聴こえすぎる少女と、王の宣言
長机の上の灯りが、静かに揺れていた。
ザルクスの軽すぎる告白の余韻が、まだ広間の中に残っている。
魔神。
ドラゴン。
成埜の地の再設計。
街道と防壁の進みすぎた理由。
どれもこれも、ひとつ間違えば冗談で済ませたい話ばかりだった。
だが、この場にいる誰も、もう笑いだけでは流せなかった。
そんな中で、ザルクスがふと口元を上げた。
「……んで」
視線が、広間の端へ流れる。
「この中に、ある程度察知してたやつがいるな」
その一言に、空気がわずかに動く。
リオが目を瞬く。
「え?」
ザルクスは、少しだけ顎をしゃくった。
「なあ、ミア?」
その名が落ちた瞬間、何人かの視線が一斉に向いた。
そこにいたのは、ミアだった。
もう、あの頃の“背中を丸めて人の影に隠れるだけの少女”ではない。
数年の歳月は、彼女の輪郭を静かに変えていた。
髪は丁寧に整えられ、立ち姿には迷いが薄れている。
細く見える身体つきはそのままでも、目の奥には以前よりずっと強い光があった。
声を出す前に怯えていた頃の、あのたどたどしさも、今はかなり薄い。
ミアは、少しだけ目を伏せてから、素直に頷いた。
「うん、知ってた」
ざわ、と場が揺れる。
レインが振り向く。
「……は?」
ミアは続けた。
「知ってた、っていうより」
「聴こえてた、かな」
その言い方は、前よりずっと落ち着いていた。
無理に大人ぶっているわけではない。
ただ、時間をかけて、自分のスキルと向き合ってきた者の声音だった。
「ボリュームが大きすぎて、バレバレだったよ」
沈黙。
そして次の瞬間、一同がさらにざわつく。
「バレバレ……?」
「何がどこまでだ……?」
「いや、待て、そんな前から……?」
ミアは首を傾げる。
「ザルクス様の音、すごく特徴的だから」
「軽いのに深いし、遊んでるみたいなのに、ずっと下の方で大きい音が鳴ってる」
「成埜の地の音と、同じところで繋がってた」
ザルクスが、くっくっと肩を揺らす。
「ほらな」
「面白いだろ、この子」
リオは目を丸くしたままミアを見る。
「ミア……」
「いつから?」
「かなり前から」
ミアは正直に答えた。
「でも、断言するのはまだ早いかなって思ってた」
「言葉にするには、音が大きすぎたし」
レインが、今度こそ完全に固まる。
「……だからお前、あの時」
「あの時?」
と、リオ。
レインはミアを見たまま言う。
「何回かあったんだよ」
「こいつ、ザル兄が来る前に変な顔してる時」
「俺、ただ体調悪いのかと思ってた」
ミアは少しだけ苦笑した。
「違和感じゃなくて、本人だったからね」
「近づいてくる前から、ずっと大きかった」
ヴァルが楽しそうに笑う。
「うむ」
「やはり育ったな」
リュメリアも、腕を組んだまま静かに言う。
「前から片鱗はあったわ」
「でもここまで輪郭を持つのは、もう少し先かと思ってた」
ラルラゴは短く言った。
「よく聴けている」
その一言に、ミアはほんの少しだけ照れたように目を伏せた。
リオはそこでようやく、周りを見た。
ヴァル。
ラルラゴ。
リュメリア。
三人とも、今の話にそこまで驚いていない。
「……まさか」
リオが言う。
「みんな、ある程度気づいてたの?」
ヴァルが肩をすくめる。
「まあな」
「全部ではないが、妙に聴こえすぎてるのは分かってた」
「気づいてたなら教えてよ」
と、リオ。
「それを先に言ったら面白くないでしょう?」
と、リュメリアが返す。
「そこ基準なんだ……」
リオが呆れたように言うと、ザルクスが大笑いした。
「いいなあ、お前ら」
「相変わらず面白い」
だが、その空気を次に切り裂いたのもまたザルクスだった。
彼はくるりと首を巡らせて、セルディアから来た一団を見る。
「ところで」
と、妙に軽い声で言った。
「SSSと名乗るそちらの方々よ」
「なんの用だったっけ?」
グラディスたちが、目に見えてびくっとなる。
さっきまでの“自国認定SSS”としての肩書きは、もう完全に剥がれ落ちていた。
グラディスが、喉を鳴らしてから答える。
「……我々は」
「一度国へ戻り、今後、国同士でのギルド同盟を結びたいと考えている」
「互いの国を行き来し、ギルドメンバー同士が協力し合えるように」
「そして、両国の発展にも――」
「無理するな」
