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外れスキルの【停止時能力向上】実は世界最強でした〜夢記録に刻まれた800年の真実〜  作者: 滝本りお


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外へ来ないか

ヴァイスのことは、まだ外へ大きくは出していなかった。


王国への報告も、浅層の異常、記録の濃度、混合型の敵性存在、再調査の必要性――そのあたりに留めてある。

“ご主人様”という呼び名も、魔神の一種であることも、そして迷宮の一部が何者かの意思を引き継いでいることも、今はまだオルビス・ノヴァの内側だけの話だった。


だからこそ、数日後の再入室も、かなり絞られた。


リオ。

ヴァル。

そして監理官兼記録官のユリウス。


今回は攻略ではない。

会いに行くための再訪だった。



第一穴の入口は、前回と同じように静かだった。


ただ、前よりも少しだけ“こちらを見ている感じ”が薄い。

それに気づいたのは、やはり最初にリオだった。


「……あれ」


「何です」

と、ユリウス。


「前より、刺さらない」

「刺さらない?」

「うん。なんか、入口の嫌な感じが少し薄い」


ヴァルが鼻を鳴らす。


「そりゃそうだろ」

「向こうも、もうお前を“初見の侵入者”としては見ていない」


ユリウスは、少しだけ眉を寄せた。


「迷宮側に認識された、と」

「嫌な言い方だが、だいたいそういうことだ」

と、ヴァル。


王印板による簡易記録を済ませ、三人は中へ入った。


前回の魔物の残骸は、もう残っていなかった。

いや、正確には“片づけられている”としか思えない消え方だった。


壁面の傷。

床の沈み。

魔気の癖。

そのすべては変わらないのに、通路だけが妙に整って見える。


「……嫌な整い方ですね」

と、ユリウス。


「歓迎されてるのかもな」

と、ヴァル。


「それはそれで気味が悪いです」


「いい記録官になれるぞ」

「その褒め方は不本意です」


少しだけ空気が軽くなる。


だが、魔気の濃い一室へ近づくにつれて、その軽さもすぐに消えた。


部屋の前で、リオは立ち止まる。


前回、自分の戦い方の断片を思い出した場所。

ヴァイスと会話した場所。

ただの一室では、もうなかった。


「入るよ」

と、リオ。


誰に言うでもない声だった。

でも、その声に部屋の奥が微かに揺れた気がした。



中は、静かだった。


前回のような殺気はない。

魔気は濃い。

だが、それは圧ではなく、呼吸のように部屋の奥で沈んでいる。


そして、その中央にヴァイスはいた。


黒銀の獣体。

だが、前回よりも姿勢が低く、敵意ではなく待機の気配をまとっている。


リオの姿を認めると、ヴァイスはすぐに頭を垂れた。


「……ご主人様」


その呼び方に、ユリウスがまた小さく硬直する。

もう驚き慣れたと思っていたらしいが、そんなものは甘かった。


リオは、部屋の奥まで歩いていく。


「また来た」


ヴァイスは静かに答える。


「お待ちしておりました」


「待ってたんだ」

「はい」

「前回のお言葉を、信じておりましたので」


ヴァルが後ろで肩を揺らす。


「重い忠誠だなあ」


「忠誠ではありません」

ヴァイスは視線を上げぬまま言う。

「当然の帰着です」


「余計重いな」

と、ヴァル。


リオは、ヴァイスの前でしゃがみ込んだ。


「体、どう?」


「前回より安定しております」

「ご主人様の手が、一時的に核の散りを止めてくださいました」


ユリウスの筆が一瞬だけ止まる。

やはり記録官泣かせの会話である。


リオは少しだけ笑った。


「それならよかった」


そして、少し間を置いてから本題を口にした。


「ねえ、ヴァイス」


「はい」


「外へ来ないか」


部屋の魔気が、そこで一瞬だけ揺れた。


ユリウスが顔を上げる。

ヴァルは何も言わず、面白そうに成り行きを見ていた。


ヴァイスは、すぐには答えなかった。


ゆっくりと、頭を上げる。


その目には明らかな驚きがあった。

それでも、次に出た声は静かだった。


「……外、に」


「うん」

リオは頷く。

「今すぐずっと、って意味じゃなくていい」

「でも、出られるなら出てみない?」

「みんなにも会ってほしい」


ヴァイスは、数秒だけ言葉を失ったようだった。


魔神。

迷宮の一部。

誰かの意思を引き継ぎ、核を削られながらこの一室を守っている存在。


そんなものに向かって、リオはまるで近所へ散歩に誘うみたいに言う。


「……わたくし、が」

ヴァイスはゆっくりと問う。

「外へ」


「うん」

「だめかな」


「だめ、では……ありません」


ヴァイスは、そこで初めて目を伏せた。


「ただ、わたくしはこの迷宮に強く繋がっております」

「長くは保てません」

「外へ出れば、核の散りが進む恐れもある」


「それでも、試したい」

リオは言う。

「僕も手伝うから」


ヴァイスが、また顔を上げる。


「ご主人様が?」


「うん」

「前に一回、止められた」

「だったら、外へ出るくらいなら、もしかしたら保てるかもしれない」


ヴァルがそこで、ようやく口を挟んだ。


「試す価値はあるな」

「どうせここで腐らせるには惜しい」

「それに」

と、少しだけにやっとする。

「ミアに会わせたら、面白いことになりそうだ」


ヴァイスの目が、そこでわずかに細くなる。


「……ミア」


