人に、接ぐ
会議が終わった頃には、もう夜もだいぶ深くなっていた。
第一区の大広間の外では、まだ宴の名残が続いている。
笑い声。
杯の触れ合う音。
遠くで誰かが、火の魔術で鍋を温め直している気配。
けれど、会議室兼住まいの奥へ入ると、その喧騒は一気に遠くなった。
石壁に灯る魔法灯は控えめで、
夜を追い払うというより、静けさを薄く照らしているだけだった。
リオは、そこでふと足を止めた。
「……レイン」
少し後ろを歩いていたレインが顔を上げる。
「ん?」
「さっき、会議の途中で言いかけてたよね」
「人に接続できないかな、って」
レインは、一瞬だけ目を逸らした。
「あー……」
「言ったな」
「気になってる?」
と、リオ。
レインは少し黙ったあと、低く息を吐く。
「気になってる」
「かなり」
リオは、そのまま廊下の角を曲がって、人の少ない小部屋へ入った。
元は物資置き場だったらしい。
今は簡単な机と椅子、それから壁際に毛布や木箱が寄せられている。
秘密の話をするには、ちょうどいい。
リオが扉を半分だけ閉める。
「じゃあ、ここで話そっか」
レインは、まだ少し迷っていた。
だが、ここまで来て黙るつもりもないらしい。
「……おかしな話だぞ」
「知ってる」
リオは笑う。
「だいたい、面白い話っておかしい話だから」
「その基準で生きてるの、結構危ないと思う」
「よく言われる」
それで、少しだけ空気がやわらいだ。
レインは、壁際にもたれかかるように立つと、ぽつりと言った。
「人に……接続できないかな、って思ったんだ」
リオは黙って待つ。
レインは続けた。
「考えたこともなかった」
「ほんとに、今まで一回も」
「うん」
「でも、前にみんなで中心部に行った時」
「俺、あの時、近くにある“何か”を感じた」
「土地でも、流れでも、魔気でもあったけど……」
「もしあれが、生命体みたいなものだったとしたら」
そこで、レインは少しだけ眉を寄せた。
「人族とか、魔術族とか」
「そういう他の“生きてるもの”にも、接続できるのかもしれないって」
静かな部屋に、その言葉だけが落ちる。
「今まで、グレイランにいた頃は、そんな発想になるわけなかった」
レインは苦笑した。
「だって、あんな反応したことなかったから」
「……なんていうかさ」
レインは視線を床に落とす。
「バカだよな」
「おかしなこと言ってるよな」
リオは、少しだけ考えるふりをした。
それから、さらっと言う。
「なんか面白そうだね」
「やってみようか」
レインが顔を上げる。
「……軽いな」
「軽く始めないと、重いことは試せないでしょ」
その言い方が妙にリオらしくて、レインは少しだけ笑った。
「みんなには内緒でね」
と、リオがいたずらっぽく言う。
「まあ、そうなるよな」
「でも、どうやってやるのかな」
リオが椅子に座りながら首を傾げる。
「僕も接続される側なんて初めてだから、よく分かんないや」
「俺だって分かんねえよ」
レインが言い返す。
そこからしばらく、二人は真面目に、でもだいぶ手探りで考え込んだ。
「手を握る?」
「雑すぎるだろ」
「じゃあ額に手を当てる?」
「病人見るみたいだな」
「背中とか?」
「なんで?」
「いや、なんとなく」
やってみる。
だめ。
向かい合って座る。
だめ。
肩に触れる。
だめ。
目を閉じる。
だめ。
「うーーん……」
と、リオが机に肘をつく。
レインも、同じように眉間を押さえた。
「全然分かんねえ」
「接続ってもっとこう、ピカーンとかバーンとかないの?」
「あるわけないだろ」
「ないかあ」
「ないよ」
そこで、レインがふと動きを止めた。
「……いや」
「ん?」
と、リオ。
レインは、少しだけ言いにくそうな顔をする。
「昔に、何度かやったことがある」
「え?」
「いや、そんな大したことじゃない」
「大したことじゃない話を、その前置きで始める人、だいたい大したことあるんだよ」
レインはわずかに顔をしかめたが、観念したらしい。
「猫だ」
「猫?」
「グレイランに、グラーっていう女がいた」
「タオーの姉」
「ああ」
リオが頷く。
「知ってる」
「そいつの猫がいなくなった時に、探してくれないかって言われたんだ」
「その時、何となく……スキルの接続を使えないかと思って、やってみた」
リオの身体が少し前へ出る。
「できたの?」
「できた」
レインはあっさり言う。
「見つけられた」
「は?」
「いや、俺もよく分かってない」
「でも、その猫のことを頭の中で思い浮かべて」
「どこだ、どこだって、ずっと追うみたいにしてたら……」
