第7杯 昔話
2月後半、フランスは冬を超え春の雰囲気が始まります。雪は降らす、過ごしやすい気温がやってくるのです。
「アスペルジュ、まだかなぁ?」
フランスの春の食べ物、アスペルジュ。日本語ではアスパラガスと言います。
「もうちょっと。3月にならないと取れないよ」
「分かってるー」
今日、レ・カフェイ・カデは休業日です。
店長は何も予定の無いこの日、珍しく遅くまで寝ていました。
「おい。起きろ」
男の声にかけられ目を覚ますと、土の上で寝ていたのです。抱いていたのはルベルM1886。フランス軍採用のライフルで1940年まで主力だった銃でした。
「…朝か?」
「なら良かったが幸いただの光だ」
空には3つの太陽があります。理解し難い光景に戸惑う中、自分を見ると水色の軍服とヘルメットをかぶっていたことに気づきました。
「…照明弾…か」
「敵が来る!敵が来る!起床!起きるんだ!」
将校の笛の音で飛び起きる兵士たち。それを見て店長は思い出します。
「ヴェルダン…」
1916年
西部戦線
ヴェルダンの戦い
有刺鉄線が切られ塹壕にグレネードが投げ込まれ、ついには死者が出ます。
「来るぞ!」
店長は急いで着剣し中に傾れ込んできたドイツ兵を刺し殺すのです。銃剣を抜きすぐさま次の敵に備えます。
「来るな!来るな!」
ガントレットダガーを持ったドイツ兵に殴りかかると、間一髪で避けゼロ距離射撃をし、ドイツ兵の腑を貫通。薬莢が銃から飛び出ます。
「後ろだ!」
殺される。そう店長は感じました。しかしサーベルを振り下ろそうとしたドイツ将校を仲間が撃ち殺し、なんとか生き延びます。
「大丈夫か!?」
「なんとか…」
グサッと、助けた味方はドイツ兵に銃剣で刺され店長の上に倒れ込み、家族の写真が飛び出してきました。
刺したドイツ兵を店長は発砲し、弾は脚に命中。そのまま塹壕に倒れ込み、店長は銃剣で刺し殺したのです。
この夜戦はフランス軍の勝利となりました。
第一次世界大戦中、この時の夜戦は珍しいものでした。現代のように銃にライトが付いていることのないこの時代、照明弾という人工的な太陽から自分の目に頼り白兵戦を繰り広げるのです。発砲は敵と勘違いされることもあるため危険だったのです。
いつのまにか朝になりすっかり明るくなっていました。
「何が…起きてる…。なぜお前がいきてるんだ生きてるんだ…」
「伏せろ!」
ドイツ軍の蹂躙砲撃が始まり、中には爆発せず、ボスンッという特徴的な音を出す砲弾も降り注ぎました。
「状況ガス!ガスマスクを着け」
そう命令した将校は砲弾に命中し吹き飛びます。
店長は必死にガスマスクを装着し、塹壕の掩蔽壕に身を隠します。大地が揺れ、ガスマスクによる自分の呼吸音が耳を貫く様はまさに地獄。
「…収まったか」
「配置につけ!すぐに敵が来るぞ!」
第一次世界大戦は塹壕戦が主流でした。敵の塹壕を破壊するには大量の砲撃で塹壕を破壊し突撃する戦法を取るしかなかったのです。失敗しても、何度も、何度も、何度も突撃を繰り返す。無謀ではありますが、効果はあったのです。
「急げ!早くしろ!」
将校の笛に動かされるかのように発砲を開始。機関銃の火も吹き始めました。
この日、店長は地獄を見たのです。
再び有刺鉄線が切られドイツ兵が突入します。
「クソ!来るぞ!」
塹壕にグレネードが投げ込まれ、塹壕を渡る橋が破壊されます。
油断した矢先、目の前には大量のドイツ兵が向かって来ています。機関銃は頭を撃ち抜かれ既に戦死しており、フランス兵たちは逃げ出します。店長も同じでした。急いで塹壕を登り後ろに向かって走ります。
「ああぁぁぁぁぁぁ!!」
「熱い!熱い!ママぁぁぁぁああああ!」
「来るなぁ!来るな!」
背後の恐怖から飛び出た悲鳴を恐る恐る見ると、そこにはボンベを背負った特殊なドイツ兵が、塹壕に向かって火を出していたのです。
「な、なんなんだあれは…」
「おい!しっかりしろ!逃げるぞ!」
味方に呼びかけられ全力疾走で店長は逃げました。銃すら忘れて。
このヴェルダンの戦いで大量導入された兵器があります。火を吐く銃。すなわち火炎放射器です。
火炎放射器はただ火を吹くわけではありません。火、酸素、そしてガソリンを一斉に射出することで人に移れば最期、ガソリンに纏う火は水をかけても消えないのです。
火炎放射器は1914年のアルゴンヌの戦いで世界で初めて導入されましたが、数は限定的。大量に導入されたのがこのヴェルダンの戦いでした。
「あ…ぁぁ…」
気づくと、自室のベッドの上でした。
「クソ…夢か…」
あの瞬間を店長の記憶は忘れようとしなかったのです。
時計は午前10時半を指していました。
「…今日は何をしようか…新しいワインでも買いに行くか」
店長がワインを長々と選ぶ中、店員が話しかけます。
「何か、お探しでしょうか?」
「…高めで、古き良き友に贈れそうなものと、私が飲む用のおすすめはないかい?」
「なるほど。高めでご友人に送るとしたら、こちらはどうでしょうか?シャトー・マルゴー1929。最高の当たり年のボルドーです。1930年代のはありませんので希少性も兼ね備えています。お客様におすすめできますのは、ロマネ・コンティなんてはどうでしょう?」
「ではそれで」
「かしこまりました」
店長は購入したワインを持ち、電車を使いとある場所に向かいます。
駅に止まり、しばらく歩くと立ち入り禁止の看板があり、それを横切ると、木の下に隠れた簡易な十字架があったのです。
目の前には緑に溢れていますが、ここはレッド・ゾーンと呼ばれる戦地の跡地です。レッド・ゾーンは不発弾、地雷が未だ数多く埋まっている場所であり、"人間が暮らすことは不可能"と言われています。
「…元気にしてるか」
そう言って、店長はシャトー・マルゴーを十字架を立てかけたのでした。




