第20話 顔のないアイドル
「……すごいな」
私は物陰からその光景を見ながら、思わず眼鏡を押し上げた。 これは、ただの支配じゃない。 もっと高度な、心理的な掌握術だ。
「総理。彼女はなぜ、顔を見せないんですか? PRINCEやUSHIWAKAは、顔を出してカリスマ性をアピールしましたよね?」
「それが戦略だ」
夜裏が淡々と解説する。
「人は、見えないものにこそ無限の価値を見出す。顔を隠すことで、民衆はあのマスクの下に『自分にとって理想の救世主』を勝手に投影するのだ」
「……なるほど。アイドル戦略、あるいはVチューバーの『ガワ』理論か」
私は納得した。 HIMIKOは、実在する女王としてではなく、 「概念としての神」 として君臨しようとしている。
人間味を見せない。 食事もしない、排泄もしない、感情も見せない。 ただ、奇跡だけを起こす「完璧なシステム」。
『民よ。……私に従いなさい』
HIMIKOの声が、雨音に混じって響く。
『考える必要はありません。悩む必要もありません。私の言葉だけを聞き、私の指し示す道だけを歩みなさい。そうすれば、飢えも、痛みも、迷いもない永遠の安らぎを与えましょう』
「ははーっ! 従います! 何でも致します!」
「考えるのをやめます! どうか、我らをお導きください!」
村人たちの瞳から、理性の光が消えていく。 代わりに宿るのは、あの日、ネオ・トウキョウで見た「笑顔の全体主義」とも違う。もっと依存的で、ドロドロとした「盲信」の光だ。
私は胃のあたりが重くなるのを感じた。 USHIWAKAの時は、物理的な暴力への怒りだった。 だが今回は違う。 これは、 「人間が人間であることを放棄する」 ことへの、生理的な嫌悪感だ。
「……違うだろ」
私は無意識に呟いていた。
「考えるのをやめることが幸せ? そんなの、人間じゃない。ただの家畜だ」
私のポケットの中で、空っぽの胃薬の瓶がカチリと鳴った。 HIMIKOの狐面が、霧の向こうから、私をじっと見つめている気がした。
HIMIKOの降臨から数日。 邪馬台国の中心にある「都」――といっても、柵で囲まれた高床式倉庫群だが――は、異様な変貌を遂げていた。
gennaiの指示により、集落の中央には巨大な通信塔(に見せかけた御神木)が建てられ、その周囲には無数の小型ドローンが蛍のように舞っている。 そして、周辺の小国を治める「王」たちが、続々とこの地に集結していた。
狗奴国との小競り合いに疲弊した王。 日照り続きで飢饉に苦しむ王。 疫病に怯える王。 彼らは一様に疲れ果て、泥にまみれ、救いを求めてこの「奇跡の女王」のもとへ膝を屈しに来たのだ。
「……王たちよ。よく来ました」
HIMIKOは、御簾の奥に鎮座し、決してその姿を直接見せることはない。 ただ、狐面の奥から発せられる合成音声と、ホログラムによる演出だけが、彼女の神性を際立たせている。
「お前たちの悩みは、すべて私が知っています。……東の王よ。お前の国ではイナゴが発生し、作物が全滅しかけていますね?」
「は、はい! いかにも! なぜそれを!?」
「西の王よ。お前は跡継ぎ問題で家臣に命を狙われている。……今夜、毒を盛られるでしょう」
「ひぃっ!? お助けくだされ!」
HIMIKOは、gennaiが放った偵察ドローンと、ビッグデータ解析による予測演算を読み上げているだけだ。 だが、情報を持たない古代人にとって、それは「全知全能の予言」そのものだった。
『gennai、予測演算結果を出力』
『へいきた。東の国には「農薬散布ドローン」を派遣。西の国には「解毒剤の調合レシピ」を送信だ』
HIMIKOが手をかざすと、空からパラシュートで救援物資が投下される。 王たちは涙を流して平伏した。
「ああ、神よ! 我らはどうすれば、この御恩に報いることができるでしょうか!」
「生贄が必要ですか? それとも領土を?」
王たちの問いに、HIMIKOは優しく、しかし絶対的な命令を下した。
『何もいりません。……ただ、私に委ねなさい』
HIMIKOの声が、甘い毒のように広場に染み渡る。
『お前たちが苦しいのは、お前たちの小さな頭脳で、答えのない問題を考え続けているからです。明日の天気、敵の動き、作物の育て方……。そんな不確定な変数に悩むのはお止めなさい』
彼女は、まるで赤子をあやすように告げた。
『これからは、私がすべてを決めます。いつ種を蒔き、いつ収穫し、いつ眠り、誰と結婚するか。すべての最適解を、私が神託として与えましょう。……お前たちは、ただそれに従えばよいのです』
それは、「思考の放棄」の提案だった。 王たちは顔を見合わせた。 本来なら、主権を奪われる屈辱的な提案だ。だが、彼らの表情に浮かんだのは、怒りではなく「安堵」だった。
「……考えなくて、よいのか?」
「もう、悩まなくてよいのか?」
「ああ……なんとありがたい……!」
王たちは、重荷を下ろした旅人のような顔で、その場に崩れ落ちた。 自分で決める責任。失敗した時の恐怖。それら全てから解放されることが、これほど甘美なことだとは。
「ヒミコ様万歳! 我らは思考を捨てます! 貴女様の手足となりましょう!」
歓声が上がる。 私はその光景を見ながら、背筋が凍りつくのを感じていた。 これは、国盗りではない。魂の強奪だ。 USHIWAKAは体を傷つけたが、HIMIKOは「意志」を去勢している。
「……気持ち悪い」
私は呟いた。 目の前で行われているのは、巨大な「依存システム」の構築だ。 そして、それは現代社会のカリカチュア(風刺)にも見えた。アルゴリズムにおすすめされた動画を見て、おすすめされた商品を買い、おすすめされたルートで生きる。 私たちは、この古代人たちを笑えるのだろうか?




