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第33話 万物記述(リアリティ・ライター)・フルドライブ

『もう無理……書けない……』 


MURASAKIは完全に心を折られていた。 彼女は再び十二単の中にうずくまり、耳を塞いでいた。


『私なんかが書いたって、誰も救えない。私が書けば書くほど、世界は汚れていく……。私はただの、性格の悪い陰キャ女よ……』


影たちが彼女を取り囲む。 その黒い手が、彼女の美しい黒髪に触れようとした瞬間。


「ふざけるなッ!!」


私は、怨霊の腕を素手で叩き落とした。 ビリビリとした悪寒が腕を走るが、構わなかった。 私はMURASAKIの肩を掴み、無理やり顔を上げさせた。


「自分を卑下するな、紫式部!」


『……っ!』


「性格が悪くて何が悪い! 陰キャで何が悪い! 目の前にいるこいつら(怨霊)を見ろ! これが人間の真実だろ!」 


私は迫りくる影たちを指差した。


「綺麗事だけの世界なんて嘘だ! 人は誰だって、嫉妬するし、恨むし、誰かを呪いたい夜がある! あなたはそれを知っているはずだ!」


『でも……怖い……。こんな醜いもの……』


「醜いからこそ、書くんだよ!」 


私は叫んだ。喉が裂けてもいいと思った。 かつて、一〇〇〇冊の本に救われた私の魂が、言葉となって溢れ出す。


「太宰治を見ろ! 彼は自分の醜さをさらけ出して『人間失格』を書いた! 手塚治虫を見ろ! 彼は人間の業を描ききって『火の鳥』を描いた! 彼らは逃げなかった! 自分の心の闇を直視して、それを『物語』という光に変えたんだ!」


私は、床に落ちていた彼女の扇子コンソールを拾い上げ、彼女の手に握らせた。


「MURASAKIさん。あなたが書くのをやめたら、こいつらはただの『怪物』のままだ。一生、都を彷徨い、人を呪い続けるだけのゴミだ!」


「でも、あなたが書けば!」


 私は彼女の冷たい手を、両手で包み込んだ。


「あなたが言葉を与えてやれば、こいつらは『登場人物』になれる! 意味のある『物語』の一部になれるんだ! 救ってやれよ! この哀れで、醜くて、どうしようもない自分自身こいつらを!」


一瞬の沈黙。 MURASAKIの瞳が揺れた。 深海の底のような瞳に、小さな炎が灯る。 それは、クリエイターの業火。


『……あんた、本当に口がうまいわね』 


彼女は涙を拭い、鼻をすすった。


『編集者のくせに、作家に説教するなんて一〇〇〇年早いのよ』


彼女は立ち上がった。 その手の中で、扇子が強烈な紫色の光を放ち始める。


『gennai! 準備はいい?』


『おうよ姉ちゃん! あんたの脳波、ビンビンに来てるぜ! 言語野のリミッター完全開放! サーバーが焼き切れるまで書きな!』


MURASAKIは扇子を開き、襲いかかる怨霊の群れを睨みつけた。 その表情は、もう怯える少女のものではない。 世界を記述し、支配する「創造主」の顔だった。


『……よくも私の部屋を汚してくれたわね、三流の雑魚キャラども』


彼女が扇子を一閃させる。


『全員、私の原稿用紙デスノートに沈めてやるわ!!』


 【記述開始】


MURASAKIの扇子が空を切ると、そこに金色の文字が刻まれた。 一文字、また一文字。 それは凄まじい速度で連なり、輝く鎖となって空間を埋め尽くしていく。


『いづれの御時おほんときにか、女御にょうご更衣こういあまたさぶらひ給ひけるなかに……』


 『源氏物語』の冒頭だ。 だが、それは単なるテキストではない。質量を持った「概念兵器」だ。


 ギャァァァァッ!


光の文字に触れた怨霊たちが悲鳴を上げる。 


彼らの不定形な体が、文字の中に吸い込まれ、固定されていく。 「嫉妬」という感情が、「物語の描写」へと変換され、無害化(浄化)されていくのだ。


『まだまだ! こんなもんじゃないわよ!』


MURASAKIは舞うように扇子を振るった。 髪が乱れ、十二単が翻る。その姿は、憑き物が落ちたように美しく、そして鬼気迫るものがあった。


『もっと深く! もっと暗く! 女の情念を舐めるな!』



【葵の上】 【六条御息所】 【夕顔】

 


彼女がキャラクターの名前を叫ぶたびに、怨霊たちはその役割を与えられ、物語のピースとして組み込まれていく。 部屋中を埋め尽くしていた黒い霧が、次々と美しい「文章」の奔流に変わっていく。


『道長! 見てるか! これがお前が嫌った「陰気な物語」の力よ!』


MURASAKIは、虚空に向かって吠えた。


『明るいだけの光じゃ、闇は消せない! 闇を受け入れ、愛し、描き切ることだけが、魂を鎮めるのよ!』


彼女の筆(扇子)は止まらない。 光源氏の栄華、そして転落。 最愛の紫の上の死。 そして、主役不在のまま続く、宇治十帖の救いなき世界。


「すごい……」 


私は圧倒されていた。 


これが、天才か。 彼女は、都中に蔓延する数万人分の「怨み」や「辛さ」を、たった一人で受け止め、それをすべて物語へと昇華させている。 その背中から、猛烈な熱気を感じた。 命を削っている。文字通り、魂を削って書いている。


『……ラストシーンよ!』 


MURASAKIが叫んだ。 部屋の中に残っていた最後の巨大な怨霊――「帝になれなかった男たちの無念」の集合体――が、彼女に襲いかかる。


MURASAKIは逃げない。 真正面から怨霊を見据え、最後の一文を叩きつけた。



雲隠くもがくれ



ドォォォォォォン……!



金色の閃光が炸裂した。 それは攻撃魔法ではない。 「死」と「無常」を受け入れる、静寂なる結末オチだ。


怨霊の動きが止まる。 黒い霧が、光の中でほどけていく。 「悔しい」「憎い」という感情が、「それもまた人生あはれなり」という諦念と美学へ変わり、霧散していく。


光が収まると、そこには何も残っていなかった。 怨霊も、ゴミの山も、カビ臭い空気も消えていた。 あるのは、静まり返った清浄な空気と、床に散らばる無数の「書き上げられた原稿」だけ。


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