第46話 世界線β:日本株式会社の夜明け
私の呼びかけに応え、虚空から降り注いだ無数の光の粒子。 それらは私の掌の上で、熱い塊になるのではなく、冷たく、青白く、鋭利な結晶となって凝縮した。
それは画面の向こう側にいる、あなたたちの意志だった。 そこに「甘え」はなかった。
――感情論で慰め合うのは、もういい。
――バラバラになったこの国を、根本的な「仕組み」から作り直してほしい。
――誰もが納得できる、強い日本を返してほしい。
その声は、明確な 「オーダー(発注)」 となって、私の迷いを断ち切った。 みんなが選んだのは、いばらの道だ。 心の傷を舐め合うのではなく、血を流してでも構造を変える、革命の道だ。
「……受け取りました」
私は、その青い光を握りしめ、夜裏なおすに向き直った。
「総理。……決まりました」
私は、六番目のカプセルに手を触れた。
「みんなが龍馬に求めているのは、心のケアじゃない。……この破綻寸前の日本を立て直す、最強の 『経営手腕』です!」
夜裏なおすが、深く頷いた。
「システム統合と、組織の再構築か。……合理的だ。今のこの国に必要なのは、強力なリーダーシップによる『構造改革』に他ならない」
「承認する。――歴史(日本)を、やりなおす」
夜裏がコンソールを操作する。 カプセルの中で、青い光が幾何学的なラインを描き始めた。それは有機的な暖かさというより、あらゆる無駄を削ぎ落とした、知的な輝きだった。
「Re-JAPAN計画、フェーズ6。……起動せよ、【RYOMA】。モード・エコノミクス!」
プシューッ……。
排気音と共にカプセルが開く。 そこに立っていたのは、着物姿の浪人ではなかった。
イタリア製の高級スーツをラフに着崩し、足元には革靴。 ボサボサの長髪はそのままに、片手には最新鋭のタブレット端末、もう片手には電子タバコを持った男。
「……ふう」
男は紫煙を吐き出し、ニヤリと笑った。その瞳は、獲物を狙うサメのように獰猛で、かつ理知的だった。
「待ちくたびれたぜよ。……日本の株価、随分と暴落しちゅうみたいじゃのう」
坂本龍馬。 ただし、彼は「維新の志士」ではない。 この国のOSを書き換え、巨大な利益を生み出すために蘇った、時空を超えた 「スーパーCEO」 だ。
転送装置が唸りを上げる。 目指すは一八六七年。 政治闘争と内戦で、経済破綻寸前の京都。 そこが、私たちの「新規事業」の舞台だ。
転送の光が弾け、視界が開けた瞬間。 私は激しく咳き込んだ。
「ゲホッ、ゲホッ……! な、なんだこの空気は……!」
喉が焼けるようだ。 鼻をつくのは、血と火薬の匂いではない。重油と、亜硫酸ガスと、腐ったドブ川の臭気が混ざり合った、強烈な化学臭だった。
「……マスクをつけたまえ。肺がやられるぞ」
夜裏なおすが、ハンカチで口元を覆いながら、私に携帯用酸素マスクを手渡した。
私はマスクを装着し、涙目で周囲を見渡した。 そして、絶句した。
そこは、私の知っている「幕末の京都」ではなかった。 木造の長屋は無残に押し潰され、その上に黒光りする鉄骨の配管が、寄生植物のように這い回っている。 寺田屋の前の濠川は、七色の油膜と黒い廃液で淀み、その上を蒸気機関を積んだ小型船が、黒煙を吐きながら行き交っている。
空は灰色だ。 無数の工場の煙突が林立し、京の盆地全体をスモッグの蓋で密閉している。
「総理……これは……」
「 『産業革命の失敗例』 だ」
夜裏が、苦々しげにタブレットを見た。
「NOBUNAGAによる歴史破壊の影響で、未来の技術データが不完全な形でこの時代に流入してしまったのだ。『技術』だけがあり、それを制御する『法』も『倫理』もない。……結果、日本は急速かつ歪な近代化を遂げ、環境汚染と貧富の差で自壊しつつある」
通りを行く人々を見た。 髷を結った武士も、着物を着た町人も、全員が防塵マスクやゴーグルをつけている。 その目は死んでいた。 工場のサイレンに追われ、過労と病に蝕まれながら、ただ生きるために歯車を回す労働者たち。
これが、私たちが選んだ「システムによる解決」の舞台なのか? あまりにも過酷すぎる。
「おーい、こっちじゃ! 早くせんと酸性雨が降ってくるぜよ!」
鉄骨の陰から、聞き覚えのある土佐弁が響いた。 しかし、その姿もまた、私の記憶にある彼とは違っていた。




