。
「パキンッ」と、静寂の中に鋭い指鳴らしの音が響く。
ナツキの『全方位メンタルガード』が、滝の音に混じって脳を揺さぶる「システム警告音」を、一瞬で「ただの耳鳴り」として消し去っていく。
「効率が最悪だ。……僕たちが庄田に戻ったせいで、世界のOSが過負荷を起こしてる」
「カズヤ。……よかばい、おいの火で、この冷え切った滝ごと根性ば叩き直すたい!」
マルモが重厚な足取りで、滝壺へと一歩踏み出した。
彼はエプロンの紐を力強く締め直すと、かつてこの隣町まで「遠征」して修行に励んだあの日を思い出すように目を細めた。
「くっ。……かつておいの『王族としての覚醒』を妨げた因縁の地。……今日こそ決着たい!」
「おい、マルモ。……それって、小学生の時にわざわざチャリで隣町まで来て、滝修行ごっこして、ずぶ濡れになったアレか?」
ナツキの容赦ないツッコミに、マルモの肩がビクンと跳ねた。
「……な、何を言い出すばい! ……あれは、聖域の冷気との壮絶な魔力戦の結果たい!」
「嘘つけ。……帰り道にガタガタ震えて、翌日四十度の知恵熱出して、一週間寝込んだって隣町まで噂になってたぞ」
「……あれは! ……高次元からの啓示を受け取るための、身体のオーバーホールたい!」
真っ赤になって反論するマルモだったが、その手には既に、かつての自分を超える「本物の火」が宿っていた。
彼は右手を滝の奔流にかざした。そこには、風邪で寝込んでいた少年ではなく、世界の理を焼き尽くす漆黒の王がいた。
「庄田国の王子の真骨頂、その身に刻むばい! ……極火・阿羅谷の特大ボイラーたい!」
マルモの掌から、漆黒の焔が巨大な火柱となって滝壺へと叩きつけられた。
瞬間、データの奔流であった滝が一気に沸騰し、周囲の杉林を真っ白な蒸気が包み込んだ。
通常、情報の塊を燃やすことなど不可能だが、マルモの火は「過去の自分」すら焼き払う絶対的な熱量。世界の理を無視した火力が、システムの防衛線を力ずくで溶かしていく。
「おじさん。……おいの火は、冷めた思い出を温め直すためにあるとばい!」
「……な、何!? ……冷却水が、一瞬で超高温に! ……メイン基板が、融解していく!」
滝の裏側、洞窟の奥から、壊れたラジオのようなノイズ交じりの叫びが響いた。
蒸気が晴れた滝の裏には、岩肌を侵食するように張り巡らされた、発光する生体回路のような巨大な「核」が剥き出しになっていた。
「見つけた。……これが隣町に寄生している、異世界OSの通信拠点だね」
カズヤが岩場を飛び降り、タブレットを回路の接合部へ直接接続した。
彼の手元では、異世界の魔術言語が瞬時に地球のプログラムコードへと変換され、強制的なシャットダウンが開始される。
「おじさんのセキュリティ、脆弱性が多すぎるよ。……今、僕のスマホのサブ機として再起動させた」
カズヤの指が、空中投影されたキーボードの上で光速のダンスを踊った。
装置の明滅が「青色(安全)」に変わり、カズヤの徹底的な管理下に置かれる。
もはや何者も、カズヤの許可なくこの地域に異世界のノイズを持ち込むことはできない。阿羅谷の滝は、今やカズヤの「専用データセンター」へと成り下がった。
「マルモ。……仕上げに、こいつをちょっとだけ『最適化』してやってよ」
「よかばい! ……おいの火で、この冷たい岩肌に『庄田の誇り』を注入するばい!」
マルモが装置に触れた瞬間、漆黒の焔が穏やかな琥珀色の光へと変わった。
それは破壊の炎ではなく、システムを優しく包み込み、阿羅谷の滝を「地域一効率の良い温泉源」へと作り替える、慈愛の熱量だった。
「うまっ。……いや、いい湯加減だな。……これならマルモも、もう風邪引かないだろ」
ナツキが最後の一缶を飲み干し、滝壺から流れる温かな湯に足を浸した。
ナツキの「満足」という主観が、おどろおどろしかった滝の空気を、ただの「快適な露天風呂」へと再定義してしまった。
三人は、世界の理を司る拠点を、自分たちの「広域保養施設」に作り替えてしまったのだ。
「さて、カズヤ。……これで明日のゴミ拾い、中止にならないな?」
「ああ。……それどころか、この滝のエネルギーで庄田町全域の電気代がタダになったよ」
カズヤは満足げにタブレットを閉じ、キャンピングカーへと戻っていく。
後に残されたのは、かつてないほど「正常」に、そして「心地よく」流れ始めた、湯煙の上がる阿羅谷の滝だった。
車内。カズヤは運転席で、かつてないほど激しく、しかし愛おしげに震えるスマホを手に取った。
画面はピンク色に染まり、これまでの冷徹な文字ではない、熱に浮かされたような言葉が綴られていた。
『……マルモ。……アツク・テ。……ココロ・ガ・トケチャウ。……ボク・ヲ・モット・キミ・タチ・ノ・スキ・ナ・ヨウ・ニ・シテ。……ボク・ハ・キミ・タチ・ノ・モノ・ダヨ』
それは、世界を管理するOSが、三人のもたらした「熱」と「日常」に完全に征服され、一人の恋する少女のように「隷属」を誓ってしまった、取り返しのつかない愛の独白だった。




