第四地区の願い
第四地区は、もう“予定地”とは呼べなかった。
石畳は敷かれ、主要な通りは整えられ、区画ごとの骨組みもほぼ出来上がっている。
第一地区ほどの政治性はなく、第二地区ほどの荒々しさもなく、第三地区ほどの物資の匂いに満ちてもいない。
だが、そのぶん――これから何にでもなれる余白が、まだ残っていた。
高台から第四地区を見下ろしながら、リオは静かに息を吐いた。
「……ほんとに、ここまで来たな」
眼下では、職人たちが足場を組み替え、荷運びの魔人たちが資材を運び、少し離れた上空ではドラゴンがゆるく旋回している。
遠くには、第三地区を通る人と荷の流れが見えた。
さらにその先には、第五地区の断崖絶壁――ザルクスが作り上げた、あまりにも真っ直ぐで人工的な壁が、空を断つようにそびえている。
だが今日、レインの視線はそこにはなかった。
第四地区の、まだ手のついていない一帯。
広く、平らで、けれど空っぽな土地。
そこをずっと見ている。
リオが横目で問う。
「あるんだろ」
「言いたいこと」
レインは少しだけ黙った。
それから、昔のように勢いだけで喋るのではなく、一度息を整えてから口を開いた。
「……第四地区に、作りたいものがあります」
その声で、周囲の空気が自然と集まる。
ノア。
リュメリア。
ヴァル。
ザルクス。
ミア、タオー、グラー。
ヴァイスとグローダも、少し後ろで静かに話を聞いていた。
レインは、まっすぐ前を見たまま言う。
「闘技場を作りたい」
「それと」
「魔術・剣術・異能・スキルを学べる、大型の練習施設が必要です」
タオーが「おお……!」と声を漏らし、すぐにグラーに睨まれて口を押さえた。
だが、その反応はこの場のほぼ全員の内心に近かった。
レインは続ける。
「今の第一、第二、第三はもう回ってる」
「街としても、拠点としても、かなり形になった」
「でも、だからこそ足りない場所が見えてきた」
「足りない場所?」
と、リオ。
「鍛えるための場所だ」
レインは即答した。
「俺たちは今まで、実戦の中で育ってきた」
「それは間違ってない」
「でも、実戦だけじゃ限界がある」
リュメリアが腕を組んだまま、小さく頷く。
「たしかに」
「戦場でしか磨けないものもあるけど、戦場に出る前に整理しないと伸びないものもあるわね」
レインの目が、少しだけ鋭くなる。
「第一部隊《黎牙》の連携をもっと強くしたい」
「若手の底上げも必要だ」
「冒険者たちも増えた」
「各地区のギルド同士で技や知識をぶつけ合う場所も要る」
一拍。
「ここを、ただの空き地で終わらせたくない」
「国全体の戦力水準を引き上げる“鍛える地区”にしたいんです」
静かだった。
誰もすぐには口を挟まない。
その構想が、思いつきではなく、すでにレインの中で整理されていると分かったからだ。
リオは、しばらく黙って第四地区を見た。
闘技場。
練習場。
魔術。剣術。異能。スキル。
若手。
冒険者。
ギルド。
全部がちゃんと繋がっている。
「いい」
リオは頷いた。
「第四地区は、それで行こう」
タオーが思わず飛び上がる。
「うおっ、マジで!?」
「マジだよ」
と、リオ。
「ただし作る以上、半端なもんにはしない」
レインの肩から、少しだけ力が抜けた。
だが、そこで終わりではなかった。
「……それで」
と、レイン。
その声音が少しだけ改まる。
レインは、今度はザルクスの方へ向き直った。
「ザルクス殿」
「お願いがあります」
その言い方に、タオーが小さく目を剥く。
「うわ」
「ちゃんとしてる」
グラーも、思わず小さく息を吐いた。
「……ほんとに成長したわね」
ザルクスはにやりと笑う。
「言ってみろよ」
「珍しく礼儀があるじゃねえか」
レインは動じなかった。
「第四地区の開発を急ぎたい」
「そのために、魔人とドラゴンをもう少し増やせませんか」
「無理を言っているのはわかっています」
「でも、今ここで進める価値があると判断しました」
ザルクスは少しだけ目を細めた。
2年前なら、レインはもっと雑に頼んでいただろう。
今は違う。
理由があって、順序があって、立場もわかった上で頼んでいる。
「……いいだろ」
ザルクスは肩をすくめた。
「手は増やす」
「ただし、使い方を間違えんなよ」
「はい」
レインは短く頭を下げた。
その返しを見ていたヴァルが、小さく笑う。
「言い方まで育ったな」
