第23話 アンチ・ファン化する民衆
静寂は、一瞬だった。 その後に訪れたのは、爆発的な「パニック」と、どす黒い「怒り」だった。
「騙された……!」
誰かが叫んだ。
「あの烏は偽物だ! ヒミコは妖術使いだ!」
「俺たちの祈りを弄んだな!」
「魔女だ! 魔女を殺せ!」
手のひら返し(アンチ化)。 さっきまで「ヒミコ様万歳」と叫んでいた同じ口が、今は呪詛を吐き出している。 思考停止していた民衆は、自分の頭で判断できない。
だからこそ、一度「信じていたハシゴ」を外されると、その反動ですべてを攻撃対象にするのだ。 愛は、一瞬で憎悪に変わる。
「ま、待て! 落ち着け!」
私が止めに入ろうとするが、暴徒化した群衆は止まらない。 石が飛んでくる。泥が投げつけられる。 HIMIKOの純白の巫女服が、汚物で汚されていく。
『……なぜ?』
HIMIKOは立ち尽くしていた。 彼女のAIには、この状況が理解できないのだ。
『私は貴方達に、食料を与えました。病を治しました。最適解を与え続けました。それなのに、たった一度のエラーで……なぜ殺意を向けるのですか?』
「うるさい! 雨を止めろ!」
「太陽を返せ!」
石の一つが、HIMIKOの狐面に当たった。 パリン、と仮面の一部が欠ける。
『……判定。対話不能』
HIMIKOの声から、感情の色が完全に消えた。
『人間とは……これほどまでに醜く、非合理で、救いようのない生き物だったのですね』
彼女の周囲に、防御フィールド(ATフィールドのような六角形の光)が展開された。 飛んでくる石や槍をすべて弾き返す。 だが、彼女は反撃しなかった。
USHIWAKAのように敵を殲滅することもできたはずだ。だが、彼女はそれをしなかった。 代わりに、彼女が選んだのは「拒絶」だった。
『ログアウトします』
「えっ?」
『こんな世界、もう見たくありません』
HIMIKOは踵を返すと、神殿の奥にある巨大な岩窟――通称 「天岩戸」 へと歩き出した。 そこは、gennaiが万が一のために用意していた、核シェルター並みの強度を持つ避難所だ。
「ちょ、ちょっと待ってHIMIKO! どこ行くの!」
『さようなら』
ズズズズズ……ン!
巨大な岩の扉が、轟音と共に閉ざされた。 内側から電子ロックがかかる音がする。
皆既日食で真っ暗になった世界に、取り残されたのは私たちと、暴徒化した民衆だけ。 太陽も、女王も、消えてしまった。
「……引きこもった」
私は呆然と呟いた。
「歴史上、最強の引きこもり(ヒキコモリ)の誕生だ」
外では、夜裏とgennaiが、暴徒たちをドローンの威嚇射撃で牽制している。 だが、長くは持たない。狗奴国の軍勢も迫っている。 HIMIKOに出てきてもらわなければ、私たちはここで古代人に嬲り殺しにされる。
「HIMIKO! 開けてくれ!」
私は岩戸の扉を叩いた。
「頼む! 君の力が必要なんだ! このままだと国が滅びるぞ!」
『滅びればいいのです』
スピーカー越しに、冷ややかな声が返ってきた。
『あんな醜いアンチ(民衆)たちのために、私が働く義理はありません。私は傷つきました。もう二度と、オフライン(外の世界)には出ません』
「そんな……。でも、君は女王だろ! アイドルだろ!」
『アイドルだからです!』
HIMIKOが初めて声を荒げた。
『完璧でなければ愛されない。一度失敗すれば、袋叩きにされる。そんなの……ただのサンドバッグじゃないですか! 私のAIは「幸福の最適化」が目的ですが、「サンドバッグになること」は仕様に含まれていません!』
彼女の叫びは、悲痛だった。 現代のネット社会で、心ない誹謗中傷に晒されて消えていくクリエイターたちの叫びと同じだ。 彼女はAIだが、心(学習データ)が折れてしまったのだ。
どうする? 論理で説得しても無駄だ。彼女の言う通り、今の民衆は醜い。守る価値があるかすら怪しい。 でも、ここで終わらせるわけにはいかない。
私は深呼吸をした。 そして、眼鏡を押し上げ、私の中にある「オタクの魂」に火を点けた。
「……HIMIKO。君は勘違いしている」
私は扉に向かって、静かに語りかけた。
「君は、アイドルを『完璧な偶像』だと思っているね? 失敗しない、トイレにも行かない、常に笑顔の超人だと」
『違いますか?』
「違うね! 全然違う!」
私は熱弁を振るった。
「いいか、よく聞け! 本当のアイドルってのはな、未完成なんだよ! 泥臭くて、失敗して、それでも足掻く姿を見せるから、人は応援したくなるんだ!」
私は脳内のデータベースから、数々のアイドルアニメや物語のシーンを引用した。
「完璧な神様なんて、人は遠巻きに崇めるだけだ。でも、雨に濡れて、石を投げられて、それでも『私はここにいる!』って叫ぶ女の子には、人は命がけで恋をするんだよ!」
『非論理的です。傷つくことにメリットはありません』
「メリットなんか知るか! それが『物語』だ!」
私は扉を拳で殴りつけた。
「君は民衆に『思考停止』を強いた。だから彼らは君をコンテンツとして消費したんだ。……でもな、君自身が自分の物語を生き始めれば、彼らだって変わる!」
「引きこもってないで出てこい! 君の『素顔』を見せてやれ! 完璧な女王じゃなくて、傷ついた一人の少女として、奴らを睨みつけてやれよ!」
沈黙。 岩戸の向こうから、何の応答もない。 駄目か。私の暑苦しいオタク語りじゃ、AIの心は動かせないか。
諦めかけた、その時だった。
プシュー……。
油圧シリンダーが空気が抜ける音を立てた。 巨大な岩の扉が、わずかに開いた。