「何ていうか、変な引っかかりがあって」
そこで、レインは自分の言葉に少し詰まった。
「辿れたんだ」
「場所が」
リオは数秒黙った。
それから、静かに言う。
「それ、かなりすごくない?」
「だから、大したことじゃないって」
「いや、猫探しでスキル使えてる時点で、だいぶ大したことあるよ」
レインは咳払いして、話を続ける。
「あと、もう一回」
「犬の、簡単な病気を治したことがある」
「……は?」
今度こそ、リオの目が丸くなる。
レインは本気で、何でもないことみたいに言った。
「そんな大げさなやつじゃない」
「苦しそうにしてて、歩き方もおかしくて」
「痛そうな場所を見てたら、何かできないかなって思って」
「で?」
「その犬と、対話するみたいな感じで」
「頭の中に、ぐっと力を入れて」
「治れ、って願った」
リオが完全に黙る。
レインは、逆に少し困った顔になる。
「そしたら、治った」
「……最初からそれ言いなよ」
リオが、遅れて笑い出した。
「何それ、かなり大事な話じゃん」
「いや、俺の中では本当に、昔のことだし……」
「猫と犬だし……」
「猫と犬だって生き物だよ」
リオは笑いながら言う。
「むしろすごく大事」
「それ、もう“生命体への接続”の前例じゃん」
レインはそこで、ようやく少しだけ実感した顔になる。
「……そうなるのか」
「なるよ」
「しかも、ちゃんと結果が出てる」
「じゃあ、やることは決まったね」
リオは椅子から立ち上がると、レインの前に立った。
「その感じでやってみて」
「その感じって」
「猫と犬の時の感じ」
「最初からそれやりなよ」
レインが少しだけ眉を寄せる。
「お前さ」
「何」
「たまに、人を実験台にするのに躊躇いなさすぎる」
「信頼してるからだよ」
その返しに、レインは完全には文句を言えなくなった。
「……ずるいな」
「知ってる」
と、リオ。
部屋の中が少し静かになる。
レインは、今度は本気で意識を整えた。
向かい合う。
距離は近すぎず、遠すぎず。
リオの右手首に、自分の指先をそっと触れさせる。
前に犬へ触れた時。
あの時は、ただ“痛そうだ”と思った。
そこへ、自分の中の何かを伸ばすような感覚があった。
今はどうだ。
目を閉じる。
リオが、静かに言う。
「急がなくていいよ」
その声が、妙に落ち着く。
レインは、息をひとつ吐いた。
治れ、ではない。
探せ、でもない。
今、欲しいのは――
繋がれ。
そう思った瞬間。
指先の奥で、何かがわずかに沈んだ。
「……っ」
レインの眉がぴくりと動く。
見えた、というほどではない。
だが、何かの輪郭に触れた。
あたたかい。
熱い。
静かなのに、深い。
まるで、無数の扉が、ひどく遠いところで重なっているみたいな感覚。
リオの身体が、わずかに震える。
「……今」
と、リオが小さく言う。
レインは目を開けない。
「何か、あった?」
「うん」
リオは、少しだけ驚いた声だった。
「ほんの少しだけ」
「奥に触られた感じがした」
レインの呼吸が、少しだけ乱れる。
まだ浅い。
でも、確かにゼロじゃない。
その瞬間――
ぶつり、と何かが切れた。
レインが大きく息を吸って、手を離す。
「はっ……!」
リオも、反射的に手首を見る。
何かの光が走ったわけではない。
傷が開いたわけでもない。
でも確かに、今、何かは起きた。
二人とも、しばらく黙っていた。
先に口を開いたのは、リオだった。
「……いけるね」
レインは、額を押さえながら笑った。
「まだ一瞬だ」
「でも、いける」
リオの目が、少しだけ輝く。
「面白い」
「だからその反応なんなんだよ」
「だって、今のかなり大きいよ」
「……まあ」
「うん」
レインはゆっくり顔を上げる。
「ちゃんと、触れた気がした」
「猫や犬の時とは違う」
「もっと深い何かがあった」
「けど、届かないわけじゃない」
リオは頷いた。
「じゃあ、ここからだね」
「ここから、か」
「うん」
「みんなには、まだ内緒で」
「……そうだな」
二人のあいだに、小さな沈黙が落ちる。
でも、それはもう手探りの沈黙ではなかった。
確かに、次へ進むための静けさだった。
扉の外では、まだ宴の笑い声が続いている。
誰も知らない。
この小さな部屋の中で、レインの《接続》が今、初めて“人”へ届きかけたことを。
リオは、手首を見ながら少しだけ笑う。
「ねえ」
「何だよ」
「次、もっとちゃんとやろう」
「今の、絶対まだ浅い」
レインは呆れたように息を吐く。
「……分かってるよ」
でも、その顔は少しだけ嬉しそうだった。
秘密の試みは、静かに始まった。




