第3杯 戦争への熱さ
「「「できた!」」」
数週間の末に開発された軍用レーションデザート、その名は"ラ・ジャール・ド・ノワ・ド・ココ"。ココナッツの壺という意味があります。
彼女らは戦場の常温に耐えるために、長方形をやめ、真空で缶に詰めるようにしました。これはアペール法と呼ばれ、中を真空状態にすることで保存性を高める技術です。アペール法は現代まで使われるフランス発祥の技術であり、1804年、ナポレオン戦争時に軍事レーションのために開発されたものでした。この技術により誕生した軍事レーション、それは"缶詰"だったのです。
「できたと聞いたが本当かね?」
「はい!こちらです!ぜひお召し上がりください!」
「…缶詰にデザートか。なかなか良い発想だな」
スプーンで砕き食べてみると、将校は長く目を閉ざし口をモグモグと動かしています。
「…実に良い。良いものだ。小さめの缶詰の中にこれを入れよう。大尉!これを持っていきたまえ。上層部に伝えるんだ。南国が来たとな」
「…南国?」
「君らレ・キャフェイ・カデの皆様には誠に感謝を申し上げる。本当にありがとう。約束通り条件は行った。お店の倒産の心配はない。これからもよろしく頼む」
「えっ…あっえーっと…よ、よろしくお願いします!」
エマと将校は握手を交わし、将校は満足そうに車に乗り帰っていきました。
「「「やったー!」」」
レ・キャフェイ・カデは一時的な歓喜に包まれました。フランス軍将校に認められるほどのデザートを作れた事実、そして大量の報酬。嬉しさでいっぱいでした。
「あのココナッツ、このお店の新メニューに出そうよ」
「そうですね!きっとお客さんも喜んでいただけるはずです!」
「ねぇエマ!料理人さん!イリスは、これを見てくれたら帰って来てくれるかな?」
その純粋な瞳と問いにエマと料理人さんは言葉が詰まります。罪悪感も無いそのジャンヌの言葉は、正直な答えが言えなくなるようなものだったのです。
「…きっと、帰って来てくれるよ。イリスはここが大好きだもん」
「そうだよね!」
11月にもなると、パリは空気が冷え小雨が増えてきます。
「ジャンヌ〜!ヴァーニャ店長のところまで茶葉を買ってきて〜!」
「はーい」
傘と籠を持ち出かけます。
この時点でフランスはかなり暗い雰囲気になっていました。世界恐慌を抜けたというのに、今度は戦争。まさに狂乱の時代と言えるでしょう。
「ジャンヌだ」
「ジャンヌ。この先に行かない方がいい」
通りすがりの人々から警告されます。
「なんでですか?」
「デモが起きてる。暴動に巻き込まれるよ」
「…でも、茶葉を買わなきゃいけないから行ってくるね。ありがとう」
街角を曲がり広がっていた光景は悲惨なものでした。鉤十字やヒトラーの顔が描かれていた絵にばつ印を付けた旗を持ち、石、瓶を国家憲兵隊の騎兵らに投げつける市民。それを逮捕、鎮圧する国家憲兵隊や警察が暴動を繰り広げていたのです。
近くからはカメラマンや記者がカメラを持ち撮影をしています。
ヴァーニャ店長が経営するアンリ・エドゥアール・フレールは暴動の先にあります。まさにピンチそのものでした。
「…行かなきゃ…!」
ジャンヌの脳裏にはイリスの顔が浮かび上がります。
傘を閉じ急いで突破する作戦です。
「ファシズム反対!」
「社会主義者は出ていけ!」
「左翼を許すな!」
「救急車を呼んでくれ!」
「検挙!全員検挙しろ!」
警棒や盾を持った騎兵と暴動鎮圧兵による一斉検挙が始まる中、ジャンヌは前進を続けていました。
「邪魔だガキ!」
「ご、ごめんなさい!」
「退け!死にたいか!」
「すみません!すみません!」
揉みくちゃにされ、さらにはおでこに警棒が当たります。痛みに耐えながらついに暴動を抜け、お店に辿り着きました。
「いらっしゃい…って、ジャンヌじゃないか!大丈夫だったか?服も髪もびちょびちょじゃないか」
「痛いだけ…」
「痣ができてる。布湿布を取ってくるから待ってなさい」
「あ、あと…このメモ通りの茶葉をください」
「はいよ。お金はそこに置いといてくれ」
タオルで体や顔、髪を拭きます。
「はい。じっとしてくれ」
手塗りの布湿布を貼りヒンヤリとした感覚が頭を襲います。
「冷た…」
ヴァーニャ店長は茶葉を入れながらとある言葉を口にしました。
「…実は、今月中には店を畳むんだ」
「え!?なんでいきなり…」
「戦争も激戦化するかもしれない。フランスが爆撃にあったら大変だ。俺は親と一緒にロシア内戦から逃れてきた、いわば白系ロシア人だ。亡命者扱いの白系ロシア人は、仏ソ相互援助条約が締結されてから監視されるようになっちまった。関係悪化を招く要因になるってな」
1917年から1922年まで続いた大規模な内戦であるロシア内戦。死者は記事によって違いますが、700〜1000万人以上が死亡したとされています。このロシア内戦の戦火から逃れるため、フランスやアメリカ、日本といった国外に逃亡した者を白系ロシア人と言います。特にフランスには多くの白系ロシア人が流れてきていました。
「そんな…」
「悪いな。俺と同じ白系ロシア人はフランス兵に志願した奴もいると聞いたが、俺にも家族がいる。爆弾や銃弾で苦しんで死ぬより、沢山の金を使って生き延びた方がマシだ」
「行く手はあるの?」
「アメリィーク行きのチケットを手に入れた。まだ制海権を取られてない今のうちに渡った方がいい。Uボートもいないだろうからな」
ヴァーニャは予知していたのです。
フランスは負けると。




