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外れスキルの【停止時能力向上】実は世界最強でした〜夢記録に刻まれた800年の真実〜  作者: 滝本りお


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1ヶ月半前の背中

部屋の空気が、少しだけ落ち着いたあとだった。


アヴニールは、扉の近くに立ったまま、しばらく何も言わなかった。

ラルラゴも急かさない。


リオはようやく、自分の呼吸が少し整ってきたのを感じていた。

夢の5年。

現実の1ヶ月半。

ラルラゴ。

アヴニール。


知らなかったことが、一度に流れ込みすぎている。


そんな中で、アヴニールが不意に口を開いた。


「ちなみに」


リオが顔を上げる。


アヴニールは、ほんの少しだけ目を細めた。


「私、こっちの世界でも近くにいたのよ」


「……え?」


「1ヶ月半前の、あなたの近くにも」


リオの表情が止まる。


「酒場にもいた」

「子どもたちに剣を教えてる姿も見ていた」


その一言で、リオの胸の奥に何かがひっかかった。


酒場。

子どもたち。

剣。

それは、夢の中の話ではない。


現実世界の、自分。


1ヶ月半前。

まだEランクで。

何も知らなくて。

何も持っていないと思っていた頃の、自分。


リオの視線がゆっくりと落ちる。


アヴニールは、その反応を見ながら静かに続ける。


「今のあなただけじゃない」

「夢の中のあなただけでもない」

「私は、こっちの世界のあなたも見ていた」


その声には、責める響きはなかった。


ただ、知っている者の確かさだけがあった。


「……どこまで」

リオが低く問う。

「見てたんだ」


アヴニールは、少しだけ考えるように目を伏せた。


「かなり」

「見ていたわ」


その言葉に、リオの胸の奥がじわりと熱を持つ。

でもそれは、嬉しさじゃない。

少し違う。


見られたくなかった過去。

思い出したくないほど惨めで、情けなくて、でも確かに自分だった時間。


アヴニールの次の声が、その記憶をそっと撫でるように落ちる。


「たとえば」


そして、リオの中で、1ヶ月半前の景色がゆっくり開いた。



夜の訓練場だった。


酒場の裏手。

安い酒の匂いと、雨の残り香が混ざる、湿った空気。

地面は乾ききっていない。

踏むたびに、少しだけ靴裏へ土が絡む。


周りには誰もいない。

いや、そう思っていた。


リオは、その時、剣を握っていた。


まだ細い腕。

まだ頼りない握力。

今の自分から見れば、あまりにも危なっかしい構えだった。


でも、その時の自分は必死だった。


目の前にいたのは、人ではなかった。


いや、人に見えなくもなかった。

けれど、明らかに普通じゃない。


椅子に座ったままの存在。


薄暗がりの中でも分かる異質さ。

視線だけで空気が冷える感じ。

動いてもいないのに、近づけば死ぬと本能が叫ぶような圧。


リオの背中に、冷たい汗が流れる。


「……なんなんだ」


握った剣が、震えていた。


手だけじゃない。

肩も、足も、呼吸も。

全部が恐怖を知っていた。


「なんなんだよ……」


声が漏れる。


情けないと思う余裕すらない。

目の前の存在が、ただ怖い。


涙が、勝手ににじんだ。


でも。


それでも、リオは剣を下ろさなかった。


構える。


震えたままでも。

泣いたままでも。

それでも、刃先だけは前へ向ける。


「……こい」


声が震える。


「こいよ」


胸の奥が、ばくばくと鳴っていた。

心臓が痛い。

喉も熱い。

手のひらは汗で滑りそうだ。


その時だった。


体の奥で、何かが小さく反応した。


スキル。


あの頃のリオにとって、それは希望というより、しがみつける最後のものだった。


リオが叫ぶ。


「スキル発動!!」


息が裂けるみたいな声だった。


「停止時能力向上!!」


次の瞬間、体が少しだけ軽くなる。


呼吸が整う。

乱れかけていた重心が、ほんの少しだけ戻る。