ザルクスがあっさり遮る。
グラディスが止まる。
「え?」
「背伸びした言い方、今のお前らには似合わん」
ザルクスは笑った。
「まずは普通に来い」
「見て、知って、持ち帰って、それからだろ」
その言葉は乱暴だったが、不思議と嘲りだけではなかった。
グラディスはしばらく黙ったあと、深く頭を下げた。
「……その通りだ」
ザルクスは頷き、それ以上は追わない。
そして今度は、半泣きのまままだ広間の端で固まっていた公爵へ目を向けた。
「それと、そちらの公爵よ」
公爵の肩がびくりと跳ねる。
「なんの用だったっけ?」
「まだ文句あんのか、こら」
「ひえっ……!」
情けない悲鳴が上がった。
「い、いや、あの、その、違っ、わたしは、その……!」
「ちょ、ちょっとした、言葉の綾というか……!」
「そうか」
と、ザルクスが笑う。
「なら帰れ」
「ひえええええっ!!」
公爵は本当にそのまま逃げた。
騎士も用心棒も、もう体面などかなぐり捨てて後を追う。
誰一人、振り返ろうとすらしない。
その様子に、広間のあちこちから笑いが漏れる。
ヴァルが腹を抱える。
「だめだ」
「今日は本当に傑作ばかりだな!」
リュメリアも、さすがに口元を押さえていた。
「ええ」
「ここまで綺麗に逃げると、逆に感心するわ」
レインは呆れ顔で首を振る。
「すげえな……」
「公爵って、もっとこう、偉そうなまま帰るもんじゃないのかよ」
「今日は無理だったみたいだね」
と、リオ。
ミアは、そんな笑い声の中でも、まだ少しだけ静かだった。
けれどその横顔に、もう昔みたいな“泣きそうなだけの不安”はない。
聴こえすぎる世界の中で、少しずつ自分の立つ位置を見つけ始めた顔だった。
⸻
それから数日後。
王都の中央広場には、国民が集められていた。
商人。
職人。
騎士。
貴族。
グレイランの者たち。
王都の民。
街道整備に関わる者たち。
成埜の地へ希望を見始めた者たち。
ざわめきは大きかった。
突然の召集。
王自らが公の場で発表を行うという知らせ。
しかも、壇上には王だけではなく、騎士団上層、重臣たち、そして――
オルビス・ノヴァの面々がいる。
王が一歩前へ出た。
広場が静まる。
その声は、よく通った。
「本日、我が国は正式にここに宣言する」
民衆の息が止まる。
「歴史から姿を消していたSSSギルドは、実在した」
「そして今、この国に戻ってきている」
どよめき。
だが王は止まらない。
「その名は――」
「オルビス・ノヴァ」
広場が、大きく揺れた。
王はさらに続ける。
「我が国はこのギルドを、正式に認める」
「国公認、王公認」
「そして、王国直属の存在として遇する」
ざわめきが一段大きくなる。
貴族たちの一部は顔をこわばらせ、
騎士たちは背筋を伸ばし、
グレイランの者たちは息を呑んで見上げていた。
王の声が、そこへ重く落ちる。
「必要とあらば、王たる私もまた従う」
「それほどの格を持つ存在だ」
沈黙。
「貴族とは、格が違う」
「ひとつの家の権威ではない」
「国そのものを支えうる力であり、国そのものを動かしうる意志である」
その一言一言が、王都の中央へ深く刻まれていく。
グレイランの端にいた者の目に、涙が浮かんだ。
レインは、少しだけ目を細めてリオを見る。
ミアは、その広場に満ちた無数の“熱”を静かに聴いていた。
リオは、王の言葉を聞きながらも、どこかまだ実感の薄い顔をしていた。
だがその隣で、ヴァルがにやにやと笑っている。
「ほらな」
「こういう時だけ、うちの王は格好いいんだ」
「こういう時“も”でしょうに」
と、リュメリア。
ラルラゴは何も言わない。
ノアの光だけが、静かに揺れていた。
広場のあちこちで、声が上がり始める。
「SSS……」
「本当にいたんだ……」
「王がそこまで……」
「オルビス・ノヴァ……」
その名は、もう噂ではない。
公に。
王によって。
国そのものによって。
世界へ向けて打ち鳴らされた。
そしてその波は、間違いなく国境を越えていく。
歴史から消された名は、もう隠れない。
成埜の地も、グレイランも、小さな城も、もう内輪の話では終わらない。
時を経て、寄る波。
動き出した外の世界。
国境を越える波紋。
そのすべてが今、はっきりと現実の形を取り始めていた。




