成埜の地の開拓
それからまた、歳月が経った。
成埜の地の開拓は、もはや“順調”という言葉では足りないほどの速さで進んでいた。
異常だった。
王国の職人たちも、グレイランから出てきた者たちも、絶騎士団も、ヴェルド・クレストも、最初は皆そう思っていた。
だが今では、もう誰もその異常さを否定しない。
なぜなら、その中心にザルクス=ガイアがいたからだ。
《天縁断界》の期間を越え、数年ぶりにギルドへ正式に戻ったザルクスは、復帰したその日から、まるで遅れを取り戻すみたいに動き始めた。
いや、動くというより――
土地そのものを加速させた。
魔獣が働く。
魔人が働く。
しかも無理やり従わせている空気ではない。
ザルクスが従え、生み出し、呼び、繋いだ存在たちは、みな知能が高かった。
命じられているというより、役目を理解して動いている。
打ち解けるのも早かった。
最初こそグレイランの連中も警戒していたが、今では「あっちの地固め頼む!」「そっち先に崩しとけ!」などと普通に声をかけている。
魔人の側も、当然のように返事をする。
「了解した」
「では、崩落防止を優先しよう」
「お前は足場に気をつけろ。まだ人の脚では浅い」
そんなやりとりが、もう珍しくもない。
グレイランの若い連中など、魔人相手に肩を並べて働き、休憩中には果実を分け合っているくらいだった。
「ザル兄んとこの連中、最初はこえーと思ったけど、案外いいやつ多いよな」
「お前、その言い方失礼だぞ」
「いやでも、見た目はこえーだろ!」
笑い声が飛ぶ。
そして、そういう空気の中心には、いつも働く影たちがあった。
⸻
成埜の地の防壁は、ついに完成した。
絶壁の上に築かれたその防壁は、高く、長く、広く、まるで山脈の上にさらに山脈を積んだようだった。
ノアの多重結界は全域に施され、見る者によっては壁の輪郭が空気の中に二重三重にぶれて見える。
その内側には、すでに町が育ち始めていた。
第一区。
中核となる行政・会議・居住区画。
第二区。
職人街、保管庫、訓練場、物流区画を含む拡張区域。
二つの区画のあいだには、さらに壁がある。
結界がある。
そして絶壁そのものがある。
守りすぎではないか、と最初は誰もが思った。
だが成埜の地の中で生きる以上、“守りすぎ”という言葉はすぐに消えた。
この土地において、油断は風景と同じくらい簡単に死を呼ぶ。
だからこそ、防壁は必要だった。
区画も必要だった。
多重の結界も、地の深くに巡らされたザルクスの術も、全部必要だった。
道も整えられていた。
街道はもはやただの運搬路ではない。
王都と成埜の地を繋ぐ、明確な生命線だ。
夜になっても、暗くならない。
外の道には、火の魔術を応用した街灯が一定の間隔で灯り、ゆらぎの少ない橙色の光がずっと先まで続いている。
居住区や施設内では、光の魔法が柔らかく使われ、白く穏やかな明るさが夜を押し返していた。
料理場には、火の魔術が当然のように組み込まれている。
大鍋が並び、魔人と人が一緒になって食材を運ぶ。
水は、近くを通る巨大な川から引き上げられ、魔術で濾過され、配水路へ流されていた。
インフラの不安は、最初に思われていたよりもずっと早く消えていった。
成埜の地は、もう“土地”ではなかった。
国になる途中の場所だった。
⸻
ある日の昼下がり。
リオは、第二区の外れから防壁工事の進み具合を見ていた。
巨大な石材が持ち上がる。
地面がひとりでに均される。
岩盤の継ぎ目が、ありえない精度で噛み合っていく。
その働きぶりの中で、ひときわ目立つ影があった。
背が高い。
どこか黒く、どこか重い。
他の魔人たちに明確に指示を出している。
「あれ……?」
リオは目を細める。
距離がある。
防壁工事の音も大きい。
だが、姿勢と気配に、見覚えがあった。
「あれれ?」
レインが隣で首を傾げる。
「どうした」
「いや……」
リオは前を見たまま言う。
「もしかして、あれ」
その瞬間だった。
遠くに見えていたはずの影が、ふっと消えた。
次の瞬間には――
すぐ目の前にいた。
「うわっ!?」
さすがのリオも一歩引く。
黒い外套のような気配をまとったその存在は、静かに片膝をついた。
「あの時は失礼いたしました、リオ様」
リオの目が完全に見開かれる。
「ええーー!!?」
レインまで声を裏返らせた。
目の前にいるのは、間違いなかった。
成埜の地で現れた、あの時の魔神。
“まだ早い”と告げ、あの異様な知性と圧を見せた存在。
リオは思わず指をさす。
「やっぱり、あの時の……!」
魔神は、礼を崩さぬまま答えた。
「はい」
「すべてはザルクス様の命により動いておりました」
その声音は落ち着いていて、流暢で、どこか気品すらあった。
「……名前は?」
と、リオ。
魔神はゆっくりと顔を上げる。
「ディルガレスと申します」
その名が落ちた瞬間、防壁の上で働いていた何人かの魔人たちまで一瞬だけこちらを見た。
ディルガレスは静かに続ける。