腕の震えが、わずかにおさまる。

筋肉が引き締まる。


それでも。


目の前の存在は、動かない。


椅子に座ったまま。

ただ見ている。


その視線だけで、余計に怖い。


リオは、泣きながら叫ぶ。


「こい!!」


「お前から来い!!」


涙が止まらない。


でも、それでも叫ぶ。


「僕は!!」


呼吸が詰まる。


「まだ!!」


喉が裂けそうになる。


「死にたくないんだあああああ!!!」


地面を蹴る。


全力だった。

情けないくらい、必死だった。

でも、その必死さだけは嘘じゃなかった。


剣を振り上げる。


「うわあああああああ!!!」


あの時の自分は、強くなんかなかった。

美しくもなかった。

ただ、恐くて、泣いていて、それでも前へ行くしかなかった。



「……見てたのか」


現実へ戻ったリオの声は、ひどく静かだった。


アヴニールは頷く。


「見ていた」


「……あんなの」


リオは少しだけ顔を背ける。


「見られたくなかったな」


アヴニールは、すぐには何も言わなかった。


それから、ゆっくりと近づいてくる。


足音がほとんどしない。


リオのすぐ前まで来ると、彼女は少しだけ腰を折って、視線の高さを合わせた。


「どうして?」


その問いは、意地悪ではなかった。

本当に知りたいのだと分かる声だった。


リオは少しだけ眉を寄せる。


「だって……」

「情けなかっただろ」


「泣いてたし」

「震えてたし」

「格好悪かったし」

「今の俺から見たら、あんなの……」


アヴニールは、その言葉を途中で切るように静かに言った。


「格好悪くなんかないわ」


リオが目を上げる。


アヴニールの目は、まっすぐだった。


「あなた、怖かったんでしょう」


「……うん」


「泣いてた」


「……うん」


「震えてた」


「……うん」


「それでも剣を下ろさなかった」


沈黙。


その一言が、まっすぐ胸へ刺さる。


アヴニールは続ける。


「それを格好悪いなんて、私は思わない」

「むしろ、あの時の背中を見ていたから」

「私は、今のあなたに驚かないの」


リオは言葉を失う。


アヴニールの声はやわらかい。

でも、その中身は少しも甘くない。


「強かったから前へ出たんじゃない」

「弱くて、怖くて、泣いていたのに、それでも前へ出た」

「だから、あなたはずっとあなたなのよ」


ラルラゴが、少し離れた場所で静かに口を開く。


「俺も見ていた」


リオが振り向く。


ラルラゴは短く言う。


「今の強さの方が目立つだけだ」

「だが、芯はあの頃と変わっていない」


アヴニールが、ほんの少しだけ口元をゆるめる。


「えらかったわ」

「本当に」


リオは、何も言えなかった。


夢の5年を生きた今でも、あの時の自分は情けなかったと思っていた。

でも、ずっと見ていた人たちは、そうは見ていない。


それが、妙に胸へきた。


「……そういうの」

と、リオは小さく言う。

「今言うの、ずるいだろ」


「ずるい?」

アヴニールが首を傾げる。


「ちょっと泣きそうになる」


その返しに、アヴニールの目がわずかに細くなった。


「泣けばいいわ」

「また、あの時みたいに」


「それは勘弁してくれ」


苦笑しながらそう言うと、部屋の空気が少しだけやわらいだ。


1ヶ月半前のEランク冒険者。

夢の中で5年を生きたリオ。

そして今、現実世界で目を覚ましたリオ。


その全部を知っている者たちが、ここにいる。


リオは、ゆっくりと息を吐いた。


「……じゃあ」

「俺がまだ知らないこと、他にもいっぱいあるんだろ」


ラルラゴとアヴニールが、ほとんど同時に頷く。


「ある」

と、ラルラゴ。


「たくさんね」

と、アヴニール。


リオは、少しだけ笑った。


「だろうな」


あの時、震えながらも剣を下ろさなかった自分。

その延長線上に、今の自分がいる。


そう思えたことが、なぜか一番大きかった。

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