第29話 怨霊ウイルスと権力者
バンッ!!
襖が乱暴に蹴り開かれた。 現れたのは、煌びやかな直衣をまとい、恰幅の良い体躯をした男。 この時代の絶対権力者にして、栄華の頂点に立つ男、 藤原道長 だ。
だが、その様子は「栄華」とは程遠かった。 脂汗を流し、血走った目で部屋の中を睨み回している。そして、彼の背後には、武装した武士たちが護衛についているが、彼らも何かに怯えるように剣の柄を握りしめている。
「おい式部! 原稿はまだか!」
道長は大声で怒鳴り込んだ。その声は焦燥で裏返っている。
「帝がお待ちだ! 早く続きを書け! もっと華やかで、楽しくて、帝が笑えるような話をな! 陰気な話はいらん!」
『……善処しますぅ。今、プロット練ってるとこなんでぇ……』
布団の中からMURASAKIのやる気のない声が返る。
「善処などいらん! 書け! 書かねば……アレが来るのだ!」
道長は怯えるように周囲を見回した。
「最近、都で流行り病が増えているのを知っているか? ただの疫病ではない。人の嫉妬や恨みが、黒い霧となって人を襲うのだ……。私の夢枕にも、毎晩のように政敵の生霊が立つ!」
夜裏が私に耳打ちする。
「 【怨霊ウイルス】 だ」 「ウイルス?」 「この時代の『負の感情』が臨界点を超え、gennaiの観測機器でも検知できるほどの『物理的エネルギー(ノイズ)』となって実体化している。人の精神に感染し、幻覚を見せ、最後には精神崩壊に至らしめる奇病だ。道長は、それを恐れている」
道長はMURASAKIの布団を蹴飛ばした。
「いいか式部! 薬師も陰陽師も役に立たん! 頼みの綱はお前の『物語』だけなのだ! この陰気な空気を払拭するような、明るいプロパガンダ小説を書け! 『この世をば我が世とぞ思ふ』と、国民全員が錯覚するようなハッピーエンドをな!」
『……チッ』
MURASAKIが、はっきりと舌打ちした。
彼女は布団から這い出し、ボサボサの髪の隙間から、道長を睨みつけた。 その目は、先ほどの無気力な目ではない。クリエイターとしての矜持を傷つけられた、猛獣の目だ。
『左様でございますか、道長様。……でもねぇ、無理なんですよ』
「何だと?」
『明るいだけの物語なんて、嘘っぱちじゃないですか。そんな薄っぺらい文章で、怨霊が退散するとでも? 霊ってのはね、もっとドロドロした情念の塊なんですよ』
MURASAKIは扇子を開いた。
『毒を以て毒を制す……暗い感情には、もっと深い絶望をぶつけなきゃ、浄化なんてできませんよ。あんたみたいな能天気な成金には、一生わからないでしょうけどね』
「な、何だと……! 口答えをするな!」
道長が激昂し、扇子を振り上げた。
「お前はただの女房だ! 私の命令通りに、キラキラした恋物語を書けばいいのだ! さもなくば……」
その瞬間。 MURASAKIの手元の扇子が、バチバチと青白い火花を散らした。 部屋の空気が凍りつく。
『……うっさいわね、このハゲ』
小さな、しかし明確な殺意のこもった呟き。 MURASAKIが扇子を一振りすると、空中にネオンサインのような光の文字が走った。
【壁】
ドォォン!!
道長の目の前の空間に、見えない衝撃波が発生した。 物理的な「壁」が出現したのだ。
道長が「ぬおっ!?」とのけぞり、派手に尻餅をつく。護衛たちが慌てて刀を抜くが、壁に阻まれて近づけない。
『あーあ、手が滑っちゃった。……今のうちに消えてくださいな。私のインスピレーションが枯れる前に』
「き、貴様……妖術を……!」
道長は腰を抜かしながらも、顔を真っ赤にして叫んだ。
「覚えておれ! 明日の朝までに書かねば、お前の首を刎ねてやるからな! その生意気な口をきけなくしてやる!」
捨て台詞を吐いて、道長たちは逃げるように去っていった。 バタン! と襖が閉まる。 再び静寂が戻った部屋で、MURASAKIは深いため息をつき、その場にへたり込んだ。
『……はぁ。マジで最悪。あんな奴のために、なんで私が書かなきゃいけないのよ』
彼女は扇子を放り投げ、膝を抱えた。 その背中は、先ほどの強気な態度とは裏腹に、とても小さく、震えているように見えた。
「あの……今の『文字』は?」 私が尋ねると、彼女は顔を伏せたまま答えた。
『【万物記述】。私が書いた言葉は、現実になるの。……便利だけど、メンタル削れるから嫌い』
書いたことが現実になる。 最強の能力だ。物語作家なら誰もが憧れる神の力。 だが、彼女自身が「書きたくない」と拒絶している。 これでは宝の持ち腐れだ。
「総理、どうします?」
「書かせるしかない」
夜裏は冷徹に判断した。
「道長の言う通り、都の怨霊濃度は危険水域だ。MURASAKIの『物語』で、この国全体の精神を浄化しなければ、日本中が発狂して滅びる」
「でも、本人があの調子じゃ……無理強いしても、良いものは書けませんよ」
私は、布団の膨らみを見た。 完全なる拒絶モード。 だが、私には分かった。彼女は書きたくないんじゃない。 自分の書きたい「闇」を否定され、無理やり「光」を書かされそうになっているから、筆が止まっているのだ。 クリエイターにとって、それは死刑宣告にも等しい。
なら、僕の出番だ。 同じ「陰キャ」として。そして物語を愛する者として。 彼女の心の岩戸を開けるのは、権力者の命令でも、AIのロジックでもない。 オタクの「共感」だけだ。
「……総理、少し時間をください」
私は夜裏に言った。 胃薬の瓶を握りしめ、覚悟を決める。
「僕が、彼女の担当編集になります。……彼女に、本当の『闇』を書かせてみせます」




