40.嘘をつくこと
王宮での密会から三日が経ち、ソフィアは部屋で自由に過ごしていた。
今日は診察があるため、ソフィアはローエン侯爵家の家族と朝食を取ったあと、診察着へと着替えをしてマーガンが来るまでの間自室のソファで本を読んでいた。
「お嬢様、マーガン医師がいらっしゃいました」
「お通ししてください」
ミリーの声でマーガンが来たことを知ったソフィアは、すぐに読んでいた本を置いてマーガンを出迎えた。
マーガンの隣にはいつものようにエミリアもついており、ソフィアもその方が少し安心できた。
「今日はいつもの定期診察ですが、ソフィア様が何かおっしゃりたいことがあると伺いました」
「はい、歩けるようになったので見ていただきたいと思って」
「ソフィア様歩けるようになったのですか!?やったー!ついに歩けるようになったんですね!」
驚いた様子で嬉しそうにはしゃいでいるエミリアとは対照的に、マーガンは落ち着いた様子で「歩いてくださいますかな」とソフィアにお願いをした。
ソフィアはマーガンの言う通りその場で真っ直ぐに杖を使わずに歩いて見せた。
「もう足も大丈夫なようですな、よかったよかった」
「はい、マーガン先生とエミリア先生には本当に感謝しかありません。こんな私をずっと見てくださって、頭が上がりません」
そう言ってそっと微笑んだソフィアの本当の笑顔を見て、マーガンとエミリアは初めてみる美しい表情に一瞬心を奪われたが、すぐに優しい笑みを浮かべた。
ソフィアが歩けるようになったことを喜んだエミリアは「今度一緒にお買い物に行きましょうね!」「あ、ソフィア様は何がしたいですか?」「花を植えるのもいいですよね!」と目をキラキラさせ、ソフィアが答える間もないほど間髪入れずに話していた。
「エミリア、少し落ち着きなさい」
「あっ.....申し訳ありませんソフィア様」
そんな興奮するエミリアをマーガンは宥め、エミリアは注意されたことでようやく自分がおかしくなっていたことに気づきソフィアに謝った。
「申し訳ありませんソフィア様、お見苦しいところを見せてしまいました」
「いいえ、嬉しいです。ありがとうございます」
ソフィアは今日までずっと練習してきた笑顔でエミリアに返した。
「エミリア、少し部屋の外に出ていてくれるかい?」
「え?はい分かりました」
「指示があるまで入らないように」
「はい」
マーガンの急な頼みにエミリアは不思議に思いながらも応じてソファから立ち上がり、すぐに部屋を出ていった。
部屋に二人きりとなったことにソフィアは何を言われるのかと少し緊張した面持ちでマーガンを見つめた。
「ソフィア様、足が治って本当にようございました」
「はい、ありがとうございます」
マーガンはソフィアが考えていたよりもずっと優しい声と表情で言った。このマーガンの様子からするときっと世間話をするのだろうと考えていたソフィアだったが、その考えは外れることとなる。
「ところでソフィア様、訓練は私の言った通りのメニューでなさいましたかな?」
「はい」
マーガンから言われていた訓練は一日二回壁を使って歩くこと、そして毎日寝る前に一回壁を使わずにベッドまで歩くことであった。そしてマーガンからは無理をしないようにと強めに注意をされていた。
しかし、ソフィアは毎日時間があるときは回数も気にせず体力がギリギリになるまで歩く訓練をしていたのだ。もし、ソフィアの訓練を黙ってみている者がいたなら一日五時間以上は訓練をしていたと言うだろう。マーガンに言われた訓練は一時間もかからず終わるものであったのだが、ソフィアは訓練をその五倍以上で行っており、それはソフィアの体に酷く負担をかけていた。
「.....ソフィア様、それは事実ですか?」
「はい、事実です」
本当のことを言えばきっとマーガンは怒るだろう。そう思ったソフィアはあらかじめ用意していた言葉で返事をした。正直に言えば、ソフィアはウィルと密会した日の時点ですでに杖を使わずに歩けるようになっていた。ではなぜそのことをソフィアはすぐに言わなかったのか。答えは簡単で、無理をするなと言われていたのにしたことがばれれば怒られると思ったからだ。