「まだ会ってもいないのに反応するんだ」

と、リオ。


ヴァイスは低く答えた。


「前回より、外の気配が増えております」

「その中に、ひどく繊細で、しかし深い触れ方をする者の気配がある」


ユリウスは、もう記録を取りながら理解を半ば放棄し始めていた。

一方ヴァルは、完全に面白がっている。


「やっぱりな」

「お前も気づくか」


リオは、そこで少しだけ嬉しそうに笑った。


「じゃあ、なおさらだ」

「外へ来てよ、ヴァイス」

「ミアにも会ってほしい」


ヴァイスは、今度こそ長く黙った。


部屋の奥で、魔気がゆっくりと呼吸する。

迷宮そのものが、彼女の返答を待っているみたいだった。


やがてヴァイスは、静かに言った。


「……もし」


「うん」


「ご主人様が、わたくしの核を一時的に繋ぎ止めてくださるのであれば」

「短い間なら、可能かもしれません」


リオの目が少しだけ輝く。


「やろう」


「軽いな」

と、ヴァル。


「軽く言わないと、緊張するから」

と、リオ。


「それは少し分かります」

と、ユリウスが珍しく同意した。


ヴァイスは、部屋の中央でゆっくりと身を伏せた。


「では、お願いいたします」


リオは、黒銀の獣体の胸元へ手を当てる。


前回と同じ場所。

だが今度は、“死ぬな”ではない。

もっと静かで、もっと細い目的だ。


繋ぎ止める。

散らさない。

外へ連れていく。


目を閉じる。


深く息を吸う。


前にレインが自分へ接続を試した時の感覚。

あの時、少しだけ過去の異能の断片が繋がった。

今はまだ不完全でも、その不完全な橋は残っている。


リオは、その橋を思い出すように、掌へ意識を集めた。


「……行くよ」


ヴァイスの胸の奥で、ゆっくりと脈が打つ。


どくん。

どくん。


黒い霧のように漏れていたものが、一瞬だけ逆流した。

ユリウスが目を見開く。

ヴァルは、珍しく黙る。


リオの掌から、目に見えない何かが伸びる。

光ではない。

結界でもない。

でも確かに、存在を縫い止める側の力だ。


ヴァイスの身体が、大きく震えた。


「――っ」


獣体の輪郭が、少しだけぶれる。


次の瞬間。


その巨体は、黒銀の粒子を散らしながら縮み始めた。


「……は?」

と、ユリウス。


骨格が変わる。

四肢が組み替わる。

獣の輪郭がほどけ、人のかたちへ寄っていく。

完全ではない。

だが、獣体のまま外へ出るよりは、明らかに“抑えた形”へ変質していく。


やがて、そこに立っていたのは――


黒銀の長い髪を背に流した、青白い美貌の女だった。


細身。

しなやか。

年若く見えるのに、目の奥だけがひどく古い。

人の形をしているのに、人ではないとひと目で分かる。

着衣のように見えるものも、布ではなく、黒銀の魔気が薄く形を取ったものに近い。


その姿のまま、彼女は最初にリオへ膝を折った。


「……外へ、お連れくださるのですね」

「ご主人様」


ヴァルが、ようやく口笛を吹いた。


「おいおい」

「そう来るか」


ユリウスは、もはや何を書けばよいのか分からない顔で、それでも無理やり記録していた。


魔神一種ヴァイス、一時的人型安定を確認。

女性体。

リオ・レヴァンスの接触により、核散逸を抑制した可能性あり。


書きながら、自分で頭が痛くなった。

分類不能の記録ほど、役人泣かせなものはない。


リオは、少しだけ息を切らしていた。

でも笑っている。


「どう?」


ヴァイスはゆっくりと、自分の両手を見下ろした。


指先。

手首。

人の形をした細い腕。

次に、そっと自分の髪へ触れる。


長い黒銀の髪が、さらりと肩から落ちた。


それから彼女は、静かにリオを見た。


その目には、驚きと、感謝と、それ以上にもっと古い何かが浮かんでいた。


「……可能なのですね」

「ご主人様と共にあることが」


リオは、少しだけ照れたように笑う。


「うん」

「とりあえず、今は」


「十分です」

ヴァイスはそう答えた。


ヴァルが肩を叩く。


「安心しろ」

「うちの連中は、だいたいもっと変だ」


「慰めになってるんでしょうか、それ」

と、ユリウス。


「少なくとも本当だ」

「本当でも困ります」


小さなやりとりのあと、三人と一体は、部屋を出た。


魔気の濃い一室から通路へ。

通路から入口へ。

入口から――地上へ。


ヴァイスが第一穴の外へ足を踏み出した瞬間、外の光がその輪郭を照らした。


朝とも昼ともつかない明るさの中で、ヴァイスはほんの一瞬だけ立ち止まる。


風が吹く。

草の匂い。

土の匂い。

遠くで人が生きている気配。


ヴァイスは、目を細めた。


「……これが」


誰にともなく、ぽつりと言う。


「外……」


リオが、その横で笑った。


「うん」

「ようこそ」


ヴァイスは、しばらく何も言わなかった。


ただそのまま、少しだけ空を見上げる。


迷宮の中にはない色。

迷宮の中にはない広さ。

迷宮の中にはない風。


その横顔を見て、リオは思った。


たぶん、これでよかった。


この存在は、ただ地下で待ち続けるだけじゃなくていい。

もう少し、外へ触れていい。


そして、その次に会わせたい相手の顔が、自然に浮かんでいた。


ミア。


ヴァイスも、きっともうそれに気づいている。


ダンジョンの外で吹く風の中、物語はまた静かに一歩進んでいた。

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