第57話 根本大塔(システム・コア)
高野山の中心地、壇上伽藍。
まだ建設途中だが、そこには既に巨大な朱色の塔の骨組みがそびえ立っていた。
【根本大塔】
後に真言密教のシンボルとなるこの塔は、KUKAIの計画においては、曼荼羅OSの 「中央演算処理装置(CPU)」 として機能する。
『見てください』
KUKAIが、建設中の塔を見上げた。
『この塔の中心には、一本の巨大な心柱が立っています。これは大日如来……すなわち宇宙の真理そのものを表しています』
彼は錫杖を振るい、空中に塔の完成予想図(3Dモデル)を展開した。 塔の内部には、十六本の柱が心柱を取り囲み、さらにその周囲には無数の仏像が配置されている。
『そして、壁には四人の女性の菩薩を描きます。……彼女たちは、ただの装飾ではありません』
KUKAIの指が、光のラインを走らせる。
『金剛界(論理)と胎蔵界(慈悲)。……父性的な厳しさと、母性的な優しさ。この相反する二つのデータベースを、この塔の中で高速回転させ、融合させるのです』
「融合させて……どうするんですか?」
『 「ゆらぎ」 を作るのです』
KUKAIは静かに答えた。
『RYOMA殿の作った社会は、直線の道路のように効率的ですが、遊びがありません。……私のシステムは、そこに「曲線」と「余白」を生み出します。……計算された偶然、意味のある無駄、美しいノイズ。……それらを発生させるための、巨大なカオス・エンジンです』
なるほど。 完璧すぎる機械時計に、あえて「生命の鼓動」を組み込むための装置か。
『さて。ここからが本題です』
KUKAIは向き直り、私と夜裏、そしてgennaiを見渡した。 その表情は、僧侶のそれから、冷徹なシステム・アーキテクト(設計者)のものへと変わった。
『私が構築するOSの、基本設計思想を説明します。……これこそが、この世界を救う唯一の数式です』
KUKAIが足元の地面を指差した。 そこには、小さな杉の若芽が生えていた。
『この若芽を見てください。……そして、あなたの手を。さらに、夜空の星を』
ホログラムが展開され、 「植物の葉脈」「人間の血管」「川の支流」「銀河の渦」 が並べて表示された。
『似ていると思いませんか?』
「……あ」
私は息を呑んだ。 似ているどころではない。スケールは全く違うのに、形は驚くほど一致している。
『 「フラクタル(自己相似)」 です』
KUKAIが告げた。
『細胞レベルで見れば、人間は一つの巨大な宇宙です。 人間レベルで見れば、地球は一つの巨大な宇宙です。 銀河レベルで見れば、この宇宙全体もまた、一つの生命体に過ぎません』
KUKAIの手の中で、ホログラムの宇宙が回転する。 マクロを拡大すればミクロになり、ミクロを縮小すればマクロになる。 無限の入れ子構造。
『空海が伝えたかった「曼荼羅」とは、ただのありがたい絵ではありません。…… 「部分(個)には全体(全)が含まれ、全体は部分によって構成される」 という、宇宙のネットワーク構造図そのものなのです』
夜裏なおすが、ハッとしたように顔を上げた。
「……待てよ。ということは、RYOMAの失敗の原因は……」
『はい』
KUKAIが頷く。
『RYOMA殿は、「全体(国)」という大きな箱を、外側から無理やり整形しようとしました。法律を作り、経済を回し、上からの命令で効率化を図った。 ……しかし、それでは「部分(個人)」とのリンクが切れてしまう。 だから、箱は立派でも、中身の人間たちは窒息してしまったのです』
夜裏が、悔しそうに拳を握りしめた。
「私は……間違っていたのか。未来を変えるには、大きな力で歴史の流れを変えるしかないと思っていた……」
『順序が逆なのです、夜裏殿』
KUKAIは優しく諭した。
『外側から世界を変えることはできません。……変えられるのは、内側からです』
KUKAIは、杉の木の断面(年輪)の映像を空中に浮かべた。 中心から外側へ、波紋のように広がる美しい円。
『まず、自分自身という小宇宙を整えること。 心身を健康にし、自分の魂の声を聴き、自分を大切に扱うこと。 ……それができれば、その調和の波紋は、自然と隣の人へ伝わります』
映像の中で、一人の人間が微笑む。すると家族が微笑み、地域が安定し、やがて国全体が光り輝く。
『無理に他人を変える必要はありません。 無理に社会を変える必要もありません。 ただ、一人ひとりが、自分の内なる宇宙(曼荼羅)を完成させるだけでいい。 ……そうすれば、フラクタル構造の原理により、世界(全体)は勝手に整うのです』
【自律分散型・調和システム】
誰かが命令するのではない。 一人ひとりが「ご機嫌」でいることで、結果的に最強のチーム(国)が出来上がる。
「……すごい」
私は震えた。 これは、究極の民主主義であり、究極の個人主義だ。 RYOMAの「株式会社」が、社員を歯車にするシステムだとしたら、KUKAIの「曼荼羅」は、社員全員を主人公にするシステムだ。
『これが「即身成仏」の真の意味です』
KUKAIは、私を真っ直ぐに見た。
『遠いどこかに神がいるのではない。 あなた自身が、宇宙の全てを内包した、かけがえのない奇跡の存在なのです。 ……そのことに気づくだけで、世界は変わります』
涙が出そうになった。
「お前は部品じゃない」
そう言われた気がした。 僕が僕自身を大切にすることが、世界平和への一番の近道なんだ。
『さあ、かたる君。……理論は完成しました。あとは起動するだけです』
KUKAIは、塔の基壇を指差した。
『君が持ち帰った「泥」を、ここに流し込んでください。 ……人間の弱さ、愚かさ、ドロドロした感情。 それら全てを、このフラクタル・システムに取り込み、美しい蓮の花へと変換します』




