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第7話 飛鳥マッドマックス

道なき道を歩くこと数十分。 湿気と熱気で、私の貫頭衣は既に汗でぐっしょりと濡れていた。体力のない未来人には、この時代の移動だけで重労働だ。 


ようやく、木の柵で囲まれた宮殿――といっても、現代の感覚では「大きめの公民館」レベルだが――の門前に辿り着いた。


だが、そこは静寂な政治の場ではなかった。 異様な熱気と、殺気。 そして、耳をつんざくような怒号が飛び交っていた。


「おのれ蘇我そがの豚どもめ! ワシの先祖伝来の田んぼを奪う気か!」


「黙れ物部もののべの残党が! みかどへの貢ぎ物が足りぬ分際で、生かしておくだけでもありがたく思え!」


「なんだとぉ!? やるか!?」 「上等だ、かかれぇ!!」


ギャァァァン! 金属と金属がぶつかり合う、不快な音が響く。 宮殿の前庭とも言える広場では、数十人の男たちが二つの派閥に分かれ、今にも殺し合い――いや、既に小競り合いを始めていた。


 直刀を振り回す者。 弓をつがえる者。 手近な石を投げる者。 政治的な議論などという高尚なものではない。これはただの、ヤクザの抗争だ。いや、マッドマックスだ。文明レベルが低すぎて、ただの野蛮人の殺し合いにしか見えない。


「ひぃっ……! な、なんですかこれ!?」 


私は咄嗟に物陰に隠れ、震え上がった。 矢が一本、ヒュン!と音を立てて私のすぐ近くの木の幹に突き刺さる。あと十センチずれていたら、私の頭蓋骨に風穴が開いていた。


『ひでえ有様だな』 


通信チップ越しに、gennaiが呆れた声を出す。


『この時代、まだ「日本」っていう一つの国としてのまとまりがねえんだ。豪族たちが自分の土地と利益のために、毎日こうやって喧嘩してる。仏教を入れるかどうかの宗教戦争に、土地争いに、跡目争い……。これが「倭国大乱」の残り香ってやつさ』


私は震えながら戦況を覗き見る。 服装の良い集団が優勢で、ボロボロの服を着た集団を一方的に殴りつけている。


おそらく前者が、この時代の実権を握る蘇我氏の一派だろう。 話し合いなんて通じる空気じゃない。 理屈も法律もない。あるのは「力が強い方が偉い」という、シンプルで残酷な動物的ルールだけだ。


「おい、そこの若造!」 


運悪く、殺気立った兵士の一人が私たちに気づいた。 血走った目で、錆びついた刀の切っ先をこちらに向けてくる。


「何を見ている! 貴様ら、どこの手の者だ! 怪しい格好をしおって、物部の間者か!?」


心臓が止まるかと思った。 殺される。問答無用で殺される。 私は必死に両手を上げて降参のポーズを取った。


「い、いえ! 違います! 私たちはただの旅人で……怪しい者じゃありません!」


「旅人だと? その白い服は何だ。貴様、どこの部族だ!」


「えっと、これは、その……最新のトレンドでして!」


しどろもどろになる私の横で、風が動いた。 純白の影が、一歩、前へ出たのだ。


『騒がしい』


凛とした、しかし絶対零度の冷たさを持つ声が、戦場の喧騒を切り裂いて響き渡った。 PRINCEだ。 


彼は突きつけられた兵士の切っ先を、汚い物でも見るような目で見下ろし、乱闘を続ける豪族たち全員に向かって言い放った。


『非生産的だ。実に非生産的だ。貴様らのその無意味なカロリー消費は、国家GDPに対してなんの寄与もしない。山猿の縄張り争いの方が、まだ秩序があるぞ』


場が、凍りついた。 全員の動きが止まる。 殴り合っていた豪族たちが、一斉にこの「空気の読めない異物」を凝視した。 一秒の沈黙。 そして爆発的な殺気が、私たち一点に集中する。


「な……なんだ、貴様は……?」


群衆が割れ、中から一人の老人が進み出てきた。 豪奢な絹の衣をまとい、白髪交じりの髭を蓄えた、鷲鼻の男。 その眼光は、猛禽類のように鋭く、全身から「私がこの場の支配者だ」という圧倒的なオーラが滲み出ている。 


