中心へ
それは、ひとつの区切りでもあった。
第一区は、もう完全に町の顔を持っていた。
第二区もまた、職人街と物流の要として十分に機能し始めている。
壁は完成し、結界は幾重にも重なり、街道は夜でも光を落とさない。
王国の民も、グレイランの者たちも、魔人も、時にはドラゴンさえも、もうこの地の風景の一部だった。
そして次に目指すものも、はっきりしていた。
第三区。
第四区。
そして――最終的には第5区まで。
その中心には、いずれ城を築く。
ただの防衛拠点ではない。
国の心臓になる場所。
この地に生きる者たちが、立ち返る中心。
だが、その話を本格的に進める前に、どうしても確かめなければならないことがあった。
成埜の地の中心部。
あの断崖のさらに奥。
まだ本当の意味では誰も踏み込んでいない、土地の核。
そこへ、オルビス・ノヴァの主要メンバーが先行調査に向かうことになった。
⸻
朝はまだ早かった。
第一区の門前には、すでに面子が揃っている。
リオ。
ラルラゴ。
ヴァル。
リュメリア。
ノア。
ザルクス。
そして、レインとミア。
ゼルクたち絶騎士団も同行を申し出たが、今回は見送られた。
「まだ早い」
ラルラゴの一言で、それは決まった。
ゼルクも反論はしなかった。
今の中心部は、まだ“見せるための場所”ではないと理解しているからだ。
リオは門の向こう、遠くに見える絶壁の奥を見た。
今まで築いてきたものが、背中にある。
壁。
街道。
区画。
宴。
人の暮らし。
笑い声。
でも今日は、その“先”へ行く。
「なんか」
リオが小さく笑う。
「遠足みたいだね」
「遠足にしては、行き先がだいぶ物騒だけどな」
と、ヴァル。
「物騒っていうか、根本に近づくだけだろ」
ザルクスが気楽に言う。
「あなたの“だけ”は信用ならないのよ」
リュメリアが冷たく返す。
ノアの光が、朝の空気の中でふわりと揺れた。
「ですが、基本的な危険は少ないはずです」
「ザルクス様が管理しておられる土地ですから」
「そうそう」
ザルクスは肩をすくめた。
「少なくとも、理由なく噛みつくようなのはいない」
「多少変なのはいてもな」
「その“多少変”が一番嫌なんだよ」
と、レインが真顔で言う。
ミアがその横で、小さく頷いた。
「うん」
「ちょっと、嫌な音ある」
「ほら見ろ」
レインが即答すると、ザルクスが吹き出した。
「ははっ」
「でも、そういうの拾えるのは大事だぞ」
ラルラゴが前へ出る。
「行くぞ」
その一言で、一行は歩き始めた。
⸻
第二区を抜ける。
整備された石畳が続き、壁沿いには朝の巡回が見える。
火の魔術灯は、朝日が差し始めるにつれてゆっくり消えていく。
居住区の窓からは煙が上がり、どこかで朝食の準備が始まっている匂いがした。
その平和な背中を抜けると、空気が少し変わった。
第三区予定地。
まだ形になり始めたばかりの区画。
ここには建材が置かれ、簡易拠点があり、整地も進んでいる。
だが、まだ人の生活の匂いは薄い。
さらに進む。
第四区予定地に近づくにつれ、道は整っていても、土の色が変わる。
石の質が変わる。
風が変わる。
ミアが、最初に立ち止まった。
「……濃い」
「魔気か?」
リオが聞く。
「うん」
ミアは少しだけ眉を寄せた。
「濃いし、近い」
「あと、下で鳴ってる」
レインが足元を見る。
まだ彼には、はっきりとは分からない。
だが今日は、朝からずっと少しだけ身体の奥がざわついていた。
ザルクスは、ここでようやく少し真面目な顔になる。
「ここから先は、地殻の流れも強い」
「俺がいじった場所も多いし、元から生きてるみたいな土地だからな」
「生きてるみたい、じゃなくて」
リュメリアが呟く。
「ほとんど生きてるのではなくて?」
ザルクスが笑った。
「その認識でだいたい合ってる」
レインが、露骨に嫌そうな顔をした。
「嫌すぎるだろ、その土地」
「でも面白いぞ」
ヴァルが愉快そうに言う。
「生きてる土地は、慣れると反応が早い」
「慣れたくないです」
と、レイン。
