第11話 夢の淵、現実の残滓
目覚め
深い、深い泥の中に沈んでいるような感覚だった。
意識は底なしの暗闇を漂い、身体はまるで他人のもののように重い。俺は夢を見ていた。
現代の、あのありふれた日常を。
布団に包まり、ただ明日を待ちわびていた、何一つ失うことのなかったあの退屈で平和な日々を。
――総司、起きろ。
誰かの呼ぶ声が、遠くから聞こえた気がした。
……重い。
瞼を開こうとするが、鉛のように張り付いて動かない。
喉には焼けつくような渇きがあり、肺の奥には、吸い込むたびに微かな違和感が居座っている。
これが、二日間俺を捕らえて離さなかった「死の淵」の正体か。
再び意識の端が明るさを取り戻し、視界がゆっくりと開ける。
目に映ったのは、見慣れた屯所の天井だった。
梁の木目一つ一つが、妙に鮮明で、やけに遠く感じる。
「……っ」
空気が肺に流れ込むと同時に、激しい咳き込みが俺を襲った。
喉に詰まったものを吐き出すように身をよじると、すぐに誰かが俺の背を支え、慣れた手つきで口元に手ぬぐいをあてがった。
鮮やかな紅い飛沫が、白い布を汚していく。
「無理をするな。まだ寝ていろ」
低く、どこか掠れた声。土方歳三だった。
彼の手は、俺の背中を支えるために少し震えていた。
その手つきから、彼がこの二日間、どれほどの心労を抱えていたのかが伝わってくる。
「……土方さん。池田屋は……」
絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
土方は俺の顔を覗き込み、一瞬だけ、複雑な表情を浮かべた。
「……勝った。お前のおかげでな」
土方はそう言って、俺の枕元に置かれた水桶から杯に水を注ぎ、俺の唇に運んだ。
一口飲ませると、彼は少しだけ声のトーンを落とした。
「だが、お前が倒れた後、俺たちはあわやというところまで追い詰められた。池田屋の広間で見た……あの装置の残骸と、お前が残した戦術の跡。近藤さんは言っていた。『総司がいなければ、今夜俺たちは全員死んでいた』と」
俺は微かに笑おうとしたが、頬の筋肉がうまく動かない。
勝った。
物理的には、俺たちは歴史を塗り替えることに成功したんだ。
だが、その代償はあまりに重い。
俺の身体は、以前よりも明らかに衰弱していた。
結核の進行を、無理な負荷が加速させたのだ。
「……代償、か」
俺は小さく呟き、天井を見上げた。
高瀬が死に際に残した「代償」という言葉が、今の俺の身体に重くのしかかる。
俺が生き延びようと足掻くほど、俺という「沖田総司」は、本来の姿から遠ざかっていくのかもしれない。
「ゆっくり休め。……明日からは、お前には一切の任務を課さない。命令だ」
土方はそれだけ言うと、部屋を出て行った。
その背中には、副長としての決断と、友を失いたくないという祈りのようなものが混じり合っていた。
俺は一人、静寂の中で自分の手を見つめた。
この手で、未来を変えた。
だが、俺に残された時間は、一体あとどれくらいあるのだろうか。