マーガンはこの国の名医であり、そんな名医の予想より一週間も早く歩けるようになったと分かれば必ず無理をしたことがばれてしまう、そう考えたソフィアはマーガンが定期検診に来る日、つまり今日歩けるようになったと言うことに決めた。予想の四日前であれば少し早いかもしれないが誤魔化しは出来るだろうと考えたのもあるが、周りをだましていることに対するソフィアの罪悪感が限界に達したのが最大の理由だった。
そしてマーガンには怪しまれるかもしれないとあらかじめ予想していたソフィアは、少しでも返事の間が開いてしまえばばれてしまうと思い、マーガンの質問に間を開けずにすぐに返事を返した。
しかしそれが逆にマーガンの不信を買ってしまい、ますます怪しまれることになった。
マーガンは頑なに答えようとしないソフィアの様子にふぅっとため息をついた。
「以前ソフィア様が殿下の執務室で熱を出された時のことを覚えていますか?」
マーガンが全く違う話をし始めたことにソフィアは戸惑ったが、そのときのことは覚えていたため素直に「覚えています」と答えた。
「ではその時ジョン様が言っておられたという言葉を覚えていますか?」
「........」
ソフィアはその時のことを良く覚えていた。熱で朦朧としてはいたが、初めて人に心を開こうと思うきっかけとなった日だったからだ。
『ソフィー、体調が悪くても誰も怒らないし誰もお前を責めたりしないぞ?ただな、嘘はだめだ。そうやってソフィーに体調が悪いことを隠されると俺やウィルやレオンだって心配で不安になる。』
そしてソフィアは記憶力が良いため、その時ジョンに言われた言葉を一言一句思い出すことができた。
ーーー嘘は、だめ。でも....
ジョンの言葉を思い出し、自分の間違いに気付いたソフィアだったが本当のことをすぐには言葉に出来なかった。それは怒られるということよりもマーガンだけでなく、エミリアや優しいローエン侯爵家の皆にも心配をかけてしまうかもしれないと思っていたからだった。
「ソフィア様、少し私の昔話を聞いてくださいますかな?」
「.....はい」
マーガンは無表情のままきつく口を閉ざすソフィアの心を知ってか知らずか、また違う話をし始めた。
「私には古くからの友がおりましてな。彼は私と同じ時期に王宮医師になるための試験を受けました。そして彼は主席、私は次席で合格致しました。といってもその年の合格者はわずか五名だったのでたいしたことではないのですがね」
ソフィアはマーガンよりも優れた医師がいると聞いて少し驚いた。今の王宮にはマーガン以上の医師はいないと聞いていたからだ。そしてもしマーガンよりも優れた医師がいるのなら名前を知らないはずはないし、今の国王や王妃、王子達の主治医もマーガンではないだろう。そう考えたソフィアはその医師がどこにいるのか知りたくなりマーガンの話を黙って聞くことにした。
「私は彼と一緒に王宮医師になってから毎日のように病気の研究をしたり貴族の定期診察を行っていました。そんな毎日を送っていたある日、彼の元にいつもの定期診察とは違う貴族からの個人的な診察依頼が来ました。まあこれは特に珍しいことではありません、ソフィア様のようにお体があまり強くない貴族の方からはよく来る依頼ですからな。ですが彼にとっては結果的に残念な依頼になってしまった。彼は妊娠している夫人の診察をしましたが、その女性は肝臓の病にかかっていました」
「......治療できなかったのですか?」
ソフィアの疑問にマーガンは首を横に振りながら話を続けた。
「いいえ、彼は治療するより前に病気を見つけることが出来なかったのです。その夫人の病気はかなり進んでいましたが彼は病気を見つけることが出来ませんでした。今は医療も少なからず発展し女性の医師も増えましたが、当時は男性の医師しかいませんでした。当時は男性医師が女性を治療する際には体に触れることが禁止されていましたので問診という、症状を患者に聞いて治療するという方法をとっていました。今であればおかしな話かもしれませんが当時の医療とはそういったものだったのです」
