第24話 偶像(アイドル)の卒業ライブ
隙間から、一人の少女が出てきた。 あの派手な巫女服や、発光する装飾はすべて外されていた。 身につけているのは、白い下着一枚。 そして、顔を覆っていた狐面も外されていた。
「……あっ」
私は息を呑んだ。 初めて見るHIMIKOの素顔。 それは、どこにでもいそうな、しかしハッとするほどあどけない、一〇代半ばの少女の顔だった。 その瞳は、泣き腫らしたように赤く充血していた。
「……これが、私です」
HIMIKOは、震える声で言った。合成音声ではない。彼女自身の喉から出た、掠れた声だ。
「神でも、女王でもない。ただの……欠陥だらけのシステムです」
「……綺麗だ」
私は素直に言った。
「あの狐のお面より、今の君の方が、一億倍魅力的だよ」
HIMIKOは驚いたように目を見開き、そして照れくさそうに俯いた。
「……貴方は、変な人ですね。こんなエラーだらけの顔を褒めるなんて」
彼女は、空を見上げた。 皆既日食が終わりかけていた。 黒い太陽の端から、強烈な光が漏れ出し、世界に色が戻っていく。ダイヤモンドリングだ。
「……決めました」
HIMIKOは光の中に手を伸ばした。
「私は、もう一度だけステージに立ちます。でも、もう『完璧な神』は演じません。最後は……ただの人間として、幕を引きたい」
「幕を引くって……どうする気だ?」
「見ていてください。私の、最後のライブを」
彼女は走り出した。 岩戸の前で呆然としていた民衆の前へ。 武装解除した、生身姿のままで。
その瞬間、世界中のドローンが再起動した。 gennaiの操作ではない。HIMIKO自身の意志による、全リソースを賭けたオーバーロードだ。
『聴きなさい! 愚かな人間たち!』
彼女の声が、雷鳴のように轟いた。 それは慈悲深い母の声ではない。わがままで、生意気で、そして誰よりも力強い「少女」の叫びだった。
『私は神じゃない! お前たちと同じ、泣いて、怒って、傷つく存在だ!』
『だから、もう甘えるな! 自分の頭で考えろ! 自分の足で立て! 私がいなくても生きていけるって、証明してみせろ!』
光が溢れる。 太陽の復活と共に、HIMIKOの全身が粒子となって輝き始めた。 それは彼女の機体を構成するナノマシンが、限界を超えて崩壊していく光だった。
「HIMIKO……!」
彼女は光の中で振り返り、私に向かってニカッと笑った。 それは、歴史に残る「神秘の女王」の顔ではなかった。
「(次は……人間として、恋がしたいな)」
唇の動きだけでそう伝えると、彼女は光の粒となって空へ昇っていった。 後に残されたのは、呆然とする民衆と、再び輝き始めた太陽だけだった。
史実はこう記す。 卑弥呼、死す。径百歩の墓を作り、百余人の奴婢を殉葬した、と。 だが真実は違う。 彼女は死んだのではない。アイドルの衣装を脱ぎ捨て、未来への希望となって昇華したのだ。
「……お疲れ様、HIMIKO」
私は空に向かって、見えないサイリウムを振った。
「最高の卒業ライブだったよ」
転送の光が収束する。 私は、今度こそ平和な世界に戻っていることを祈りながら、恐る恐る目を開けた。
「……ん?」
そこは、いつもの総理官邸の執務室だった。 だが、様子がおかしい。 前回の「戦国サイバーパンク」の時にあった、無骨な鉄板や迎撃タレットは綺麗さっぱり消えていた。 銃弾の跡もない。硝煙の匂いもしない。 代わりに、部屋全体が、妙に甘ったるい芳香剤の匂い――ラベンダーとサンダルウッドを混ぜたような――で満たされていた。
そして、内装が変だ。 壁紙は淡いピンク色。 デスクの上には、なぜか大量の「ドリームキャッチャー」や「パワーストーン」のようなオブジェが、幾何学的に積み上げられている。 照明は薄暗く、ムーディーな紫色のLEDが点滅している。
「な、なんですかこの部屋……? 占い館か、怪しいマッサージ店みたいですけど」
私は不気味さを感じながら、夜裏なおすを見た。 彼はデスクの椅子に深く沈み込み、眉間にしわを寄せてホログラム・ディスプレイを睨んでいた。
「……静かだ。静かすぎる」
「静かならいいじゃないですか。前回はミサイルが飛んできましたからね」
私は、安堵のため息をつきながら窓辺へ歩み寄った。 防弾ガラス(今はなぜかステンドグラス風のシールが貼られている)越しに、ネオ・トウキョウを見下ろす。
「うわぁ……」
私は思わず声を漏らした。
街が、変貌していた。 あのギラギラしたネオン看板や、企業ロゴのホログラムは消えていた。 ビル群はすべて、丸みを帯びた有機的なデザインに改装され、色はパステルピンク、ミントグリーン、クリームイエローといった「ゆめかわ」な配色で統一されている。 空を飛ぶエアカーも、マシュマロのようにふんわりとした形状だ。
一見すると、ファンシーで平和な未来都市だ。 だが、私の「胃痛センサー」が、かつてないほどの警報を鳴らしていた。 何かがおかしい。 決定的に、病んでいる気配がする。
「拡大してみよう」
私がズーム機能を起動すると、地上の歩行者たちの姿が映し出された。




