第5話 起動(ブート)、Wa-OS搭載機『PRINCE』
「……聖徳、太子……?」
私はそのプレートに刻まれた文字列を、呪文のように何度も反芻した。
SHŌTOKU。 日本史の授業で一番最初に覚えるスーパースター。一万円札の顔。法隆寺。十七条憲法。冠位十二階。そして、一度に十人の話を聞き分けたという伝説の超人。 だが、今の日本を救うために、なぜ彼なのか?
「総理、待ってください。確かに彼は有名ですが、時代が古すぎませんか? 六〇〇年代ですよ? 飛鳥時代に現代日本の不況の原因があるなんて、さすがにこじつけが過ぎる!」
私が抗議すると、夜裏は冷ややかな視線をカプセルの中の素体に向けたまま、淡々と答えた。
「かたる君。君は、聖徳太子の最大の功績は何だと認識している?」
「えっ? それは……日本初の憲法を作ったり、仏教を広めたり、中国と対等な外交をしたり……」
「教科書通りの回答だな。だが、本質はそこではない」
夜裏は空中に指を走らせ、十七条憲法の第一条をホログラムで投影した。
【一に曰く、和を以て貴しと為し、忤うこと無きを宗と為よ】
「和を以て貴しと為す。……日本人が最も好み、そして呪いのように縛られている言葉だ」
夜裏の声が低くなる。
「『みんな仲良くしなさい』。一見、素晴らしい教えに聞こえる。だが、裏を返せばどうなる? 『波風を立てるな』『空気を読め』『異論を挟むな』……そういうことだ」
ハッとした。 現代の会議室で、SNSで、学校の教室で、私たちが常に感じている息苦しさ。
「みんなと違うこと」をした瞬間に叩かれる、あの陰湿な圧力。 その根源は、一七〇〇年も前に書かれたこの一行にあったのか。
「この第一条が、日本人のOSに強力な『同調圧力』をインストールした。その結果、日本人は『議論』よりも『空気』を優先する民族となり、出る杭は打たれ、イノベーションは圧殺されるようになった」
夜裏は拳を握りしめる。
「聖徳太子は、豪族同士の殺し合いを止めるために『和』を説いた。当時のパッチとしては優秀だったのだろう。だが、現代においては、それが『思考停止』という致命的なバグを引き起こしている。……ならば!」
夜裏が叫ぶと同時に、gennaiがキセルを振り上げた。
『ならば、その「和」の定義ごと書き換えちまえばいい! オリジナルの太子が説いた「なあなあの和」じゃなくて、もっとビシッとした「秩序としての和」にな!』
「そういうことだ。和を乱さないための沈黙ではなく、ルールを守るための対話。それを古代の日本人に叩き込む。……起動しろ、gennai。コードネーム『PRINCE』!」
『へい、合点承知の助!』
gennaiがコンソール代わりの和太鼓をバチで叩いた。
ドォォォン! という重低音と共に、カプセルの中に満たされていた保存液が急速に排出されていく。 プシュウゥゥゥゥ……! 白い蒸気の中から、その偉人アンドロイドが姿を現した。
古代の朝廷服である「袍」を、最新の防弾繊維で再構築したような衣装。 頭には黒い烏帽子型の通信ユニット。 手には、儀式用の笏――ではなく、白く輝くレーザーブレードのようなデバイスが握られている。
そして、閉じていた瞼がゆっくりと開かれた。 その瞳の奥で、無数のデータストリームが滝のように流れているのが見えた。
『System Check... Wa-OS ver.6.0... Loading...』
アンドロイドの口から、合成音声ではない、威厳に満ちた美声が紡がれる。
『……我は、厩戸。人呼んで、聖徳太子なり』
「う、動いた……!」
私は腰を抜かしそうになった。本物だ。肖像画で見たあの顔が、今まさに目の前で瞬きをしている。 だが、どこか違う。 纏っているオーラが、歴史上の「徳の高い僧侶」というよりは、冷徹な「スーパーエリート官僚」のそれなのだ。
『紹介しよう、かたるの兄弟!』
gennaiが得意げに解説を始める。
『こいつはただの太子じゃねえ。おいらが未来の技術をふんだんにブチ込んだ、特盛スペックの「ハイパー・プリンス」だい!』
