小さな城へ帰る夜
最初のダンジョンから戻った翌日。
オルビス・ノヴァの一行は、朝のうちに王都へ入っていた。
第一区の会議室で一晩整理した内容は、すでに簡単な文書に落とされている。
だが、今回ばかりは紙だけで済ませるわけにはいかない。
成埜の地近郊に確認された最初の穴。
浅層の時点で見えた異常。
そして、ダンジョンという存在そのものの重さ。
王へ直接、報告する必要があった。
⸻
王城の会議室は、いつもより人が少なかった。
王。
側近。
騎士団上層。
記録官。
最低限の重臣だけ。
余計な耳を入れないためだろう。
王は、入ってきたリオたちを見て、すぐに本題へ入った。
「どうだった」
短い問いだった。
だが、その一言の中に、期待も警戒も含まれている。
ラルラゴが一歩前へ出る。
「浅層確認は完了した」
「結論から言う」
「成埜の地近郊のダンジョン群は、通常型ではない」
王の目が細くなる。
「……やはりか」
リュメリアが卓上に簡易地図を広げた。
「入口の時点で、残留記録が濃すぎます」
「壁面の傷、敵性存在の混ざり方、構造の不自然さ」
「どれも自然発生の迷宮としては整いすぎている」
ユリウス・セルヴァンが、王国側記録として補足する。
「浅層で確認された敵性存在は、“実体と記録の混合型”と推定されます」
「通常素材としての価値は低い」
「しかし、記録密度は高い」
「今後の発生物、階層変質、深層危険度の上昇が懸念されます」
王は静かに聞いていたが、やがてリオを見る。
「お前はどう感じた」
リオは少しだけ考えてから答えた。
「穴、というより」
「見られてる感じがしました」
会議室が少しだけ静まる。
王は、その言葉を軽く扱わなかった。
「歓迎ではなく?」
「たぶん違います」
リオは首を振る。
「敵意とも少し違う」
「でも、“何者かを測ってる”感じはありました」
王の隣にいた側近が、小さく息を吐いた。
ラルラゴがそこで、昨日の会議で整理した言葉を置く。
「ダンジョンは、ただ地に開いた穴ではない」
「死んだもの、戦ったもの、封じられた術式、壊れた理」
「そうした痕跡が地脈と魔気に沈殿し、ある条件で空間そのものが変質した領域だ」
王が、ゆっくり頷く。
「世界が忘れきれなかった傷、か」
「そう捉えて差し支えない」
ラルラゴは答えた。
会議室の空気が、さらに重くなる。
ただ危険だから封鎖する、という話ではない。
そこには過去が沈んでいる。
力が沈んでいる。
場合によっては、国すら動かすだけの履歴が埋まっている。
王はしばらく黙っていたが、やがて言った。
「方針は」
今度はリュメリアが答える。
「当面、すべてオルビス・ノヴァ管理下で内部調査」
「外部への開放はしません」
「浅層・中層・深層の分類、入口ごとの性質差、連結の有無」
「それらを確認してからです」
「妥当だ」
王は即答した。
「他国には?」
と、側近。
王は短く言う。
「まだ見せぬ」
「少なくとも、二度三度は内側だけで触れろ」
「外へ見せるのは、こちらが“見せてよいもの”を選べる段階になってからだ」
ザルクスがそこで鼻で笑った。
「珍しく真っ当だな」
「珍しく、は余計だ」
と、王。
ヴァルが肩を揺らす。
「いいではないか」
「今日は王もまともだ」
「今日は、って何よ」
リュメリアが呆れる。
少しだけ笑いが起きる。
王も、ほんのわずかに口元を緩めた。
「では、その方針で進める」
「国としても、最初の二、三回の探索は“非公開・内部確認”として扱う」
「必要な記録官と監理官は出す」
「だが、余計な口は入れぬ」
ラルラゴが短く頭を下げた。
それで十分だった。
⸻
報告を終え、王城を出た頃には、陽がだいぶ傾いていた。
王都の石畳はまだ温かい。
行き交う人々の顔は、以前より少し変わって見える。
オルビス・ノヴァ。
成埜の地。
第一区と第二区。
それらはもう噂ではない。
日常の中に、確かに入り始めている。
だが、その日の帰路でリオが選んだ行き先は、第一区ではなかった。
「……小さな城、寄らない?」
その一言に、ヴァルが先に笑う。
「お、いいな」
