第4話 潜む蛇、あるいは裏切りの予兆
京の夜は、昼間の喧騒を嘘のように飲み込み、重苦しい静寂を湛えていた。
俺は、隊士たちの目が届かない路地の影に身を潜めていた。
池田屋を巡る策が動き出してからというもの、屯所内には奇妙な緊張感が漂っている。
近藤さんや土方さんが「内部の引き締め」を強化している今、誰が敵で誰が味方かを見極めることは、俺にとって最優先事項だった。
今日の月は隠れている。
待ち合わせ場所は、四条通から一本外れた寂れた茶屋の裏口だ。
俺はあえて、一番隊の隊士数名を遠巻きに配置させ、何かあった時に備えていた。
やがて、闇の中から一人の男がぬっと現れた。
見覚えのない顔だが、装束は町人風に偽装している。
密偵として京の各地に放っていた男だ。
「……沖田様。長州の連中が、動き出しました」
男の言葉は低く、そして速かった。
「予定より早い。今夜、鴨川周辺で小規模な会合が開かれます。……ですが、それよりも厄介な話があります」
「厄介な話?」
「我々の中に、長州側と繋がっている者がおります。それも、隊内での立場がある程度の……」
俺の背筋に冷たいものが走った。
結成初期の不安定な新選組において、内部からの造反は致命的だ。
史実では大した問題にならなかった小さな綻びが、俺の「歴史改変」という介入によって、今まさに毒となって回り始めているのかもしれない。
「誰だ」
「それは……」
男が名前を口にしようとしたその瞬間、闇を切り裂くような金属音が響いた。
ヒュッ、という鋭い風切り音。
俺は反射的に身を屈め、脇に差していた短刀でそれを弾いた。
火花が散り、足元に突き刺さったのは暗器――手裏剣だった。
「誰だ!」
俺は声を張り上げ、同時に手近な屋根の上に視線を走らせる。
そこには、新選組の羽織を着た男が一人、背を向けて走り去ろうとしていた。
「総司! 何があった!」
物音を聞きつけたのか、先ほど配置しておいた隊士たちが駆けつけてくる。俺は即座に指示を飛ばした。
「右の路地を回れ! 今、黒装束の男が逃げた。……いや、待て。今の動き、隊の訓練を受けた者だ。油断するな、捕縛せよ!」
逃げ去る背中に向けて駆け出そうとした俺の足が、一度だけふらりとよろめいた。
胸元にこみ上げる嫌な予感と、肺の奥の痛み。歴史を捻じ曲げれば捻じ曲げるほど、未来は俺を殺そうと牙を剥く。
だが、ここで止まるわけにはいかない。俺は肺の痛みを無視するように深く呼吸し、再び走り出した。
「総司! 無理をするな!」という隊士の叫び声が聞こえるが、無視だ。
この「内部の不穏分子」を今夜のうちに潰さなければ、池田屋という最大の舞台で、俺たちの背中が撃たれることになる。
月明かりのない暗闇の中、俺は一番隊組長として、そして現代の知識を持つ「未来からの訪問者」として、決して負けられない追走劇を繰り広げた。