「昔なら『寄越せ』で終わってただろ」
「うるさい」
と、レイン。
「俺だって学ぶんだよ」
「いいことだ」
ヴァルは素直に頷いた。
だが、レインの“願い”はそこで終わらなかった。
「ヴァル殿」
「ノア殿」
二人が目を向ける。
レインは、今度は真正面から言った。
「稽古をつけてください」
場が、少しだけ静まる。
ヴァルは楽しそうに笑った。
「ほう」
「剣と魔術、両方か」
ノアも、穏やかな目のまま問う。
「理由を聞いても?」
「あります」
レインは即答した。
「でも、今の俺じゃまだ上手く言葉にできません」
「ただ、いまの俺に必要なのは、たぶんこの二人です」
ヴァルが喉で笑う。
「いいねえ」
「そういう勘は嫌いじゃない」
ノアも頷いた。
「承知しました」
「逃げないことが条件です」
「逃げません」
レインの返しは早かった。
その流れを見ていたタオーが、待ってましたとばかりに手を上げる。
「じゃあ俺も!」
「リュメリア様!」
「俺にもお願いします!」
「は?」
リュメリアが眉を上げる。
「声と超音波、まだ全然まとまりきってなくて!」
「たぶん俺が一番“制御”を学ばなきゃいけないと思うんです!」
「だから――」
リュメリアは、しばらく黙っていた。
その沈黙に、タオーの背筋が少しずつ固まる。
やがて、リュメリアがふっと鼻で笑った。
「いい度胸ね」
「でも、悪くないわ」
タオーの顔がぱっと明るくなる。
「ほんと!?」
「ただし」
リュメリアの目が細くなる。
「泣いてもやめさせないけど」
「……はい!!」
グラーも、一歩前へ出た。
「ザルクス様…」
「私にも稽古を」
「俺?」
ザルクスが少し意外そうに笑う。
「はい」
グラーはまっすぐだった。
「遠距離も近接も、どちらも中途半端にしたくない」
「潰す力を、もっと強くしたい。一度に大量の魔害の核を一捻りで潰したいのです。」
「なら、あなたが最適だと思いました」
「なるほどな」
ザルクスが低く笑う。
「いいだろ」
ミアは少し遅れて前へ出た。
「……ラルラゴ様」
ラルラゴが目を向ける。
ミアは緊張していた。
けれど、逃げなかった。
「私にも、教えてください」
「聞こえるだけじゃ足りない気がするんです」
「もっと奥を……」
「戦いの芯みたいなものを、知りたい」
ラルラゴは、しばらく沈黙した。
その間に、タオーが勝手に息を詰め、グラーが横で腕を組む。
やがてラルラゴは、短く言った。
「いい」
ミアの目が、ほんの少しだけ開く。
「ただし」
「半端な覚悟では来るな」
「はい」
ミアは、はっきり頷いた。
そして最後に、意外な二人が前へ出た。
ヴァイス。
そしてグローダ。
「……アヴニール様」
と、ヴァイス。
「教えを乞いたい」
と、グローダ。
さすがに、その場の空気が少しだけ揺れた。
魔想へと覚醒し、幹部であるヴァイス。
第一部隊長であり、魔創のグローダ。
その二人が、自ら頭を下げたのだ。
アヴニールは、窓辺からゆっくり振り返る。
「私に?」
ヴァイスが静かに言う。
「はい」
「今の私に一番必要なのは、あなたの視点だと判断しました」
グローダも続けた。
「魔神や魔創としての誇りはあります」
「ですが、今必要なのは誇りより成長です」
「ゆえに、教えを乞います」
ノアが目を伏せ、リュメリアがほんの少しだけ口元を動かす。
それは好意的な沈黙だった。
アヴニールの唇に、ゆっくり笑みが浮かぶ。
「……いい子たちね」
甘い声だった。
けれど、その目はしっかり見定めている。
「いいわ」
「教えてあげる」
その返答に、ヴァイスもグローダも静かに頭を下げた。
高台の風が吹き抜ける。
第四地区。
ほぼ形になった土地。
その余白に、闘技場と大型練習施設の未来が重なる。
そして、そこに集う者たちもまた、ただ若いだけでは終わらない。
自分に足りないものを知り、誰に教えを乞うべきかを見極め、次の段階へ進もうとしている。
リオは、その全員を見て、小さく息を吐いた。
「……いいな」
「何が?」
と、レイン。
「国になってきたってことだよ」
リオは笑う。
「建物だけじゃなくて」
「人の方も」
誰も、その言葉を否定しなかった。
第四地区は、鍛える国の始まりになる。
その願いを、最初に口にしたのはレインだった。
でも、もうそれはレイン一人の願いじゃない。
アストラ・エクリプス王国そのものが、次の強さを欲し始めていた。




