第17話:湯煙の向こうの疑心
月明かりを反射して濡れた石畳の上で、数人の男たちが呻き声を上げている。
龍馬は拳銃を懐に仕舞い、何食わぬ顔で浴衣の裾を整えていた。
「……こりゃあ、えらい騒ぎになってしもうたのう」
龍馬が独り言を漏らした直後、館内からバタバタと慌ただしい足音が響いてきた。
不審な物音を聞きつけたのか、旅館の主人と女将が、手にした提灯の明かりを頼りに露天風呂へと駆けつけてきたのだ。
「誰かおるのか! 一体何事だ……ッ!?」
主人の叫びは、目の前の光景を認識した途端に悲鳴に変わった。
薄暗い中、湯気と共に立ち込める生々しい血の匂い。
そして、返り血を浴びて仁王立ちする俺と龍馬の姿。
女将は腰を抜かし、持っていた提灯を落とした。
灯りが転がり、男たちの死体を無慈悲に照らし出す。
「ひっ、お、お侍様……! これは一体……!」
女将の震える声が静寂を切り裂く。
主人は青ざめた顔で腰を浮かせ、今にも役人に駆け込もうとする構えだ。
これ以上、騒ぎを大きくするわけにはいかない。俺と龍馬は顔を見合わせた。
「……旦那、落ち着いて聞いてくれ」
俺は血で汚れた刀を鞘に収め、できるだけ穏やかな口調で語りかけようとしたが、今の俺の姿は、どう見ても修羅の類だった。
「こやつらは、俺の命を狙う刺客だ。貴殿の宿に迷惑をかけるつもりはなかったが、防衛のために致し方なく……」
主人は俺の言葉など耳に入っていない様子で、周囲の惨状に目を回しそうになっている。
このままでは、翌朝には「謎の侍による殺人事件」として、京の役人や新選組の耳にまで届いてしまうだろう。
そうなれば、俺の「謹慎療養」という名目も、坂本龍馬との密会という事実も、全てが露見する。
「……あんた、どうする?」
龍馬が小声で問いかけてくる。
その目には、いつもの飄々とした光だけでなく、事態を収拾するための冷徹な判断が宿っていた。
「……旦那! あんたには悪いが、この事態を公にすれば、あんたの宿も明日には潰れることになるぜ」
俺は一歩前に踏み出した。この主人が何に一番恐れているのかを見抜くしかない。
この閉鎖された空間で、俺たちは単なる「厄介者」から「何とかして処理しなければならない爆弾」へと変化した