「魔神は私だけではありません」
「これから先、お会いになることもあるかと」
リオはもう、何に驚けばいいのか少し分からなくなっていた。
「え、そんなに普通に言うの……?」
レインが半笑いで呟く。
「この土地、だんだん“普通”の定義が壊れていくな」
ディルガレスは、わずかに口元を緩めた。
「ええ」
「よきことかと」
⸻
そして、一際目立つのがドラゴンだった。
あの時、小さな城を襲ったクラスト・ドラゴンそのものは、まだ姿を見せていない。
だが成埜の地には、すでに様々な種類の大型ドラゴンが働いていた。
土を砕く竜。
岩盤を押し上げる竜。
地中の流れを読む竜。
熱を扱い、石を焼き締める竜。
当然のように言語も扱う。
しかも流暢だ。
「その基礎では浅い」
「ここから三尺掘れ」
「左の応力が偏っている。支柱の向きを変えろ」
最初にその光景を見た王国の職人たちは、半日ほど口を開けたまま戻ってこなかったらしい。
だが今では、頑固な老建築士がドラゴン相手に怒鳴っている。
「そこだ! そこをもう半歩右だ!」
「理解した」
「よし、そのまま固定しろ!」
「承知した」
普通とは何か、誰ももう口にしなかった。
⸻
夜。
第一区の大広間の外。
中央の噴水の前で、リオとラルラゴが並んでいた。
周りでは、毎夜のように宴が開かれている。
王国の民。
グレイランの連中。
職人たち。
騎士たち。
魔人たち。
時にはドラゴンの一部まで、噴水の向こうの広場で不思議そうに酒盛りを眺めている。
人も魔もごちゃ混ぜだった。
なのに、そこに無理がない。
笑い声があちこちで弾けている。
楽器の音もする。
火の魔術が料理を照らし、光の魔法が石畳を優しく染めていた。
リオはその光景を見ながら、小さく笑う。
「ここ」
ラルラゴが横目で見る。
「もし国になったら」
「名前、何がいいかな」
ラルラゴは、すぐには答えなかった。
いつもなら短く切るところだ。
だが今夜は、少し違う。
酒が進んでいるらしい。
珍しく、その横顔に緩みがある。
しばらく噴水の水音だけが流れたあとで、ラルラゴが口を開いた。
「……改めて思う」
リオが見る。
ラルラゴの声は低い。
だが今夜は、いつもよりずっと言葉が多かった。
「お前が復活してくれてよかった」
リオの目が少しだけ揺れる。
「ラルラゴ……」
「普段あれほど余裕に振る舞うあいつらも」
ラルラゴは宴の方を見た。
「お前がいなくなった時は、悲しんだ」
「焦った」
「取り乱した」
噴水の向こうでは、ヴァルが誰かに何かを大げさに語っている。
リュメリアは呆れ顔で杯を持ち、
ノアの光は穏やかにその場を漂っていた。
ザルクスはグレイランの若い連中と一緒に、なぜか焼き串の取り合いをしている。
ラルラゴは続けた。
「800年後まで生きるなどという、無謀な計画を立てて、実行するほどにな」
「それほど、お前に会いたがっていた」
リオは、何も言えなかった。
「この数年」
ラルラゴは静かに言う。
「お前が復活してから、何もかもが変わった」
「国も」
「民も」
「グレイランも」
「その連中も」
「ノアの復活も」
「……全部だ」
噴水の水が、月の光を受けて揺れる。
宴の笑い声が遠くに聞こえる。
「やはり敵わん」
ラルラゴは、そこでほんの少しだけ笑った。
「お前には」
リオは眉を寄せる。
「何言ってるんだよ」
「敵わないのは俺の方だよ」
「華やかさも」
「強さも」
「何もかも、みんなの方が――」
「違う」
ラルラゴが、きっぱりと言った。
その一言だけで、リオは口を閉じる。
ラルラゴは、まっすぐ前を見たまま続けた。
「華やかさも」
「強さも」
「惹きつける力も」
「変えてしまう力も」
「全部、お前の方が上だ」
リオは息を止めた。
ラルラゴが、ゆっくりと顔を向ける。
「だから選んだ」
「リーダーに」
その言葉は重かった。
なのに、不思議と押しつけではなかった。
昔からそうだった。
今もそうだ。
これからもそうなのだと、ただ事実を伝える声だった。
宴の向こうで、ノアの光がふわりと跳ねる。
まるで、聞こえていたみたいに。
リオはしばらく言葉が出なかった。
それからようやく、少しだけ困ったように笑う。
「……ずるいな」
「何がだ」
「そんな言い方されたら、否定しにくい」
ラルラゴは短く鼻を鳴らした。
「否定するな」
「面倒だ」
その返しが妙にラルラゴらしくて、リオは笑った。
噴水の音。
宴の音。
人の声。
魔人の声。
火と光の魔法が揺れる夜。
この場所はもう、ただの拠点ではなかった。
ただの開拓地でもない。
ましてや、誰かに与えられた褒美でもない。
生まれつつあるのだ。
新しい国が。
新しい時代が。
そして、その中心に自分がいる。
「……名前か」
リオが噴水を見つめながら呟く。
ラルラゴも、静かに水面を見た。
夜はまだ深い。
宴もまだ終わらない。
だがこの夜は、確かに“建国”という言葉の輪郭を持ち始めていた。