gennaiが指を折って数える。
『その一! 【超並列演算聴覚】! 「十人の話を同時に聞く」って伝説をガチで実装したぜ。聖徳太子クラスになると、一〇チャンネルどころか、一〇〇〇人分の陳情や苦情を同時に処理して、全員に別々のレスを返せる! これでどんな紛糾した会議も即座にまとめ上げるスーパー議長だ!』
「一〇〇〇人同時!? 聖徳太子っていうか、聖徳サーバーじゃないですか!」
『その二! 【可視化階位システム(ビジュアル・ランク)】! 「冠位十二階」ってあったろ? あれをAR(拡張現実)で実装した。相手の頭の上に「能力値」や「貢献度」が数値で見えるスカウター機能だ。これで無能な世襲貴族を黙らせて、実力主義の人事を断行する!』
「嫌すぎる機能だ……! 上司にしたくないランキング一位ですよ!」
『そしてその三! 手に持ってる笏は、高周波振動で鉄も切り裂く 【調和の杖】 ! 口で言ってもわからねえ野暮天には、物理的な「和」を叩き込む!』
「物理かい! 結局暴力じゃないですか!」
私のツッコミなど意に介さず、PRINCEは恭しく夜裏に一礼した。
『総理。我が使命は、この国の黎明期における「OS」の再定義。……承知いたしました。愚かなる豪族どもに、真の「和」を教育して参りましょう』
「うむ。期待しているぞ、PRINCE」 夜裏は満足げに頷くと、私の方を向いた。
「さて、かたる君。役者が揃ったところで、君の出番だ」
「えっ、僕? いやいや、僕はここで見守ってるだけで……」
「馬鹿を言え。AIとアンドロイドだけで過去に行かせられるか。それに、さっき自分でナラティブチェックさせろと言っていただろうが」
夜裏は冷たく切り捨てた。
「こいつらは計算はできるが、『人間の心の機微』には疎い。PRINCEが論理的に正論を吐きすぎて、当時の人間たちの反感を買う可能性が高い。……そこで君だ」
「は?」
「君には、PRINCEの『通訳』兼『演出家』として同行してもらう。当時の人々が納得し、感動し、自発的に従いたくなるような『物語』を現場で構築しろ」
頭が真っ白になった。 同行? 私が? この、武器機能付きのハイテク聖徳太子と一緒に、飛鳥時代へ?
「む、無理です! 僕はただの物書きで、殴り合いの喧嘩すらやったことないんですよ!? 山賊とか出たら即死です!」
『安心しな、兄弟!』 gennaiが私の背中をバシッと叩いた。すり抜けるかと思いきや、無慈悲に作動した触覚フィードバックによって、背骨にリアルな激痛が走る。
『おいらがサポートについてる。それに、この「時空間転移装置」は、あんたの安全を保証する……確率は、まあ五分五分ってとこかな!』
「低いよ! 半分死ぬじゃん!」
「時間がない」
夜裏が腕時計を見た。
「Re-JAPAN計画、フェーズ1始動。転送座標、西暦六〇三年、飛鳥・小墾田宮。……行け、申述かたる。歴史を変え、未来を書き直してこい」
総理の合図と共に、執務室の床全体が青白く発光し始めた。 重力が消失する感覚。 視界が歪み、世界が0と1のデジタルノイズに分解されていく。
「ちょ、ちょっと待って! 心の準備が! 胃薬! 胃薬飲むからああああ!」
「問答無用だい! おらっ、行ってきな!」
gennaiに背中を蹴り飛ばされた感覚があった。 体が浮き上がる。 ネオ・トウキョウの景色が、光の彼方に遠ざかっていく。 意識が遠のく中で、最後に聞こえたのは、gennaiの楽しそうな江戸弁と、夜裏の冷徹な命令だった。
『へっ、野暮なこと聞きなさんな! やるか、やらねえか。それだけでいいんだよ、兄弟!』
「承認する。――歴史(日本)を、やりなおす」
視界がホワイトアウトする。 次に目が覚めたとき、私の目の前に広がっているのは、コンクリートジャングルではない。 一七〇〇年前の、土と木と、血の匂いがする「始まりの日本」だ。
こうして、私の胃に穴が開くほど過酷な、歴史修正の旅が始まったのである。