「...嘘を、ついたのですね」
ソフィアには話の結末が見え始めていた。そして、なぜ優秀だったマーガンの友人が今王宮にいないのかということもすべて理解した上で、ソフィアはマーガンの話を最後まで聞くことにした。
「ええそうです。診察を依頼したのは夫人ではなく、その夫である当主様でした。夫人は診察を『自分は大丈夫』と言って頑なに断りましたが、最後には渋々問診に応じてくださいました。ですが答えは全て『痛くない、大丈夫』の一点張りで彼は病気について何も知ることは出来なかったのです。きっと夫人は病気であることが知られると子どもを堕ろすように言われると思ったのでしょう。結局夫人の病気が分かったのは夫人が流産して亡くなった後でした。彼はかなり進行していた病気であったにも関わらず見つけることが出来なかったと責任をとらされ王宮医師の資格を剥奪、足の腱を切られるという肉刑に処されました。かろうじて死刑からは免れることができ、今は町医者として静かに暮らしています」
マーガンの友は夫人の嘘によって王宮医師としての資格を剥奪されただけでなく肉刑にまで処されてしまい歩くことがままならなくなってしまった。
話を聞き終わったソフィアは暗い表情で考え込むようにしながらも重くなっていた口をようやく開きはなしはじめた。
「マーガン先生、申し訳ありません。私、皆さんに心配をかけるのが嫌で、嘘を、ついていました....」
「ええソフィア様、ジョン様ではありませんが嘘はいけませんぞ。私との約束を破ったことに関しては言いたいことはございますが、ソフィア様は早く歩けるようになりたいと強く思っていらっしゃいましたし、無理をするであろうことは初めから分かっておりましたからな」
マーガンに自分の行動が読まれていたことにソフィアはとても情けない気持ちでいっぱいになった。
「初めに申しましたように私はソフィア様が歩けるようになったこと、とても嬉しく思います。本来患者が言いたくないことを医師が無理矢理聞き出すことは御法度。ですから今回はお互い様ということで不問と致しましょう。その代わり、今後はきちんと事実を話してくださいね」
「はい」
困った孫を見るように少し眉間にしわを寄せてから柔らかく笑って言ったマーガンを見て、ソフィアは初めて泣きたいような笑いたいようなそんな気持ちになった。
相変わらず表情は変わらなかったがソフィアの気持ちを十分に理解したマーガンは、泣いている子どもをあやすようにそっと頭をひと撫でしてからエミリアを部屋へと呼んだ。
呼ばれたエミリアはすぐに部屋へと入ってきて、マーガンに診察を始めるように言われるとソフィアの脈と体温を測り、喉や目を見てからどこか体につらいところがないかなど問診をした。
「特にありません」
ソフィアの様子をじっくりと観察したエミリアは診察が終わったことをマーガンに伝えた。
「先生、診察終わりました」
「うむ、いいじゃろう。来週の試験も頑張ってきなさい」
「はい先生!今までご指導いただきありがとうございました。試験必ず合格します!」
「試験」という言葉にソフィアはエミリアが王宮医師登用試験を受けるのだとすぐに分かり、エールの言葉を贈った。
「エミリア様も試験を受けられるのですね、頑張ってください」
「『も』?ということはソフィア様も何か受けられるのですか?!」
「いいえ、私は何も受けません。ですがリアン様...リアンお兄様が国吏試験を受けられるのです」
「ああ!リアン様は貴族試験ではなく国吏試験を受けられるのですね。それはまた大変ですね」
「お互いに受かるといいですよね」というエミリアの言葉で試験についての話が一段落し診察も終わったところでマーガンとエミリアの二人はソフィアに再度丁寧な挨拶をしてから部屋を出て帰って行った。




