旧貧民街グレイラン、現ゴルダンの帰属
アストラ・エクリプス王国としての最初の命を定めた、その翌日。
リオたちは王都へ向かった。
名目は報告。
だが、実際にはそれだけではない。
第二地区外縁の魔害と中核個体の討伐。
第一地区と第三地区の拠点整備の開始。
そしてもう一つ。
ゴルダンを、リオの領地として正式に認めさせること。
王の間は、いつもより明らかに人が多かった。
王。
側近。
文官。
財務を預かる者。
商業に強い貴族。
さらに、どう見てもこの話を嗅ぎつけて集まったと分かる顔ぶれまでいる。
リオは、その空気を見て小さく息を吐いた。
「……多いな」
「ええ」
と、ノア。
「報告の場というより、値踏みと牽制の場です」
「半分どころじゃないわね」
リュメリアが冷たく言う。
「“どう切り取るか”“どこを奪うか”って顔ばっかり」
レインが鼻を鳴らす。
「わかりやすいな」
ミアはその後ろで黙っていた。
だが、その目だけはいつもより静かに冴えていた。
王が、やがて口を開く。
「よく来た、リオ」
「まずは報告を聞こう」
リオは一礼した。
そこからは淡々と事実を積み上げる。
第二地区外縁の状況。
魔害の発生。
中核個体を逃がさず討ったこと。
第一部隊の初陣。
拠点整備の必要性。
王は最後まで一度も遮らなかった。
だが、横に控える貴族や文官の目は違う。
土地。
税。
流通。
利権。
全部を計っている目だ。
そして、案の定――
話がゴルダンへ移った瞬間、空気が変わった。
「今のグレイラン……失礼、ゴルダンは」
リオがはっきりと言う。
「もはや旧来の貧民街ではありません」
「商流、人口、職能、人材の集積、どれを見ても、今後の王国の中核都市の一つになります」
年嵩の文官がすぐに口を挟んだ。
「ゆえにこそ、王都直轄とすべきでは?」
「急拡大した都市を一個人の色へ染めるのは危うい」
別の貴族も続ける。
「多種族が流入しているのでしょう」
「ならばなおさら、王の管理下へ強く置くべきだ」
さらに別の男。
「大型商人もすでに入っていると聞く」
「税の取り扱いは慎重でなければならぬ」
「どこの管轄とするか、早計は危険ですな」
一斉に来る。
だがリオは、そこで焦らなかった。
この流れになることは、もう読んでいたからだ。
後ろで、ミアが小さく言う。
「次、左の人が“治安維持”で駐留権って言う」
「その次、右から“徴税権の分割”」
「その次は、“お前に何が管理できる”」
「……うん」
リオは小さく返す。
そして本当にその通りになった。
将官が前へ出る。
「急成長する都市なら、治安維持のため王都側の駐留権は必要ですな」
右手側の商貴族が続く。
「徴税権も最低限は王都管理へ分けるべきでしょう」
さらに別の男。
「そもそも、リオ殿」
「あなたに都市管理が務まるのですか」
場が、ややざわつく。
リオは一歩前へ出た。
「全部を否定するつもりはありません」
それだけで、向こうの空気が少し揺れる。
拒絶ではなく、受け止めた。
それが交渉の入りとしては正しいと、相手にも分かるからだ。
「ただし、順番があります」
リオは静かに続ける。
「ゴルダンは、もともと死んでいた土地だ」
「人も、飯も、商いも、希望もなかった」
「そこへ最初に手を入れたのは、王都でも貴族でもない」
誰もすぐには返せない。
「今のゴルダンだけを見て価値を語るのは簡単です」
「でも、その価値がまだ泥の中に埋まっていた時」
「誰がそこへ降りた?」
「誰が食を入れ、住まわせ、守って、火を絶やさなかった?」
王が、静かにリオを見ている。
リオはその視線へまっすぐ返した。
「だから求めます」
「ゴルダンを、俺の領地として認めてほしい」
核心が落ちる。
今度こそ、あちこちで息が鳴る。
「領地だと……」
「都市ごと?」
「認めれば前例になるぞ」
だが、リオは引かなかった。
「囲い込むためじゃない」
「王国へ背くためでもない」
「逆です」
「王国の中で、俺が責任を持って育てるためです」
王が、そこで初めて問う。
「責任を持てるのか、リオ」
「持ちます」
リオは即答する。
「では、誰を置く」
王は続ける。
「商い、治安、建築、鍛造、流通」
「都市は感情だけでは回らぬ」
「置きます」
リオは言った。
「整理します」
「商人、建築者、鍛冶屋、それぞれに正式な配置と役目を与える」
「誰がこの土地で何を担うかを明確にする」
王の目がわずかに動く。
だがそこで、財務を預かる文官が鋭く入ってきた。
「明確にすると言うが」
「それは口で言うだけなら誰でもできる」
「選定基準は?」
「責任の所在は?」
「あなたが倒れた時、その都市はどうなる?」
場が、少し冷える。
そこまで詰めてくるか、と。
騎士団たちの顔にもそれが出る。
リオが答えようとした、その時だった。
「できます」
声が落ちる。
高くも低くもない。
だが、その場にいる全員の耳へ、不思議なくらいまっすぐ届く声。
ミアだった。
王の間の空気が、はっきり変わる。
レインが横目で見る。
タオーが目を丸くする。
グラーまで一瞬だけ固まる。
ヴァイスは、静かに目を細めた。
ミアが、自分から前へ出た。
王の間の正面。
王と貴族たちが並ぶその前で、ミアは一礼する。