ノアがくすくす笑う。
⸻
さらに奥へ進む。
第4区の予定地を越え、まだ誰も本格的な拠点を置いていない“中心への道”へ入った頃だった。
空気が、明らかに重くなった。
ただ魔気が濃いだけではない。
身体の表面にまとわりつく。
肺に入る。
耳の奥で鳴る。
地面の下から、一定ではない鼓動みたいな振動が上がってくる。
リオが、少しだけ目を細めた。
「……なんだこれ」
「中心に近づいている証拠だ」
ラルラゴが言う。
「魔気だけじゃないわね」
リュメリアが周囲を見回す。
「地の圧そのものが強まってる」
「地脈が、表層に近いところまで浮いてきてるのかも」
ザルクスが頷いた。
「それもある」
「あと、ここらへんから先は、成埜の地が“自分の芯”に近い場所を見せ始める」
「土地が芯を見せるって何だよ」
レインが言いかけて、止まる。
足元が、また震えた。
ごく小さく。
だが、今度はただの揺れじゃなかった。
何かが、下を流れている。
石と土と魔気と、もっと別の何か。
それが幾重にも絡み合って、一本の巨大な“線”みたいになっている感覚。
レインの呼吸が、浅くなる。
「……レイン?」
ミアが振り向く。
レインは返事をしなかった。
視線が、足元から動かない。
「おい」
リオが一歩近づく。
「どうした」
「……何か」
レインの声は、かすれていた。
「変だ」
「何が?」
レインは、自分でも説明できない顔をしていた。
恐いのか。
苦しいのか。
それとも、嬉しいのか。
そのどれでもあるような、妙に落ち着かない顔だ。
「繋がってる」
場が、静まる。
ザルクスの目がわずかに細くなり、
ラルラゴはすぐに何も言わずレインを見る。
リュメリアの視線も変わる。
ノアの光が、静かに揺れた。
リオがゆっくり聞き返す。
「……何と?」
レインは、額を押さえた。
「分からない」
「でも、下だ」
「ずっと下」
「何本も……いや、一本じゃない」
「土地と、魔気と、何かもっと別の……」
言葉が途中で途切れる。
息が乱れる。
ミアが一歩寄る。
「レイン」
「だいじょうぶ」
レインはそう言ったが、声は全然大丈夫そうじゃなかった。
ザルクスが、珍しく軽口を挟まなかった。
「……始まったか」
その小さな呟きを、リオは聞き逃さなかった。
「ザルクス」
「何が始まった?」
ザルクスは、少しだけ笑った。
でもその笑みは、いつものふざけたものよりずっと薄い。
「接続だよ」
レインの肩がびくりと揺れる。
「まだ、ほんの触りだ」
「けど、この土地の芯は、お前のスキルと相性が良すぎる」
「相性って……」
レインは歯を食いしばる。
「そんな軽いもんじゃ……」
その瞬間。
ずんっ
一段、深い振動が足元から走った。
リオが反射的にレインの腕を支える。
ミアは目を見開いて、何かを聴こうとするみたいに息を止める。
ラルラゴの手が、わずかに剣へ伸びた。
そして。
レインが、ゆっくりと顔を上げた。
目の焦点が、いつもと少し違う。
「……もっと奥にある」
声は、確かにレインのものだった。
でも、その言葉は半分、別の流れを口にしているみたいだった。
「中心」
「まだ下」
「もっと下の……」
「何かと、繋がって……」
そこで、言葉がぷつりと切れる。
風が吹く。
成埜の地の中心方向――まだ見えぬその奥で、何かがじっとこちらを見返しているような、そんな感覚だけが残った。
リオは、レインの肩を支えたまま、前を見た。
第5区。
その先。
中心。
城になるはずの場所。
そのさらに下に、何があるのか。
まだ誰も分からない。
だがひとつだけ確かなことがあった。
レインの“接続”は、もう始まりかけている。
そしてそれは、この土地の核心に近づくほど、否応なく進む。
ザルクスが小さく息を吐く。
「……面白くなってきた」
「面白がるな」
と、リュメリアが冷たく返した。
だが、その目はもう冗談を見ていなかった。
オルビス・ノヴァの一行は、成埜の地の中心を前にして、ようやく本当の入口に立ったのかもしれなかった。




