第32話 怨霊パンデミックと百鬼夜行
同時刻。内裏の外。
見張りをしていた夜裏なおすは、懐中のガイガーカウンターのような計器が、異常な数値を叩き出しているのを見て眉をひそめた。
「……マズいな」
計器の針が振り切れている。
「都中の『怨霊ウイルス』が活性化している。……MURASAKIの執筆活動に共鳴して、負のエネルギーが引き寄せられているのか」
ズズズズズ……。
地面が揺れた。 内裏の門の向こうから、無数の「影」が滲み出してくる。 それは、貴族たちの嫉妬、庶民の怨嗟、捨てられた女たちの悲しみが凝縮し、実体を持った怪物―― 【百鬼夜行】 の群れだった。
「ひひひ……出世したい……」
「私を見て……」
「殺してやる……」
影たちは、人の形をしているが、顔がない。あるいは目が多すぎる。 それらが、MURASAKIのいる局を目指して、雪崩のように押し寄せてくる。
「かたる君、MURASAKI」
夜裏はハンドガン(対霊体用プラズマ弾装填)を抜き、通信機に向かって告げた。
「急げ。締め切りが早まったぞ。……読者たちが、サインを求めて殺到してきている」
バン! バン!
夜裏の発砲音が、静寂な夜を切り裂いた。 だが、影たちは倒れても倒れても、霧のように再生し、再び立ち上がる。 物理攻撃無効。 なぜなら、彼らは「病んだ心」そのものだからだ。
「文学で祓うしかない」
夜裏はリロードしながら呟いた。
「間に合わせろよ、陰キャ同盟。……この国が、鬱で死ぬ前に」
バリバリバリッ!!
障子が破られる音が、局の静寂を切り裂いた。 同時に、腐った泥のような悪臭が部屋になだれ込んでくる。
「かたる君! 防壁が破られた!」
夜裏なおすが部屋に飛び込んできた。その肩で息をする姿を見るのは初めてだ。彼の手にしたプラズマ・ハンドガンからは煙が上がっているが、敵を倒した手応えはない。
「私の武器は無力だ。奴らは実体がない。『概念』そのものだ!」
夜裏の背後から、それは現れた。 【百鬼夜行】。 絵巻物に描かれるような滑稽な妖怪ではない。もっとおぞましい、人間の負の感情が凝縮された不定形の影だ。
「……ねたましい……」
「……なんで私じゃないの……」
「……死ねばいい……みんな死ねばいい……」
影たちは、貴族の衣装をまとっているが、顔の部分には目も鼻もない。あるのは、無限に呪詛を吐き出し続ける、ぽっかりと開いた「黒い穴(口)」だけだ。 それらが、部屋の床板を軋ませながら、ズリズリと這い寄ってくる。
『ヒッ……!』
MURASAKIが悲鳴を上げ、扇子を取り落とした。 彼女はガタガタと震え、部屋の隅へ後ずさる。
「MURASAKIさん!?」
『いや……来ないで! 見たくない!』
彼女は頭を抱えた。
『あれは……私の心よ! 私が小説の中で書こうとしていた、人間の汚い部分……嫉妬、憎悪、劣等感……それが具現化して襲ってきてるんだわ!』
作家の想像力が、怨霊ウイルスと共鳴し、最悪の形で実体化したのだ。 彼女にとって、それは自分の内面を見せつけられるような苦行だろう。
「うらめしや……」
一際巨大な影――六条御息所のモデルとなったであろう、高貴な女性の姿をした怨霊が、MURASAKIに手を伸ばした。 その指先が触れた畳が、一瞬で腐敗し、黒いシミとなる。
「危ない!」
私はとっさにMURASAKIの前に飛び出し、手近にあった文机を盾にした。 バヂィッ! 怨霊の爪が机を掠め、木材が悲鳴を上げる。
『かたる! 退きなさい! あんたまで呪われるわよ!』
「退けませんよ! 僕は担当編集ですから!」
私は震える足で踏ん張った。胃が痛い。吐きそうだ。目の前の怪物は、生理的嫌悪感の塊だ。 でも、ここが正念場だ。
「総理! 何か時間稼ぎの方法はないんですか!」
「……一つだけある」
夜裏は懐から、数枚のディスクを取り出した。
「gennai特製『ポジティブ・シンキング・グレネード』だ。強制的に明るい情報を空間に散布し、陰の気を中和する!」
夜裏がディスクを投げると、閃光と共にホログラムが展開された。 子猫の映像。アイドルの笑顔。そして「明日はきっといい日になる!」というポップな文字。
だが。
「……ウザい……」
「……キラキラしててムカつく……」
怨霊たちは、逆に活性化した。 ポジティブな押し付けは、メンタルを病んでいる者にとっては猛毒なのだ。彼らの体積が倍に膨れ上がり、怒号と共に襲いかかってくる。
「逆効果だぁぁぁ!」
夜裏が吹き飛ばされる。 もはや、この部屋は絶望の密室と化した。




