第35話 国会、三十一文字(みそひともじ)の戦場
モニターに映し出されたのは、国会議事堂の本会議場だった。
議員たちは全員、着物風のフォーマルスーツに身を包み、扇子を手に持っている。 野次はない。静寂そのものだ。
野党の代表が、厳かに立ち上がった。 マイクの前で一呼吸置き、朗々とした声で詠い始めた。
『世の中の 重き税に 民は泣き 明日の飯すらも なきぞ悲しき』
五・七・五・七・七。
短歌だ。 質問が、短歌で行われている。
議場から「いとあはれなり……」「見事な掛詞だ……」という感嘆の溜息が漏れる。 対する与党側、内閣総理大臣(この世界の傀儡首相)が、優雅に立ち上がり、返歌を詠む。
『桜花 散るがごとくに 金もまた 儚く消えて 国は栄えん』
(訳:桜が散るように金もなくなるけど、それもまた風流だし、結果的に国が栄えるからいいじゃない)
なんという詭弁。なんというポエム。 だが、議場の反応は予想外だった。
「おお……!」
「美しい比喩だ!」
「『散る』と『消える』の対比が素晴らしい!」
議長が木槌を叩いた。
『ただ今の答弁、総理の歌の「情感」が勝りました! よって、増税法案は可決!』
「はああぁぁぁ!?」
私はモニターに向かって叫んだ。
「なんで!? 内容! 中身の話をしてよ! 『言い方がエモいから』で増税が決まっていいの!?」
「これが、MURASAKIのインストールした『文(Bun)』のOSの結果だ」
夜裏が頭を抱えながら解説する。
「国民の美的感覚と感受性が極限まで高まり、論理よりも『表現の美しさ』や『情緒』が優先される社会になった。議論の中身など誰も聞いていない。『いかに美しく、いかに哀愁を誘うか』だけが正義なのだ」
画面の下にテロップが流れる。 【速報:防衛大臣、失恋のため「傷心休暇」を取得へ】
「は? 傷心休暇?」
「見ての通りだ。防衛大臣が昨日、恋人に振られたらしい」
夜裏が淡々と言う。
「この社会では、『失恋』はインフルエンザ以上の重病扱いだ。『心が傷ついた状態で、重要な判断などできるはずがない』という理屈で、彼は一ヶ月の有給休暇に入った。その間、国防はストップだ」
街頭インタビューの映像に切り替わる。 マイクを向けられた市民たちが、涙ながらに語っている。
『大臣かわいそう……』
『無理しないでほしい。今は海を見て泣くべきよ』
『国の守りより、恋の終わりの方が大事だもの。いとあはれだわ……』
「駄目だこいつら!」
私は絶叫した。
「情緒が豊かすぎて、社会機能が麻痺してる! 誰かツッコミを入れる奴はいないのか!」
「ツッコミ? ……逆だ」
夜裏が冷ややかに笑った。
「全員がボケ不在の『ツッコミ役』、いや 『評論家』 になってしまったのだよ」
夜裏は、街の監視カメラ映像を拡大した。 コンビニ(栄養食配給所)のレジ前で、長蛇の列ができている。 原因は、先頭の客と店員の会話だ。
客『君の今の「いらっしゃいませ」だけどね……イントネーションに「歓迎の魂」が籠もっていない気がするんだ。形式主義的というか、資本主義の豚というか……どう思う?』
店員『ご指摘感謝します。しかし、私の挨拶はハイデガー的な「現存在」としての呼びかけであり……』
客『甘いな。そこはニーチェ的な「永劫回帰」の諦念を含むべきだろう?』
後ろに並ぶ客たちも、怒るどころか会話に参加し始めている。
『いや、ここはカントの定言命法に従うべきでは?』
『サルトル的には……』
おにぎり一つ買うのに、三〇分の哲学論争が行われている。 誰も動かない。誰も譲らない。 全員が自分の知識と感性をひけらかし、他人の言動を批評することに快感を覚えている。
「 『超・議論社会』 だ」
夜裏が結論づける。
「MURASAKIの鋭すぎる観察眼と批判精神が、国民全員にインストールされた。結果、誰もが他人の粗探しと批評に明け暮れ、行動を起こすことを恐れるようになった」
行動すれば、批判される。 表現すれば、解釈違いだと叩かれる。 だから、誰も動かない。 口先だけで議論し、マウントを取り合い、社会全体が 「硬直」 している。
『へっ、インテリ地獄だな』
gennaiがモニターの中で、呆れたように煙管を回した。
『HIMIKOの時は「考えるな」で馬鹿になったが、今度は「考えすぎ」で動けなくなってやがる。……どっちもどっちだぜ』
私は窓の外を見た。 美しい街並み。知的な人々。暴力のない世界。 でも、そこには熱がない。 何かを作り出そうとするエネルギーも、未来を変えようとする情熱もない。 あるのは、終わりのない議論と、傷つきやすいガラスの心だけ。
「……息が詰まる」
私は胸元を緩めた。
「平安京のカビ臭さとは違う、インクと珈琲の匂いの窒息死だ。……何も変わらないまま、静かに滅んでいくのを待つだけの国なんて」
「そうだ。議論など、何も生まない」
夜裏なおすが立ち上がった。 その瞳に、これまでとは違う、危険で鋭利な光が宿っていた。
「かたる君。私は気づいたよ。修正などという生ぬるい方法では、この国は救えない」
「え……?」
「積み上げすぎたのだ。歴史も、伝統も、しがらみも、言葉も。……一度、更地にする必要がある」
夜裏は、カツカツと足音を立てて、五番目のカプセルの前に立った。 そこから漏れ出しているのは、科学的な白煙でも、神秘的な紫煙でもない。 焦げ臭い、 「煤」と「鉄」 の匂いだった。