「失礼いたします」
「今の問いには、わたしがお答えできます」
「ミア……」
と、リオ。
だがミアは、振り返らなかった。
文官が眉をひそめる。
「君が?」
「はい」
ミアは静かに頷く。
「選定基準は三つに分けられます」
部屋が静まり返る。
さっきまで、ただ後ろに立っていた少女。
そのはずだった。
なのに今、言葉の運びが妙に整っている。
迷いがない。
ミアは続ける。
「ひとつ」
「現時点ですでにゴルダンの流れを回している者」
「これは実績です」
「ふたつ」
「王都や他国の商人に引き抜かれにくい者」
「これは忠誠と生活基盤の強さです」
「みっつ」
「自分一人の利益ではなく、都市全体を大きくすることに価値を見出せる者」
「これは器です」
貴族たちの表情が変わる。
ただの思いつきじゃない。
基準として成立している。
ミアはさらに言う。
「責任の所在については、曖昧にしません」
「職能ごとに正式配置し、その任命権はリオ様のもとへ集約する」
「ただし監査権と徴税協定は王国と結ぶ」
「そうすれば“私領化”ではなく、“管理領化”として成立します」
今度こそ、王の側近たちがざわついた。
サイラスが小さく息を吐く。
「……話せるのか」
リュメリアの口元がわずかに上がる。
「それどころじゃないわね」
「ちゃんと組み立ててる」
ミアは止まらない。
「そして、リオ様がもし倒れた場合の話ですが」
「その時のためにこそ、正式配置が要るんです」
「都市が個人の魅力だけで回っているなら、いずれ壊れます」
「でも役割と責任が明文化されていれば、長が一時不在でも流れは残せる」
王の間が、さらに静まる。
それはもう、驚きの沈黙だった。
読んで、聴いているだけではない。
ミアは、話している。しかも交渉の言葉で。
王が、ゆっくりとミアを見る。
「面白い娘だ」
「その理屈は、誰に習った?」
ミアは少しだけ考えてから、正直に言った。
「習ってはいません」
「ただ……聞こえるんです」
「この場で、皆さんがどこに引っかかっているか」
「次に何を欲しがるか」
「どこを怖がっているか」
「だから、それをひとつずつ先に置いただけです」
その一言で、また空気が変わる。
ただの弁が立つ子ではない。
場の先を読み、その上で言葉を差し込んでいる。
ノアが静かに目を伏せる。
ヴァイスはその横で、ほんの少しだけ誇らしそうだった。
レインは「はあ……」と小さく息を吐き、半分呆れた顔をする。
タオーはグラーの袖を引っ張る。
「なあ」
「ミアって、あんな喋れたっけ」
「私もいま初めて見た」
グラーが本音を漏らす。
文官がなおも言おうとする。
「しかし――」
「今、あなたは」
ミアが静かに遮る。
「“前例”を理由にしたかったのだと思います」
文官の口が止まる。
ミアは続ける。
「でも本当は違う」
「怖いのは、前例じゃない」
「急成長した都市が、王都の手を離れて別の秩序を持つことです」
場が凍る。
そこまで言うか、と。
誰の顔にもそれが出た。
だが、王だけは静かだった。
ミアは、王へ向き直る。
「だからこそ、曖昧にしない方がいいんです」
「ゴルダンをリオ様の管理領と認めて」
「王国との税と治安の協定を正式に結ぶ」
「そうすれば、王国の中で育つ都市として固定できます」
「逆に今ここを曖昧にしたら」
「他国も、他領も、勝手な理屈で噛みにきます」
王は、しばらく何も言わなかった。
沈黙は長かった。
だがその間、誰も口を挟めなかった。
やがて王が、低く息をついた。
「……なるほど」
その一言に、部屋の緊張がわずかに緩む。
王はリオを見る。
次にミアを見る。
「面白い子だ」
「そして、お前たちは面白い国を作ろうとしている」
一拍。
「よかろう」
ざわめきが走る。
「ゴルダンを、リオの管理領として認める」
「ただし、王国との税と治安の協定は結ぶ」
「任命と配置の名簿は後日提出しろ」
「そして」
「お前が次代の長として立つなら、それにふさわしい形もじきに示せ」
リオは、深く頭を下げた。
「受けます」
ミアも一歩下がり、一礼する。
王の間を出たあと、タオーが真っ先に叫んだ。
「ミアすげええええ!!!」
「お前、読んで聴いてるだけじゃなくて、あんな話せるのかよ!?」
ミアは、少しだけ困ったみたいに笑った。
「……私も、ちょっとびっくりした」
「びっくりで済むやつじゃないわよ」
と、グラー。
レインが肩をすくめる。
「いや、でも助かった」
「正直、途中から俺よりよっぽど交渉してたぞ」
ヴァイスが静かに言う。
「ミア様は、元からそういう素質がありました」
「ただ、表へ出す機会がなかっただけです」
ノアも、小さく頷く。
「今日の働きは大きいです」
リオは、最後にミアへ向き直った。
「ありがとう」
「助かった、じゃ足りないな」
「今日は、お前が流れを変えた」
ミアは少しだけ目を丸くして、それから小さく笑った。
「……うん」
「ちゃんと、話せたみたい」
アストラ・エクリプス王国。
その最初の本格的な交渉の場で。
異彩を放ったのは、確かにミアだった。
読む。
聴く。
そして――話す。
その全部が揃った時、彼女の力はもうただの補助では終わらなかった。




