第20話:死者の残した「証拠」
湯煙が消え、露天風呂に再び静寂が戻った。
旅館の主人と女将は、報酬に目がくらんだのか、あるいは恐怖に駆られてか、先ほどまでそこに転がっていた死体たちを裏の森へと運び去った。
だが、彼らは致命的な見落としをしていた。
俺は、死体を引きずった跡の泥濘でいねいに、まだ温もりの残る「何か」が落ちているのに気づいていた。
「……龍馬、少し離れていてくれ」
俺は断りもなく、主人が運び忘れた死体の一つのそばへと這いずった。
泥だらけの着物の襟元に、もう一人の男の指先が引っかかっていた。
俺は無遠慮にその死体の胸元に手を突っ込み、血に濡れた懐を漁る。
龍馬は「あんた、死人に鞭打つような真似をするんか?」と苦笑を漏らしたが、俺の目が殺気立っているのを見て、黙って背を向けた。
男の着物の裏地には、隠しポケットが縫い付けられていた。
指先でそれを引き裂くと、中から出てきたのは血で汚れた一枚の革紙だった。
そこには、精巧な京の地図が描かれていた。
だが、ただの地図ではない。
池田屋を中心として、新選組の屯所、そして――禁裏(御所)に向かって、奇妙な赤い線が何本も引かれている。
「……これは、池田屋襲撃の作戦図じゃない」
俺は革紙を凝視する。
線の引かれた場所には、それぞれ「修正点」という謎の文字と、俺の名前――沖田総司の名前が書き込まれていた。
俺の心臓が早鐘を打つ。
これは、俺が池田屋で死ぬことを前提として、その後の歴史の流れを制御するための「シナリオ」そのものだった。
この死体は、長州の刺客なんかじゃない。
俺という「歴史の異物」を消し去るために、どこからか送り込まれた「歴史の掃除屋」だ。
俺の手が震える。死体の懐から漁り出したのは、ただの戦利品ではない。俺自身の「死」が、誰かの手によって詳細に計画されていたという冷酷な事実だった。
「……沖田さん、顔色が土気色やぞ。何を見つけた?」
背後から龍馬の声がする。
俺は震える手でその革紙を懐にねじ込んだ。
この男に、この事実を打ち明けるわけにはいかない。
龍馬は自由を愛する男だ。だが、この「掃除屋」たちの目的が、歴史を正しいレールに戻すことだとしたら、俺の存在自体が、彼らにとっては「排除対象」に過ぎないのだから。
俺は血で汚れた指を拭い、立ち上がった。
死体の懐を漁るという卑劣な行為。
かつての沖田総司なら、死ぬほど恥じ入っただろう。だが、今の俺にはそんな感傷は不要だ。
生き残るためには、死者の懐に手を突っ込んででも、俺を消そうとする奴らの手掛かりを掴み取らなければならない。
俺は龍馬に背を向け、星空を見上げた。
京の夜空は、俺が未来で見ていたそれよりも、ずっと冷たく、そして鋭かった。