ただ立っているだけで、周囲の空気が重くなる。歴史の教科書で見た肖像画よりも、遥かに凶悪で、遥かに人間臭い。


gennaiの声が、私の脳内に最大音量で警告を発した。


『ビンゴだ、兄弟! あいつがこの時代の裏ボス、 蘇我馬子そがのうまこ だ!』


蘇我馬子。 時の天皇すら凌ぐ権力を持ち、逆らう者を容赦なく暗殺し、この国を実質的に支配した飛鳥時代の独裁者。 現代の政治家とは格が違う。自分の手で人を殺めたことのある、「血の匂い」がする政治家だ。


馬子はPRINCEをじろりと睨め回した。 値踏みするような視線。


しかし、PRINCEの人間離れした美貌と、発光するような白い衣を見て、わずかに警戒の色を見せる。


「見たことのない服だ。異国の渡来人か? ……ワシの神聖な庭で、猿呼ばわりとはいい度胸だ。名を名乗れ」


殺気が膨れ上がる。 まずい。ここで斬られたら「Re-JAPAN計画」は終了だ。 私はPRINCEの袖を引っ張り、小声で囁いた。


「PRINCEさん、空気読んで! 相手はこの国のトップです! ヤバい人です! 適当に『ははーっ!』って土下座して、ご機嫌取ってください!」


『土下座?』 


PRINCEは私を見た。その瞳には「理解不能」という文字が浮かんでいるようだった。


『なぜ、管理者がユーザー(利用者)に頭を下げねばならない?』


「ユーザーじゃなくて権力者ぁぁ!」


PRINCEは私の忠告を無視し、フッと鼻で笑った。 そして、あろうことか馬子の目の前で、あの笏(調和の杖)をビシッと突きつけたのだ。


『我が名は、厩戸うまやど。未来より、この腐りきった泥船ヤマトを修理しに来た「管理者アドミニストレーター」である』


朗々たる声が響く。 その態度は、相手が独裁者だろうが神だろうが関係ない、絶対的な自信に満ちていた。


「ウマヤド……? 厩戸皇子だと?」 


馬子が眉をひそめる。 確かに厩戸皇子という人物は実在するが、当時の馬子からすれば「若造の親戚」程度でしかない。


『そうだ。馬子よ、そして愚かなる豪族どもよ。貴様らのその低レベルな会議は、これにて強制終了シャットダウンだ。これより、私がこの国の「進行表スケジュール」を管理する』


「……は?」 


馬子のこめかみに、どす黒い青筋が浮かび上がった。 理解不能な言葉の羅列。しかし、自分が見下されていることだけは本能的に察知したのだろう。 彼のプライドという火薬庫に、火がついた。


「気でも触れたか、若造が……。ここをどこだと思っている! 天下の大臣おおおみ、蘇我馬子の前だぞ!」 


馬子が手を振り上げた。


「誰か! この不敬者を斬り捨てろ! 八つ裂きにして犬の餌にしてやれ!」


「うわあああ! ほら言わんこっちゃない!」 


兵士たちが一斉に抜刀し、雄叫びを上げて襲いかかってくる。 殺意の波。 私は頭を抱えて地面にうずくまった。


終わった。さようなら、ネオ・トウキョウ。さようなら、クラウドに保存したままの書きかけのニューロノベル。 やっぱり、僕みたいな同期率底辺の三流作家に世界を救うなんて無理だったんだ……! 


だが。 その混沌の中で、PRINCEだけが動じていなかった。 彼は迫りくる刃の群れを見ても、瞬き一つせず、深くため息をついた。


『やれやれ。これだから旧世代のOSは……。議論トークが通じないなら、仕方がない』


PRINCEは手にした笏のグリップを握り込んだ。 


ブォン……! 笏の先端が、青白い高周波の光を帯びて振動を始める。空気がビリビリと震え、周囲の兵士たちが「ひっ」と足を止めるほどの異様な音が響いた。


『gennai、戦闘モード承認アクセス・グラント。――「和」を乱すバグを、物理的に排除デバッグする』


純白の皇子が、泥濘の大地を蹴った。 歴史が変わる音がした。


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