門出の支度
一行が第二地区の外へ向かおうとした、その時だった。
「――あ、待てよ」
気の抜けた声で呼び止めたのはヴァルだった。
みんなが振り返る。
ヴァルは、いかにも今思い出しましたみたいな顔で、手をひらひらさせている。
「こんなのつけていったらどうだ?」
「今!?」
と、レイン。
「今だ」
ヴァルは平然としていた。
「こういうのは、思い出した時が一番いい」
「絶対違うだろ」
と、リュメリア。
だがヴァルはもう気にしていない。
腰のあたりを軽く叩くと、そこから**《式黄泉》**で編まれたらしい大きめの袋を取り出した。
袋、と言っても普通の袋ではない。
光沢のない、黒に近いグレー。
布のようにも見えるのに、よく見ると織り目の奥が微かに揺れていて、空間そのものを折り畳んでいるみたいな気配がある。
タオーが目を丸くする。
「なにそれ」
「袋?」
「袋だよ」
と、ヴァル。
「ちょっと大きいだけで」
「ちょっとで済む見た目じゃないんだけど」
と、グラー。
ヴァルは袋の口へ片手を突っ込み、何かを無造作にごそごそ探り始めた。
「えーと……」
「これとか?」
そう言って取り出したのは、防具だった。
だが、その場にいた誰も、すぐには言葉が出なかった。
まず色が異常だ。
黒でもない。
灰でもない。
深い鉛色の奥に、青と赤が沈んでいるような、不思議な光のない輝き。
金属に見える部分は、金属の冷たさがない。
皮に見える部分は、皮革の匂いがしない。
布に見える部分は、揺れ方が布ではない。
それらが一つの防具として組み上がっている。
しかも、ただ豪華なだけではなかった。
レインの今の身体に合わせるように、肩と腕、脇腹から背へかけての可変域が異様に広い。
術鬼で輪郭が変わることを最初から想定しているような作りだ。
ヴァルがそれをぶら下げながら言う。
「今のレインにはうってつけじゃないか?」
「その特殊な体にも丁度いいよな?」
レインが受け取る前に、ザルクスが横から覗き込む。
「……おいおい」
「お前、それどこから引っ張ってきた」
「前に拾った」
と、ヴァル。
「拾うなそんなもん」
と、リュメリア。
レインは恐る恐る手を伸ばした。
触れた瞬間、わずかに息を呑む。
「……軽い」
見た目の重厚さに反して、異様に軽い。
なのに、頼りない軽さじゃない。
むしろ“着た瞬間に噛み合う”感じがある。
レインが低く呟く。
「なんだこれ……」
ヴァイスが少しだけ目を細める。
「その縫いの部分……」
「魔獣革ではないですね」
「少なくとも、普通の魔獣ではありません」
ミアも近くで見て、小さく声を漏らした。
「これ……尋常じゃない」
「見たことも、聞いたこともない……」
グラーが眉をひそめる。
「国宝級……?」
「いや、国宝でも説明つかないでしょ」
と、リュメリア。
ザルクスが肩を揺らした。
「これ、グロスドラゴンの鱗……?」
「いや待て」
「こっちはヌダクの獅子の毛皮じゃねえか?」
ヴァルは、そんな周囲のざわめきをものともせず、袋の中をまたごそごそやる。
「細かいことは気にするな」
「そんな貧相な装備で、門出を送りたくないんでねー」
「貧相ってお前」
と、リオ。
「今まで俺らが着てたの、全部否定したぞ」
「否定はしてない」
ヴァルはにやっと笑う。
「ただ、今から壁の外へ行くなら、少しは見合った格好しろって言ってるだけだ」
「少し、の基準おかしいだろ」
と、ザルクス。
「お前にだけは言われたくない」
そこでヴァルは、また袋の中から次々に装備を取り出した。
「ミア」
「はい……!」
差し出されたのは、肩から胸元までをやわらかく覆う薄い外套型の防具だった。
淡い灰白。
だが角度によって青や金が沈んで見える。
軽そうなのに、内側に何層もの守りが仕込まれている感じがする。
「お前は正面から殴り合う方じゃない」
「でも、立ってるだけで戦場に影響を与える」
「なら、生き残ることを最優先にしろ」