「久しぶりだ」
ノアの光が、ふわりと嬉しそうに揺れた。
「わたくしも賛成です」
ラルラゴは何も言わなかった。
だが、否定もなかった。
そうして一行は、かつて拠点としていた小さな城へ向かった。
⸻
小さな城は、以前と同じ場所に、以前と同じ形で立っていた。
もちろん、周囲の景色は変わっている。
街道は整い、警備も増え、遠くには成埜の地へ続く発展の線が見える。
だが、この城そのものは不思議なくらい変わっていなかった。
石造りの壁。
少し古びた回廊。
最初に夜会を開いた広間。
王国の使いが朝一番で駆け込んできた窓の下。
全部、そこにある。
リオは、玄関をくぐったところで少しだけ足を止めた。
「……なんか」
「帰ってきた感じするね」
「実際、ここが最初の帰る場所だったからな」
ヴァルが言う。
広間に入ると、少し埃の匂いがした。
今は主拠点ではない。
それでも定期的に整えられているらしく、荒れてはいない。
長机もある。
暖炉もある。
あの夜会の名残みたいに、椅子の配置まで何となく覚えていた。
リオは、ふっと笑って椅子に腰を下ろした。
「ここで色々決まったよね」
「ええ」
ノアが静かに言う。
「たくさんの始まりがございました」
ザルクスがその辺を勝手に歩き回っている。
「俺、ここちゃんと入るの初めてかもな」
「しれっと城の中にいたくせに?」
と、リュメリア。
「それは別だろ」
「別じゃないわよ」
ヴァルは暖炉の前に立ち、懐かしそうに言う。
「最初の夜会、ここだったな」
「グレイランの連中を連れてきて、騎士団が硬い顔して」
「タオーが騒いで、公爵が泣いて、ドラゴンまで来た」
「思い返すと、本当に滅茶苦茶ですね」
ユリウスがぼそっと言ってしまい、珍しく全員が同意した。
「ええ」
「滅茶苦茶だったわ」
「今もだいぶ滅茶苦茶だけどな」
と、ザルクス。
ラルラゴが、しばらく黙って広間を見渡していた。
それから、低く言った。
「いるはずのない、お前が帰ってきた。過去の記憶をなくして、未来の記憶だけを頼りに」
リオが顔を上げる。
「ああ」
「そうだったね」
「王国の使いが来て」
「未開拓地から魔気が観測されたと報せた」
「お前は一人で行くと言った」
「Eランク冒険者だからね、って言ってた」
ヴァルが思い出し笑いをする。
リオが、少しだけ恥ずかしそうに顔をしかめる。
「それ、まだ言うんだ」
「一生言う」
と、ヴァル。
小さな笑いが広間を回る。
でもその笑いの下で、全員が少しだけ同じことを考えていた。
ここから始まったのだ。
王との再会。
成埜の地。
ノア。
グレイラン。
レインとミア。
外の国。
ザルクスの帰還。
そして今、地下のダンジョン群にまで話が伸びている。
小さな城は、最初の“器”だった。
まだ何も持っていなかった頃の拠点。
だけど、何もなかったからこそ、ここで火がついた。
リオは、暖炉の上に手を置いて言う。
「なんか、不思議だね」
「今は第一区があって、第二区があって、壁もできて」
「でも、ここに来ると全部まだ途中だった時の感じを思い出す」
ノアの光が、やわらかく揺れた。
「途中であったからこそ、美しかったものもございます」
「今も美しいだろう?」
と、ヴァル。
「今は今で、騒がしいだけよ」
と、リュメリア。
「ひどいなあ」
リオは、そのやり取りを聞きながら少し笑った。
「……でも、たまに戻るの、いいかも」
ラルラゴが短く頷く。
「忘れぬためにはな」
「何を?」
と、リオ。
ラルラゴは、少しだけ間を置いて答えた。
「始まりをだ」
その一言は、この小さな城によく似合った。
外では、夜が静かに降りてきていた。
第一区ほどの賑わいはない。
だが、その静けさの中に、確かに昔の熱が残っている。
小さな城は、もう中心ではない。
だが、それでもなお、彼らにとって最初の火が灯った場所だった。
そしてその夜、オルビス・ノヴァは久しぶりに、小さな城でゆっくりと過去を振り返った。
成埜の地の未来へ進む前に。
地下の領土へ踏み込む前に。
自分たちがどこから歩き始めたのかを、もう一度確かめるために。




