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外れスキルの【停止時能力向上】実は世界最強でした〜夢記録に刻まれた800年の真実〜  作者: 滝本りお


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ご主人様と呼ぶ声

三人が魔気の濃い一室を出ようとした、その時だった。


床に沈んだ黒銀の獣が、わずかに痙攣した。


「……ん?」


リオが足を止める。


獣は、もうほとんど動けないはずだった。

ヴァルの凍気と、リオの術で完全に戦闘能力は奪われている。


なのに、その喉が、かすかに震えた。


「ぐ……」

「ご……」

「すー……す……ご……」


ユリウスが目を見開く。


「声……?」


ヴァルも、さすがに笑みを薄くした。


「ほう」


獣の目が、焦点の定まらぬままリオを探すように動く。


「ご主人……」

「主人……さ……」

「わたしは……ここに……」


リオの背筋を、薄く何かが走る。


その呼び方は、敵のものではなかった。

もっと古くて、もっと深いところから出てきたような響きだった。


獣は、途切れ途切れに続ける。


「ご主人様……」

「あなたさま……は……」


その声は、掠れている。

今にも切れそうだ。


「……よかった」

「やっぱり……そうです」

「生きてて……よかった……」


ユリウスが思わず一歩近づく。


「何を言っている……?」


ヴァルは低く言った。


「下がれ」

「今は記録より先に、見る方だ」


獣の身体は、もう限界だった。


胸のあたりから、黒い霧のようなものがうっすら漏れている。

普通の血ではない。

魔気と記録と、何か別のものが崩れ落ちている感じだ。


「私は……先に……」

「天該様の……お導きに……」


そこで一度、大きく息が途切れる。


「この地を……」

「お守り……ください……」


「おい」


咄嗟だった。


リオは剣を捨てるように下ろし、獣へ駆け寄った。


膝をつく。

そして何を考えるより先に、その胸のあたりへ手を当てていた。


「死ぬな」


言葉が口を突く。


「生きろ」


理屈はない。

術式の名前もない。

でも今は、それでよかった。


「……教えてくれ」


願う。


生きろ。

まだ切れるな。

話せ。

教えてくれ。


その瞬間。


リオの掌の下で、何かが脈打った。


どくん、と。


部屋の残留魔気が、わずかに巻く。

ユリウスが息を止める。

ヴァルの目が、面白そうというより真剣な色になる。


リオの手のひらから広がったのは、光ではなかった。

もっと曖昧で、でも確かに“生命をつなぎ止める側”の何か。


黒銀の獣の身体が、びくりと大きく震える。


「――っ!」


次の瞬間。


止まりかけていた呼吸が、戻った。


胸が上下する。

瞳の奥に、わずかだが生気が戻る。

完全な回復ではない。

でも、さっきまでの“終わりかけ”とは明らかに違った。


ユリウスが、震える声で言う。


「……息を」

「吹き返した……?」


ヴァルが、低く笑った。


「やるじゃないか」


リオ自身も驚いていた。


「え……」

「今の、何……」


だが、獣の方はもうリオの戸惑いなど待たなかった。


荒い息のまま、それでもはっきりとリオを見る。


「……やはり」

「あなたさまは……」


「誰なんだ」

と、リオが問う。


獣は、少しだけ目を閉じ、それからゆっくりと言った。


「元ご主人様は……」

「もう、大昔に……死んでおります」


リオの瞳が揺れる。


「元、ご主人……?」


「はい……」

「このダンジョンは……すべてではありません」

「ですが、その方の意思の一部を……引き継いで……湧き出た迷宮にございます……」


ユリウスの筆が、そこで完全に止まった。


ダンジョンが、誰かの意思を引き継いで湧き出た。


昨日までの会議で積み上げた理屈が、今ここで血肉を持って襲いかかってくる。


死んだもの。

戦ったもの。

封じられた術式。

壊れた理。


それらが条件を満たしたとき、空間は変質する。

だが今、この獣の言葉はさらにその先を示していた。


強烈な意思そのものが、迷宮の核に残ることがある。


リオは、手を当てたまま問いかける。


「その“元ご主人”って……」


獣は、わずかに首を振った。


「まだ……そこまでは……」

「今のあなたさまに……すべてを渡す許しは……ありません……」


「許し?」

と、リオ。


獣の口元に、ほんのわずかな笑みに似たものが浮かぶ。


「ですが……」

「あなたさまが……ここに来た」

「それだけで……十分」


息を整えながら、さらに続ける。


「そして……」

「私は、魔獣ではありません」