ミアは、両手でそれを抱えて固まった。
「え、でも、こんなの」
「いいから持て」
「似合うぞ」
「さりげなく口説いてる?」
と、リュメリア。
「してない」
「してる顔してる」
「してない」
次はヴァイスだった。
ヴァルが取り出したのは、黒銀の細い装甲と長手袋に近い一式。
女性体のヴァイスの動きをまったく邪魔しないのに、肘や喉元、肋の急所だけ異常に強く守られている。
ヴァイスが目を伏せる。
「……これは」
「お前、見た目の割にけっこう脆いところあるだろ」
と、ヴァル。
「そこだけ落とされたら面倒だからな」
「失礼ですね」
ヴァイスは静かに言う。
「ですが……ありがたく」
その次にヴァルは、タオーの方を見た。
「で、お前」
「えっ」
タオーがぴしっと背筋を伸ばす。
「お、俺も!?」
「当たり前だ」
「うわああ!!」
ヴァルが投げてよこしたのは、小柄な体でも扱いやすい軽装の胸当てと、やたら丈夫そうな小手、膝当てだった。
見た目は簡素だが、明らかに素材が簡素じゃない。
タオーが受け取って、目を丸くする。
「これ、すげえ……!」
「なんか着た瞬間、転んでも死ななさそう!」
「基準が低い」
と、グラー。
「いやでも大事だろ!?」
「大事だけど、最初にそこ来る?」
最後にグラーへ渡されたのは、しなやかで実用的な外套兼防具だった。
灰青色の短衣に、腰から脚へ流れる可動域の大きい補助装甲。
実用一点張りに見えるのに、細部の縫いが異様に上品だ。
グラーはそれを受け取ったあと、しばらく無言だった。
「……何」
ヴァルが笑う。
「気に入らないか?」
「いや」
グラーは首を振る。
「気に入るとか、そういう次元じゃない」
「これ、何」
「装備」
「そういう話じゃない」
ザルクスが横でにやにやしている。
「まあ、理解されないだろうな」
「このへん、国庫に並べても誰も説明できねえぞ」
リュメリアが防具の表面を一瞥して、小さく呟いた。
「本当に、誰にも理解されないでしょうね」
「素材も加工も理屈が飛んでる」
「褒め言葉として受け取っとく」
と、ヴァル。
「褒めてない」
そのやり取りの間に、レインはすでに防具を身につけ始めていた。
不思議なくらい馴染む。
肩を動かす。
肘を曲げる。
背を捻る。
術鬼で輪郭が変わっても、どこにも突っかからない。
むしろ、変化そのものを待っていたように防具の方がついてくる。
「……これ」
と、レイン。
「ほんとに俺用みたいだな」
「そうだよ」
ヴァルはあっさり答えた。
「今のお前用に近い」
「前のお前には少し早すぎたが、今なら丁度いい」
レインは少しだけ黙ったあと、低く言う。
「……ありがとう」
ヴァルは、少しだけ驚いたように眉を上げ、それから笑った。
「どういたしまして」
ノアが、その一連を静かに見ていた。
「装備に問題はありません」
「では、改めて向かいましょう」
アヴニールはリオの方へだけ視線を向ける。
「わたしのリオ」
「本当に手は出しちゃ駄目よ」
「今回は見てるだけ」
リオが苦笑する。
「わかってるよ」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん、なのね」
その言い方に、ノアの視線がまた少しだけ冷たくなった。
「……先に行きますよ」
「はいはい」
と、ザルクス。
こうして、一行はようやく出発の形を整えた。
騎士たち。
見届け役。
術鬼へ変貌したレイン。
補助可能なミア、ヴァイス、タオー、グラー。
そして、手を出さないと決めたリオ、ノア、リュメリア。
第二地区の壁の向こうには、魔虫も、魔獣も、魔害もいる。
門出には不釣り合いなくらい豪奢で、誰にも理解されない装備を纏って。
それでも、その奇妙な一行は、たしかに今の成埜の地らしい顔ぶれだった。
「じゃあ」
と、リオが言う。
「行こうか」
誰も、もう迷わなかった。
第二地区の外が、彼らを待っていた。