部屋の空気が、また変わった。


「なに?」

と、リオ。


獣は答える。


「魔神の一種にございます」


沈黙。


ユリウスが、今度こそ完全に固まる。


「……は?」


ヴァルだけが、少しも驚かない。


「だろうな」


その返しがあまりにも自然で、逆にユリウスは頭を抱えそうになった。


「だろうな、で済ませる話ですか!?」

「済ませるとも」

ヴァルは肩をすくめる。

「最初から、ただの魔獣にしては眼が良すぎた」

「配置も連携も綺麗すぎる」

「何より、“死に方”が魔獣じゃない」


魔神の一種。


その言葉を、リオは頭の中でゆっくり転がした。


成埜の地で遭遇した魔人と魔神。

ザルクスの《魔神召》。

そして今、ダンジョンの中で出会った、誰かの意思を引き継いだ魔神の一種。


「……じゃあ、お前は」

「守ってたのか」

リオが静かに聞く。


獣――いや、魔神は頷いた。


「守っておりました」

「待っても、おりました」


「何を?」


その問いに、魔神は少しだけ目を細める。


「あなたさまを」

「あるいは……あなたさまに連なるものを」


リオの胸が、ひどく静かに鳴った。


何かが近づいている。

いや、近づいていたものが、ようやく言葉を持ち始めている。


「名前は?」

と、リオが聞く。


魔神は答える。


「かつての名は、もう失いました」

「ですが、この迷宮では……」

「ヴァイスと、そう呼ばれております」


「ヴァイス」

リオが繰り返す。


ヴァイスは、かすかに頷いた。


「これで終わりではありません」

「この地の下には、まだございます」

「わたしのようなものも……」

「もっと濃く、もっと深いものも……」


ユリウスの背に、冷たい汗が流れる。


「……浅層でこれなら」

「深層は、いったい……」


ヴァルが、そこで珍しく真顔になった。


「だから面白いんだよ」


「その言い方やめてください」

と、ユリウスが本気で言う。


リオは、まだヴァイスの胸に手を当てたままだった。


「なあ」


「……はい」


「死ぬな、って言ったけど」

「まだ大丈夫そう?」


ヴァイスは、ほんの少しだけ目を閉じた。


「今は……おかげさまで」

「ですが、長くは保ちません」

「ここは、わたしの核を削る部屋です」


リオの表情が変わる。


「部屋が?」


「ええ」

「この迷宮の一部は、守ると同時に、試すためにあります」

「侵入者だけでなく……わたしたちも」


ヴァルが、低く息を吐く。


「なるほど」

「そういう性質か」


リオは、ヴァイスを見る。


「また会える?」


ヴァイスは少しだけ考えるようにしてから答えた。


「あなたさまが、もう一度ここへ来て」

「さらに深くへ届くなら」


「その時は、もっと話せるの?」


「はい」

「今よりは」


リオは、そこでようやく手を離した。


ヴァイスの呼吸は、まだ浅い。

でも、さっきのような死の切れ際ではなくなっている。


「分かった」

リオは静かに言う。

「じゃあ、生きて待ってて」


ヴァイスは、かすかに頭を垂れた。


「御意に」


その返答が、妙に自然すぎて、ユリウスはもう何を記録すればいいのか分からなくなっていた。


瀕死個体、会話可能。

自己を魔神の一種と認識。

迷宮は“元ご主人”の意思を一部継承して湧出。

リオ・レヴァンスを“ご主人様”と認識。


書きながら、自分で胃が痛くなる。


「……これ」

ユリウスが絞り出すように言う。

「王国に、どう報告すれば……」


「そのままでいいだろ」

ヴァルが笑う。

「困るのは上だ」

「他人事みたいに言わないでください」


リオは、立ち上がりながら最後に一度ヴァイスを見た。


さっきまで敵だった存在。

でも今は、ただの敵とは到底思えない。


迷宮の下。

元ご主人。

継がれた意思。

待っていた魔神。


このダンジョンは、やはりただの地下資源ではない。


「帰ろう」

と、リオが言う。


ヴァルが頷く。


「おう」

「今日は十分すぎるほど持ち帰った」


ユリウスも、今度は素直に異論を挟まなかった。


三人が部屋を出る時、ヴァイスのかすれた声が、もう一度だけ背中に届いた。


「ご主人様……」


リオは振り返らなかった。

でも、足はほんの一瞬だけ止まった。


「……次は」

と、リオは小さく言う。


「ちゃんと聞くよ」


そうして三人は、魔気の濃い一室を後にした。


ダンジョンの奥は、まだ何も明かしていない。

だが今日、確かに一枚だけ、底の方の幕がめくれた。


そしてその裏には――

ただの魔物でも、ただの資源でもない、

誰かを待ち続けた意思があった。

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